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キリスト教思想の焦点としての言語15

 シュヴァイカーの2冊目です。
 
William Schweiker,
Responsibility & Christian Ethics,
Cambridge University Press, 1995.

General editor's preface
Acknowledgements

Introduction

I The Context of Responsibility
1 Responsibility and moral confusion
2 A new ethics of responsibility

II The Theory of Responsibility
3 The idea of responsibility
4 Theories of responsibility
5 Moral values and the imperative of responsibility
6 Freedom and responsibility
7 Responsibility and moral identity

III The Source of Responsibility
8 Power, responsibility, and the divine
9 Responsibility and Christian Ethics

Notes
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Index

 H.R.ニーバー、リクール、ティリッヒが、議論は背景にある。

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キリスト教思想の焦点としての言語14

 これまでキリスト教思想と言語というテーマで、いくつかの問題領域を辿り、「12」では、サリー・マクフェイグとその周辺のアメリカでの議論を紹介した。今回は、その次の世代の研究者から、ウィリアム・シュヴァイカーを取り上げたい。シュヴァイカーは、シカゴ大学で長年、キリスト教倫理を担当し、解釈学的神学に関わる研究などで、著名な神学者である。わたくしが、シュヴァイカーに注目するようになったのは、次の著作による。

William Schweiker,
Mimetic Reflections. A Study in Hermeneutics, Theology, and Ethics,
Fordham University Press, 1990.

Ackowledgements

1. A Shattered Universe
2. Understanding as Mimesis of World
3. Narrative as Mimesis of Time
4. Self as Mimesis of Life
5. The Analogies of Mimetic Practices
6. Mimetic Reflections: Toward a Theology and Ethics

Bibliobrapht
Index

 この著作での議論の背景をなすのはガダマーとキルケゴール、そしてリクールであり、1990年当時に、わたくしも、リクールのラインで、同様の問題関心をもっていたため(もちろん、現在も)、この著作は、きわめて印象的であった。

キリスト教思想の焦点としての言語13

 2019年度の前期の特殊講義では、「キリスト教思想と言語の問題」として、講義を行ってきた。今回の講義は、これまでの京都大学での講義と研究のまとめと言える位置づけであったが、かなりのまとまりをつけることができたと思われる。講義は、明日、終了であり、最後は、「コミニュケーションの問い2」として、宗教間対話について、話すことになる。(後期は、「「科学技術系の神学」とは何か」というタイトルで、「心、脳、AI、倫理、宗教」といった比較的最近進めつつある研究テーマを取り上げる。)

 講義は、次のように進められた。
 まず、キリスト教思想あるいはキリスト教にとっての言語の意義について論じ、キリスト教を言葉の宗教として説明した。
 続いて、現代思想の言語論の動きを確認した上で(いわゆる言語論的転回)、言語・宗教言語の議論において、この半世紀の間に大きく進展した、レトリック、特に隠喩論を取り上げ、 隠喩の指示の問題が実在論といかに関わるか、特に宗教的実在論にとっていかなる意義を持つかを論じた。
 この宗教言語における隠喩の問題は、レベルをテキストに上げることによって、イエスの譬え話の問題に接続できる。イエスの譬え話においては、読解の現象学を参照しつつ、譬えを読むプロセス(解釈学的プロセス)における、譬えの指示の生成が、読者の実践的世界にどのように結び付くかが問われた。 それは、読者にとっての日常世界の再編というべき問題であり、神の国の現実性はここから論じることが可能になる。
 譬えというテキスト・レベルでの宗教言語の問題は、一方では「神話」の問題において、民族や宗教共同体などの共同体形成に関連付けられ(これは、記憶や証言の問題へと繋がる)、また他方、個々人のレベルでも、自己同一性の統合(物語的自己同一性)に問題に関わることになる。
 そして、最後に取り上げられたのは、コミュニケーションの問題であり、言語は、われ(自己)やわれわれ(共同体)の問題から、他者との関わりへと広がって行くことになる。これは、多元性・複数性という問題との関わりおける言語のコミュニケーション機能の問いであり、これは、宗教(共同体)と世俗世界(公共圏)との関わり、宗教相互の関わり(宗教間対話など)へと展開される。翻訳論はこの文脈に位置する。

 以上から、キリスト教思想が「言語」を焦点としていかなる内実で議論されるのかが、その主要内容に即して、論じられたことになる。

アガンベン・メモ(a27)

6・4
ここでは、「習慣的な使用」について、観想との関わりが論じられる。手がかりはスピノザ。
「スピノザ」「《自己満足は人間が自分自身および自己の活動能力を観想することから生じる喜びである》」「『エチカ』第四部定理五二」
「観想は使用のパラダイムである。使用と同じく、観想は主体をもたない。」「観想のなかでは観想する者は全面的に自分を喪失し溶解してしまうからである。また使用と同じく、観想は客体をもたない。というのも、制作品のうちにそれは(自己本来の)能力だけを観想するからである。」
「近代的自我がその場所を簒奪してしまっている自己」

「建築家や大工」「家を建築していないときにも建築家であり大工でありつづける」
「働かないでいることもできる建築する能力の有資格者であるからではなく、彼らが建築家や大工としての自己の使用のなかで習慣的に生きているから」、「習慣的な使用は観想であり、そして観想はひとつの〈生の形式〉である。」

 やはりキーワードは「生の形式」。
 昨日は、京都大学基督教学会の学術大会が行われ、研究発表の一つは、「アウグスティヌスにおける身体の救い」。アガンベンを念頭においても、身体は奥が深い。

『学術の動向』から

『学術の動向──科学と社会をつなぐ』 2019. 7 (日本学術会議)が届きました。
 今年の梅雨入りは記録な遅れでした。その分、本格的な暑さも遅れ気味と言えるでしょうか(昨年は酷かった)。京都は祇園祭に入り、京都大学基督教学会では、本日が夏の学術大会です。午後から、関係の会議と、研究発表、そして懇親会と続きます。

 さて、7月の『学術の動向──科学と社会をつなぐ』では、通常通り、二つの特集企画が組まれています。いずれもきわめて重要な問題ですが、特に、宗教研究と関連が強いわけではありません。

【特集1】「放射能汚染と農漁業復興」
 マスコミ経由の情報が断片的で捉えどころのない状況で、実態を包括的に精確に分析することはきわめて重要です。学術会議の役割のいったんはここにあると言うべきでしょうか。

・「東日本大震災に係わる食糧問題フォーラム──6年間の記録と課題」
 (渡部終五・中嶋康博)
・「福島の農業環境における放射線セシウムと作物摂取による内部被ばく線量」
 (塚田祥文)
・「福島県における漁業復興の現状と課題」
 (柳内孝之)
・「東京電力福島第一原子力発電所事故後の水産業と汚染水に関する現状の課題」
 (関谷直也)
・「農業復興を支える技術開発の現状と課題」
 (栂村恭子)
・「福島県楢葉町における農業復興の現状と課題」
 (山内健一)

 いつもより論文本数は少なめですが、一つ一つはいつもよりも詳細です。

【特集2】「次世代エネルギー社会の超低炭素化に向けた課題とチャレンジ──温室効果ガス80%削減のフィージビリティといリアリティについて考える」
・「化石資源のリアリティとフィージビリティから見えてくる2050年へのシナリオ」
 (大久保泰邦)
・「再生可能エネルギー主力電源化のカギをにぎる水素、二次電池の技術展望」
 (市川貴之)
・「グリーン金融の最新動向」
 (末吉竹二郎)
・「80%削減にむけて、私たちの選択」
 (青柳みどり)

 エネルギー問題は重要だが、難しい。再生可能エネルギーといっても、現実は単純ではない。

 そのほかに、次の記事が掲載。
・「学協会の今──社会に向き合う10」:
 「物質の化学技術を支える化学──日本化学会の取り組み」
 (川合眞紀)

・提言要旨:2本
プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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