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グラーフ博士来日記念講演集

 昨年10月に、来日し、日本の各地で講演を行った、グラーフ博士の来日記念講演集が刊行されました。京都大学での講演も収録されています。最近のコロナウィルス対応で忙しくしている関係か、グラーフ博士の来日からまだ半年しか経過していないことに驚かされます。

フリードリヒ・ヴィエウヘルム・グラーフ(安酸敏眞監訳)
『真理の多形性──F・W・グラーフ博士の来日記念講演集』
北海学園大学出版会、2020年。

訳者まえがき

第一部 講演編
 第一章 ヨーロッパの多様性とEUの現状
 第二章 宗教とグローバル化
 第三章 人文学の学問性をどのように担保するのか
      ──研究不正と戦うためにのガイドライン
 第四章 十九世紀ドイツの学問的神学をめぐるパラドクス
 第五章 トレルチ『社会教説』の現代的意義
 第六章 イエスを信じること、イエスが私たちを信じること
      ── 『マタイによる福音書』第十六章十三─二十節についての説教

第二部 論文編
 論文一 真理の多形性
      ──ドイツ文化プロテスタンティズムの今日的意義について
 論文二 近現代の宗教を解釈する
      (『神々の帰還─近現代文化における宗教』より一部抜粋)

[付録] 私の「日本滞在記」

解題 グラーフ博士と「真理の多形性」
フリードリヒ・ヴィエウヘルム・グラーフ教授 主要業績

索引

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『図書』から

『図書』2020.4(岩波書店)が届きました。
『図書』を紹介するのは、久しぶりですが、今回の号には、キリスト教との関連で興味深い記事が掲載されていますので、取り上げます。

・松﨑一平「聖人になった平凡な母親──クラーク『モニカ』によせて」
 「平凡な母親」とは、非凡な聖人アウグスティヌスの母親モニカのことですが、副題にあるように、このエッセイでは、ジリアン・クラークの著書(Gillian Clark, Monica. An Ordinary Saint, Oxford U. P., 2015)が念頭に置かれている。北アフリカの小都市で生まれ生涯の大半を郷里で一市民として暮らした女性、聖人とされるような奇跡を行ったわけでも殉教したわけでもない一人の母親が聖人とされた。「聖人とされるにしては、並みだ、平凡だ、ふつうだ」というニュアンスである。
 このエッセイでは、最後の段落で、次のように語られている。

 「アウグスティヌスの非凡は、モニカの平凡とともに歩み、平凡を礎として平凡に見まもられながら育まれていく。非凡は、平凡と連続的、平凡とひとつだ。」

 なるほど。では、聖人とは何なのだろうか。

 今回は、赤坂憲雄と三浦しをんとの対談「『風の谷のナウシカ』に響く声」も、面白かったが、吉川一義さんのエッセイ「プルーストの謎」が目にとまった。

「私は、今回の全訳によって、ようやくプルーストとの本格的に出会い、その文学の深淵をのぞき見たことに気づいた。プルーストの小説からは、愛読すればするほど新たな謎が立ちあらわれる。作家の探求は、それほど人間精神の深い闇にまで届いている。」

 50年以上も『失われた時を求めて』を読んできた著者ならではの言葉である。

アガンベン・メモ(b27)

2・7
 ヒュポスタシスが現実化を意味することと、ギリシャ教父とラテン教父との対比について。

「ダリエは、アタナシオスにおいては「ヒュポスタシス」という語はたんに《現実》を意味するのではなく、むしろ《現実化(Realisierung)》を意味している、と指摘している。」「《それは状態ではなく行為を表現している》」

「ボエティウスの定義以降、ペルソナの概念は《理性的自然の個別的現存(naturae rationalis individua substantia)》として定義された。」「三位一体論におけるペルソナないしヒュポスタシスの問題は個別化という哲学的問題と結婚することとなった。」
「神の自然本性も被造物の自然本性も個別的現存」「に転化し、個別化ないし《ペルソナ(人格)化》されることとなるのである。」「近代的主体の「パーソナルな」性格、近代の存在論」
「キリスト教の存在論──ひいてはそこから派生した近代の存在論──がヒュポスタシス的存在論であるとうことは、それが卓越して実際的で活動的なものであることを意味している。」「現実ではなく現実化なのだ。」

「アリストテレスの装置では個々の現実存在は先に置かれた所与であったのにたいして、ヒュポスタシス的存在論ではそれはいまやなにか達成ないし実現されるべきものである。」「《梯子(klimax)》の形で体系化」
「東方の教父たち」「樹のなかに下から入りこんでいる、すなわち、現実に存在する具体的な個物から出発して、つぎにもろもろの種と類に向かって上っていき、最後に実体に到達しようとしている」
「ラテン教父たち」「樹のなかに上から入って、つぎに類的なものから個別的なものへと、実体から類へ、さらに種へと下降していって、最後に個別的な現実存在に触れようとしている」、「普遍的なものから出発して、つぎに本質に付加される形式的根拠ないし原理を探索し、それの個別化を規定しようとする」
「現実存在の問題にたいする二つの相異なる知的態度」、「本質と現実存在の関係は──すくなくとも神学的モデルにおいては──つねに両方の運動を含みもっている、あるいは含みもっていてしかるべきである」

「存在論はいまでは本質と現実存在のあいだに張り渡された力の場となったということ」
「それ自体としては理論的には不可分なはずの二つの概念が、両者の関係がしだいに不分明になっていくのについれて離反してはまた接近しあう傾向を示しはじめているのである。」
「個体化の問題──すなわち個別的現実存在の問題──は、そこにおいてこれらの緊張が最大限の乖離に到達する場なのだ。」

 ギリシャとラテンとの二つの思考形態の問題は、興味深い。キリスト教を思想的に理解する上でもきわめて重要。また、個体化の意義もこれでよくわからようになる。

アガンベン・メモ(b26)

2・6
 ピュポスタシスの議論は、新プラトン主義からキリスト教神学・正統異端論争へ到達する。この第二章はいよいよ大詰めであり、あとはキリスト教神学における展開が問題になる。正統異端に加え、ラテン世界とギリシア世界。

「新プラトン主義的なヒュポスタシスの学説は三位一体神学において最終的な発展段階に到達する。」
「「ヒュポスタシス」という術語は父と子の違いを強調するためにアリウス派によっては使用されてきたものの」「最終的なアタナシオスから出発してのみ」「三位一の学説に含まれている存在論的関係を表現するのに使用されるところとなる。」
「それまでしばしば「ウーシア」と混同されていた「ヒュポスタシス」という語は、「ウーシア」からきっぱり区別されるようになる。」
「三つのヒュポスタシスないし現実存在は唯一の実体に関連させられる」

「ヒュポスタシスという概念の歴史」「激烈な抗争の歴史と混ざり合うようになる」
「最後に出現した定式は」「《単一のウーシア、三つのヒュポスタシス(unia ousia, tres hypostasis)》」

「問題が込み入ったものになったのは、ウーシアを翻訳するのにスブスタンティアという語を使用していたラテン西洋がヒュポスタシスよりも「ペルソナ(persona)」について語ることを好んでいたからであった。」
「テルトゥリアヌスの断固とした定式化」「tres personae, una substantia」
「カルケドン派[正統派]の教父たちの忍耐強い仲介活動のおかげもあって、ラテン教会とギリシア教会の対立は第一コンスタンティノポリス公会議[三八一年]でもって解消される。」「ヒュポスタシスとペルソナの区別は純粋に用語上の区別として承認されるようになる。」

ここで、ナジアンゾスのグレゴリオスの説教集からの引用が入る。
「・・・三つのヒュポスタシスという言葉は特性が三重に個体化されることを表現しています。・・・信仰の違いだと言われていましたが、じつは言葉の違いでしかなかったのです。」


「ヒュポスタシス」が「単一の神的実体における力ないし習性としてではなく、ヒュポスタシス的現実存在として理解されるべきであるということは、ニュッサのグレゴリオスによってはっきりと主張されている。」

現代宗教学の基本文献30

 ウェーバーとトレルチは、きわめて有名な問題設定であり、多くの議論が存在し、この2回ほど取りあげてきた、柳父は、ウェーバーの視点から、この問題を扱っていると言える。それに対して、トレルチの視点から、ウェーバーとトレルチの相違に焦点を合わせることも可能であり、たとえば、次の文献は、こうした議論を確認する上でも、注目すべきであろう。

近藤勝彦
『キリスト教弁証学』
教文館、2016年。

はじめに
序章 弁証学の課題と方法

第一部人間学の文脈におけるキリスト教の弁証 
第二部 歴史の文脈におけるキリスト教の弁証
第三部 近代世界の文脈におけるキリスト教の弁証
  はじめに──第三部の意味
  第一章「近代世界とプロテスタンティズム」という問題
  第二章 マックス・ヴェーバーの問題提起
  第三章 エルンスト・トレルチの格闘
  第四章 パウル・ティリッヒにおける「プロテスタント時代」批判
  第五章 ヴォルフハルト・パネンベルクにおける「近代成立史」の問題
  第三部の結語
第四部 新しい日本の形成の文脈におけるキリスト教の弁証
第五部 世界共通文明の文脈におけるキリスト教の弁証


あとがき
人名索引

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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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