聖書研究

 聖書研究という言葉は、大学などの研究の場だけでなく、教会などで一般的にも耳にするものであり、それは、日本のキリスト教においては、かなり広く行き渡っていると言ってよいだろう。それは日本のキリスト教にとってかなり重要なものであるにもかかわらず、そのあり方、問題点などについてテーマ的に論及されることは少ないと思われる。その点について、聖書から考える際に参考にできるにが、次の文献である。「聖書研究」について再考する作業が求められている。

B. J. Koet and A. L. H. M. van Wieringen (eds.),
Multiple Teachers in Biblical Texts,
Peeters, 2017.

・In Search of Teachers and Disciples
 Bart J. Koet / Archibald L. H. M. van Wieringen

・Moses as a Teacher: Participant tracking in Psalm 64.
 Christian Erwich / Eep Talstra

・Coping with Hellenistic Neighbours: Psalms 137-145: An initiation into royal warriorship
 Harm W. M. van Grol

・God as the Wise Teacher in Job
 Sehoon Jang

・The Triple-Layered Communication in the Book of Amos and its Message of Non-appropriation Theology
 Archbald L. H. M. van Wieringen

・Multiple Teachers and Disciples in Mt 8-9
 Solomon Pasala

・Multiple Communication Layers and the Ebigma of the Last Judgment (Matt 25.31-46)
 Laurí Thurén

・A Tale of Two Teachers: Jesus about Jesus and John the Baptist (Luke 7.18-25)
 Bart J. Koet

・Education and Teaching in John's Gospel
 Jan van der Watt

・Paul as a Recipient and Teacher of Tradition
 Peter J. Tomson

・Hillel as a Teacher: Sayings and Narratives
 Eric Ottenheijm

・Religious Teachers and Students on Biblical Teaching and Discipleship: An Account of a Recent Exploration
 Toke Elshop

Index of References

スポンサーサイト

AIと宗教

 生前にホーキング博士が、自律型AIの危険性について警告していたことは、しばしば言及されるところであるが、AIがもつ宗教的意味(個々の宗教にとっての、人間の宗教性にとっての、また宗教研究にとっての)は、必ずしも明瞭ではない。あるいは、まだ見通しが立たないというべきかもしれない。
 ともかくも、知見を集める必要がある。今回は、目に付いてた文献を一つ、紹介。タイトル(副題)は、この種の本にありがちなセンセーショナルなものであるが、中身は読み応えのあるもので、しかも、大著。

ニック・ボストロム
『スーパーインテリジェンス──超絶AIと人類の命運』
日本経済新聞出版社、2017年。

スズメの村の、終わりが見えない物語
原著まえがき
謝辞

第1章 人工知能の発展、現在の能力
第2章 スーパーインテリジェンスへの道程
第3章 スーパーインテリジェンスの形態
第4章 知能爆発の速さ
第5章 戦略的優位
第6章 卓越した認知能力を持つスーパーパワー
第7章 スーパーインテリジェンスの意思
第8章 人類滅亡:脅威は命運か
第9章 コントロール問題:超絶知能を制御できるのか
第10章 AIシステムの四つのタイプ:「オラクル」「ジーニー」「ソブリン」「ツール」
第11章 多極シナリオ:複数のスーパーインテリジェンスの世界
第12章 価値観の獲得
第13章 選定基準の選択
第14章 戦略的展望
第15章 試練の時

原著あとがき
訳者あとがき
原注
参考文献
索引

 AI問題は、少なくともインテリジェンスについて、つまり人間について、本質的に再考する機会になり得る点で、意義深いと言えるかもしれない。

宗教的多元性とキリスト教

 宗教的多元性の問題は、1970年代以降のキリスト教思想において、議論を行う前提に位置づけられるようになり、多くの問いが論じられてきた。伝統的な福音主義においても、この状況を視野に入れた思想形成が求められており、特に論点としては、キリスト教倫理(多元的社会におけるキリスト教的な生き方)が問題になってきているように思われる。

Bryan Stone,
Evangelism after Pluralism. The Ethics of Christian Witness,
Baker Academic, 2018.

Acknowledgements

1. Competing for Space in the World
2. On Ethics, Evangelism, and Proselytism
3. Evangelism, Empire, and Rival Citizenships
4. The Ecclesiality of Salvation
5. Evangelism and Pluralism in the Nation-State and Military
6. Evangelism and Nonviolence
7. The Pluralism and Pluralistic Theologies of Religion
9. Evangelism and Beauty

Epilogue: The Meaninglessness of Apologetics
References
Index

 本書の立場は、最後のエピローグなどで端的に示されている。参照されるのは、バルトであり、ウェスレー。アメリカならではの議論の展開?

『学術の動向』から

『学術の動向──科学と社会をつなぐ』 2018.6(日本学術会議)が届きました。
 11月に「古典精神と未来社会」分科会における「閑谷フォーラム」が企画されていることは、すでに述べましたが、実は、11月は、それ以外に2件の講演や発題が入ってしまい、大変な状況になりつつあります。一つは、同じ日本学術会議関係で、もう一つは京都哲学会で、いろいろな点を考えて、引き受けました。11月は、確かに忙しくなります。

 今回は、通常通り、二つの最初の特集は、かなり多くの方が論考を執筆しています。

【特集】 フューチャー・デザイン
 「フューチャー・デザイン」という言葉は、最近耳にすることがありますが、今回の特集は、それが何をめざしているのかを示すことが目的のようです。もちろん、デザインされるフューチャーとはなにかなど、哲学的な議論のテーマにもなりそうですが。

・「矢巾町におけるフューチャーデザイン」 (吉岡律司)
・「参加型フューチャー・デザイン討議実践に見る「仮想将来世代」の役割」 (原圭史郎)
・「仮想将来世代との対話で現在世代の選考は変わるのか?」 (齊藤誠)
・「未来人を呼び寄せる討議デザイン」 (西村直子・井上信宏・武者忠彦)
・「倫理と実験から長期の財政問題に迫る──フューチャー・デザインのもうひとつの展開」 (廣光俊昭)
・「フューチャー・デザインについての三つの課題」 (小林慶一郞)
・「世代間均衡問題の解決に高齢層が果たす役割」 (齋藤美松・亀田達也)
・「社会教育プログラムおよび意思決定プログラムとしてのフューチャー・デザイン」 (太田和彦)
・「将来世代を「包摂」する社会を創るフューチャー・デザイン」 (上須道徳)
・「国に地方の財政に関するフューチャー・デザイン」 (新居理有・中川善典)
・「フューチャー・デザインに基づくリスクコミュニケーション」 (倉敷哲生)
・「フューチャー・デザインを活用した住民全体のまちづくり手法の検討」 (武田裕之・杉野弘明)
・「政治制度のフューチャー・デザイン」 (肥野洋一)
・「『一行』で短期利益最大化行動を修正する──インドの社会的責任会計「革命」」 (鈴木智英)
・「イノベーションとフューチャー・デザイン」 (青木玲子)
・「新国富指標と政策決定」 (松永千晶・馬奈木俊介)
・「ニューロ・フューチャー・デザインの展望」 (青木隆太)

 「仮想世代」「未来人」。これは世代間倫理の議論にも関わるのか。あるいは先物取引とか・・・

 もう一つの特集は、以下の通り。
 こちらはかなり堅実です(印象は)。

【特集】地方創生時代の介護系大学のチャレンジ──介護学の変革

・「地域包括ケアシステム構築への高知県立大学の取り組み──地域医療介護総合確保基金事業を活用して」 (森下安子)
・「助産師卒後教育と宮城の助産師出向事業の体制づくり」 (佐藤喜根子)
・「看護とモノづくり──大分県立看護科学大学における三学連携推進の取り組み」 (村嶋幸代)
・「看護師と医療保険者の役割機能拡大による新たな慢性疾患ケア提供モデルの構築」 (森山美知子)
・「まとめ──地元の持続可能性を高める看護学」 (吉沢豊予子・綿貫成明)

■学協会の今──社会と向き合う3
・「社会と向き合う公益社団法人日本心理学会」
 (横田正夫)

『福音と世界』より(7月号後半)

 昨日の『福音と世界』 2018.7の前半紹介に続いて、本日は後半です。

 後半は、次の二つの連載の紹介ですが、まず、わたくしの連載からはじめます。

 わたくしの連載 「現代神学の冒険──新しい海図を求めて」 は、前回は、「科学技術の神学」系における「生命」をめぐる科学技術とそれに関わるキリスト教思想・神学の動向、具体的には、遺伝子工学を扱いました。今回は「生命」をめぐる第三番目の話題として環境──タイトルは「生命の神学3──環境倫理と動物倫理」──を取り上げます。生命倫理に対する環境倫理という言い方も可能ですが、同じ「生命」を論じながら、両者の発想はかなり異なります。ただし、環境神学というテーマについては、本連載でこれまでに取り上げてきたものであり(基本的な議論は終わっているとも言えます)、当然、同じことを繰り返すわけには行きません。今回は、動物倫理という観点から議論を行うという方針がとられました。議論はやや展開不足です(連載のどの回も基本的にそんな感じですが、今回は特にそうです)。
 見出し語は次の通り。
 ・環境の神学の基本原理とその意義
 ・動物倫理あるいは動物神学
 ・動物から環境へ

締めくくりは、いつものように、次の連載。

・内田樹 「レヴィナスの時間論」:「『時間と他者』を読む40」
議論は前回を受けて始まります。ハイデガーとの対論(相違)が今回も鍵になりますが、今回はそれにフッサール(「他我」説)が加わります。

ハイデガーの「共同存在」「共存在」の議論に対して。
「「共に」という手がかりを待たない関係、光に媒介されることのない関係、他者の他者性を毀損することのない関係、それが他なるものとの関係のほんとうのかたちなのだ。それは主体と死の関係と同じものだ。死は把持不能である。」
「死の本質は、主体がそれを引き受けることも先取りすることもできないということのうちに、永遠の切迫としてのみ経験されるという事実のうちに存する。」

 ここまでは、これまでの議論の範囲・延長。

「ここで私たちはレヴィナスの他者論・時間論のまったく新しい局面に足を踏み入れることになる。」
「光の中でものを見るという主体と対象の関係にレヴィナスが対置したのは、「エロス的関係」である。」
「主体とエロスの関係」
「エロス的関係の他にもう一つ、他なるものとの関係を記述するときの基盤を提供してくれるもの」「未来との関係」

「死とエロスと未来。それらはすべて主体によっては把持不能なもの」
「絶対的に他者的なものであるにもかかわらず、私たちはまさに日々、この一瞬一瞬も、それらの「他なるもの」の切迫の下に生きている。」
「最も身近なものが最も疎遠である。最も顕わなものが最も秘匿されている。最も日常的なものが最も言葉にし難い。」
「思考の「指紋」のようなもの」

 以上で、「出来事と他なるもの」と題された節は終わり。次の節は、「他なるものと他者」。
プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
カレンダー
05 | 2018/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR