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現代宗教学と人類学6

 現代宗教学と人類学(民俗学や社会学まで)に関わる研究は、日本でもかなり盛んであり、多くの研究成果が存在します。講義で宗教学を扱うとき、その事例として日本のものをしばしば取り上げますが、この事例については、こうした研究書を参照することになります。
 わたくしの手元にあるものを紹介します。まず、柳川啓一。

柳川啓一
『祭と儀礼の宗教学』
筑摩書房、1987年。

異説 宗教学序論

Ⅰ 宗教学へのパースペクティブ
 1 伝統社会の崩壊と宗教
 2 聖なるものと俗なるもの
 3 〈群〉の宗教学

Ⅱ 祭の宗教学
 1 祭にきそむ二つの原理
 2 祭の神学と祭の科学──会津田島祇園祭
 3 親和と対抗の祭──秩父神社夜祭

Ⅲ 生と死の儀礼
 1 盆と正月──儀礼の象徴的構造
 2 儀礼の空間 儀礼の時間
 3 エネルギーの連続──生と死
 4 先祖崇拝のゆくえ
 5 アメリカにおける日本仏教

Ⅳ 官の科学・野の科学
 1 文人姉崎正治
 2 姉崎正治と柳田国男
 3 柳田国男・折口信夫と構造主義

あとがき

 とくに、わたくしは、祭に関わる儀礼の扱いを参照した、記憶があります。
 その他に、次の本も、手元にあります。

柳川啓一
『宗教学とは何か』
法藏館、1989年。 

 どちらの本も、ちょうど、大阪市立大学で宗教学を担当していた頃のことであり、すみからすみまで、読みました。
   

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本日のボンヘッファー

梅雨の季節、激しい雨が続きます。コロナに加え、大変な状況です。大学はオンライン授業が継続中ですが、前期授業はあと少しになりました。

マンフレート・ヴェーバー編
『信じつつ祈りつつ──ボンヘッファー短章 366日』
新教出版社、1997年。

「重々うは縛られた手を持ち、自由は創造的である。(DBW6 288)
(7月9日)

 今回のボンヘッファーの言葉は、7月1日からの一連の「従順と自由」に関わる言葉の中にあり、7月11日まで続きます(同じ文献の同じページからの引用です)。7月1日の言葉の出だしにyれば、「イエスは、神の御前に従順な者として、また自由な者として立ちたもう」とありますので、基本的にはキリストに関わる記述ですが、それが人間の在り方へと展開されている、と言えるでしょう。神、イエス・キリスト、人間という議論の枠組みは、神学的に典型的なものです。

アガンベン・メモ(b46)

3・18
 ここでは、テーマとなっている「存在と様態の関係の正しい把握」という課題の意味が再確認されている。

「存在と様態の関係の正しい把握はアリストテレスの装置のアポリア、なかでも存在と言語活動の基本的な関係のアポリアを解消すること」

「ティ・エーン・エイナイ」「或るものの自己自身との同一性の関係」「エマとそれがエマであることとの関係」
「存在論的関係は存在者とそれが名指しされること、エマとそれがエマで言われること、エマとその《言表可能性》との間」「ストア」

「この関係はスコトゥスの形相的区別においても問題になっている」、「〈言表されるもの〉は」「存在者が言表されるかぎりで受けとるかぎりで受けとる質ないし性格である。」「名前はこでは事物のひとつの存在論的属性であって、外在的な目印ではない。」
「スコトゥスは、関係は関係するとは独立のそれ自体で存在するというアウグスティヌスのテーゼを新しい方向に発展させて、関係の存在をひとつの形相と定義しその形相の身分を"ens debilissimum"[このうえなく脆弱な存在者]と規定している。関係はなにか現実に存在するものであるが、すべての存在者のなかで最も脆弱な存在者である。」
「"ens debilissimum"とは〈言表されるもの〉のことであり、名前である。」
「スコトゥスがアウグスティヌスを踏襲して繰り返している誤りは、本質それ自体をなにか関係的と言われる存在の先に置かれるべきもの、そしてそのようなものとして関係的なものからは独立に考察され教授されうるものとしてとらえられてりるということである。」

「もしそうであっとしたら、キリストを愛することなしに神を愛することが可能である。」「エマと飛ばれる個別性(エマの現実存在)を愛することなしにエマの自己自身との同一性(エマの本質)を愛することが可能である、ということになってしまうだろう。そしてこの誤りはこのようにただちに論駁されることとなる。」

「様態的存在論のコンテクスト」では、「本質は関係的なものなしには存在しえず、存在は存在者なしには存在しえない。」
「エマは人間の本質が個体化されたものではなく、あくまでひとつの様態であるかぎりで、それが現実に存在するなかで名前をもつこと、言語活動のなかに存在することを必要としている存在者なのだ。」

 本質の個体化という議論の組み立てが問題あるとして、これは、存在の秩序という組み立てがそれを規定している。認識の秩序では、名前を持つ個体が先行する。この認識を存在論へと逆転させる思考が問われている。

雑誌紹介59

関西哲学会から、学会誌が届きました。

関西哲学会
『アルケー』(関西哲学会年報)No.28
2020年。

<共同討論/「デモクラシー」を論じる:プラトン『国家』の解釈をめぐって>
・趣旨説明 (松田毅)
・「哲人王とデーモクラティアー
  ──プラトン『国家』『プラトン『国家』:逆説のユートピア』の余白に」
 (内田勝利)
・「シュトラウスのプラトン『国家』解釈
  ──内山氏の読解との比較を交えながら」
 (坂井礼文)

<ワークショップ報告>
・「いま日本で哲学するということ」
 (井上克人)
・「いま日本で哲学するということ
  ──試みとしての〈冥顕の哲学〉」
 (末木文美士)
・「表現的媒介の論理
  ──日本で哲学するということ」
 (岡田勝明)
・「日本哲学の水脈」
 (安部浩)

<論文>
7編(タイトル省略)

 関西哲学会の学術大会には、この数十年、出席できていないが(時期がほかと重なることが多く・・・)、学会誌はなんとか、拝見したいます。

現代宗教学と人類学5

 宗教学と緊密に関わる人類学と言ってもさまざまであるが、どうしてもはずせない一人としてあげるべきは、レヴィ=ストロースであろう。当然は、わたくしの手元にも、何冊かの文献が存在する。

クロード・レヴィ=ストロース
『構造人類学』
みすず書房、1972年。

クロード・レヴィ=ストロース
『野生の思考』
みすず書房、1976年。

Claude Lévi-Strauss,
Tristes Tropique,
Penguin Books, 1955(1973).

C・レヴィ=ストロース
『アスディワル武勲詩』
青土社、1993年。

 このほかに、研究室ではなく、自宅まで範囲を広げれば、『今日のトーテミズム』『構造・神話・労働 クロード・レヴィ=ストロース日本講演集』が、身近にある。

 これらの中で、わたくしが、お気に入りなのは、『アスディワル武勲詩』であるが、それ膨大な著作を考えれば、レヴィ=ストロースについてのわたしの知識は、ほんとうに限られたものである。
プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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