現代宗教思想の一断面

 本ブログでは、現代宗教やその思想動向については取り上げることはあまりないが、今回は、先日、贈呈いただいた文献を紹介してみたい。
 近現代はインド哲学・インド思想としては、日本でもラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダなどが知られているように思われるが、同じ不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)に系譜にたつ現代のマスターに、ジャン・クライン(Jean Klein, 1912-1998)が存在する。

ジャン・クライン(伯井アリナ訳)
『われ在り I AM』
ナチュラルスピリット、2017年。

はじめに
読者の皆さまへ

1~19章

訳者あとがき

 この著書 I AM は、前著Neither This Nor That I Am の再編集とのことであるが、「訳者あとがき」によれば、「その著書の多くは彼が世界各地で行った集会やセミナーでの対話をテーマごとに編集したもの」になっており、「本書もその中の一つ」とのことで、本書は、タイトルのない、19の章から構成されている。

 次の言葉などは、インド思想の一つの伝統がよく現れているように思われる。

「19
 人間はその人生の中で、多くのことを自問します。しかし、それらはすべて、一つの問い「私は誰か?」をめぐるものです。あらゆる疑問はこの一つの問いから生まれます。ですから、「私は誰か?」という問いへの答えはすべての問いへの答え、究極の答えなのです。」(210)
「「私」のイメージは心神と同一視されています。」(210)
「「私は誰か?」という問いは「われ在り」(I AM)から湧き上がってきます。その答えは、私たちが質問する前からすでに存在しています。実を言うと、その問いは、答えから生じたものなのです。」(212)

 このインド思想的な思考、どこかで触れた記憶があるでしょうか。これは、ティリッヒが『組織神学』で指摘している「問いと答え」の関わりとみごとに重なります。

 伯井さん、ありがとうございました。
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宗教経験・身体・心・変容

 宗教経験を論じるにはさまざまな視点を設定できるが、そこに身体・心が密接に関与し、しかも、その変容が問題になること、さらにそれが技法として伝承されることについては、それにふさわしい議論が必要なことは疑いない。こうした点で、興味深い先駆的な議論を蓄積してきているのが、「身心変容技法研究」である。
 実は、昨年は、わたくしに周辺のさまざまなごたごたを処理する関係で、本ブログで紹介し忘れていたが、今回は、忘れずに紹介しておきたい。内容は多岐にわたっており。どこから読むかはさまざまな形があり得るだろう。


『身心変容技法研究』第6号
(身心変容技法と霊的暴力──宗教経験における負の感情の浄化のワザに関する綜合的研究 年報)
2017年3月31日。

科研研究年報誌『身心変容技法研究』第六号刊行にあたって (鎌田東二)

第一部 霊的暴力と魔
   「悪魔」と「魔境」──悪魔論Ⅰ (鎌田東二)
   キリスト教と霊的暴力とその乗り越え (船曳建夫)
   仏教と霊的暴力とその乗り越え (藤田一照)
   日の丸・君が代が規律づける身体と精神──卒業式等での処分事件が続くのはなぜか? (島薗進)
   「霊的苦しみ」の問題から「悪」の問いへ──「霊的暴力」論のために (鶴岡賀雄)
   研究ノート:パーリ文献にみられる悪魔の位相──サニュッタ・ニカータを中心にして (井上ウィマラ)

第二部 身心変容と芸術・芸能
   太極拳套路における動作の漸進的可視化──中国河南省新郷市における陳式太極拳練習グループの調査から (倉島哲)
   心理療法における否定的なものへの関わりとその逆説 (河合俊雄)
   「作ること」と身心変容──木村衞素-糸賀一雄の思想的つながりを通して (門前斐紀)
   自然体験と身心変容──「もの派」研究からのアプローチ (秋丸知貴)
   我が俳句における身心変容 (堀本裕樹)
   風景異化と身心変容─偉智─見えないものから見えるものへ:生命表象学試論 (花村周寛)
   学習しつつ偉智ある身体を記述する──稽古の現象学試論 (奥井遼)
   共鳴~隻手の声──認識における共鳴の役割、観想的経験からのアプローチ (忠岡経子)
   国際シンポジウム「世阿弥とスラニスラフスキー」──
      レオニード・アニシモフ、セルゲイ・ヤーチン、松岡心平、内田樹、松嶋健、鎌田東二

第三部 身心変容を科学する
   体育と教育と医療──オリンピックの可能性 (稲葉俊郎)
   慢性疼痛とマインドフルネスの観点から負の感情の浄化と霊的暴力 (林紀行)
   「畏敬の念」は攻撃行動を生ずるのか?──個人・集団間葛藤の予防に向けた予備的考察Ⅱ (野村理朗)
   分子生物学的視点からみた外的ストレスと恒常性維持 (古谷寛治)
   神経科学と身心変容──分子・神経回路から世界史まで (松田和郎)
   音楽療法における身心変容の諸相──医学・トランス・強度 (坂上正巳)
   東洋医学の治療と音──気滞、瘀血を動かす音 (中田英之)

第四部 身心変容と心霊的体験と洞窟
   オーウェン『自伝』他の未邦訳部分──解説と抄訳 (津城寛文)
   汝の母なる神に礼拝せよ──ヒンドゥー・タントラにおける聖なる性 (永沢哲)
   南方熊楠の心霊研究と身心変容体験──那智隠栖期を中心に (唐澤太輔)
   中国の洞窟観念と身体の問題──洞天思想をめぐって (土屋昌明)
   日本人の臨死体験と臨死体験後に辿る過程──二〇事例における質的研究の結果から (岩崎美香)
  
「きわめて創造的な共同研究を彷彿とさせる論集・年報である。本ブログのテーマとも、いくつかの点で接し合うものとして興味深い」は、2年前の4号への観想ですが、今回も、まさに同様です。付け加えれば、身心変容ということであれば、修道院・修道神学・修道文学を集中的に取り上げるのも一つのやり方ではないか、とも感じられた。

アーミッシュ研究

 先日、『旅する教会──再洗礼派と宗教改革』を書評を行い、『本のひろば』の最新号に掲載されましたが、このたび、人を介して、詳細なアーミッシュ研究を寄贈いただきました。フィールド研究をもとにした研究報告で、アーミッシュの生活・宗教が多くの写真を含めて、いきいきと伝わってきました。

鈴木七美
『アーミッシュたちの生き方──エイジ・フレンドリー・コミュニティの探求』
国立民族学博物館・調査報告141
国立民族博物館、2017。


序章

第1章 様々なアーミッシュたちの登場──信仰表現としての正確実践の選択
第2章 学びの意味の探求
第3章 エイジング・イン・プレイスの実践──生きる場を慈しむ時間
第4章 ケアと楽しみと居場所──パッチワーク・キルトのある生活
第5章 遙かな人々とのコモンズへ──テンサウザント・ヴィレッジズの物語

終章──ウェルビーイングとエイジ・フレンドリー・コミュニティ


引用文献
謝辞
著者紹介

 各章が、かなりまとまった分量と内容になっており、文献表を含めて、250頁の報告書である。章レベルではなく、節レベルの紹介をするとよい内容がイメージしやすくなるとは思われるが、今回は、省略させていただいた。
 このようなフィールド調査に基づいたキリスト教研究が広がれば、日本のキリスト教研究ももっと豊かになるのではないだろうか。

宗教哲学と死者

 死・死者、苦・苦難は、古来、重要な思想的なテーマとして存在し、無数の思索ななされてきた。これは、宗教思想においてはとくにそうであり、この状況は、近年、さらに高まりを見せている。宗教哲学の存立にとって、このテーマは中心的な位置を占めていると言っても過言ではない。本ブログでも、しばしば取り上げてきた通りである。
 こうした思索に新たな研究成果が提出された。今回は、次の文献を紹介したい。

佐藤啓介
『死者と苦しみの宗教哲学──宗教哲学の現代的可能性』
晃洋書房、2017年。

序章 現代において宗教哲学は可能なのか?

第一部 悪をこうむる経験を考える
  第1章 不可能な赦しの可能性──赦しの解釈学
  第2章 暗い記憶の行き場──死者と復讐

第二部 死者の記憶の場を考える
  第3章 汝、死者を忘るるなかれ──公共空間と死者
  第4章 死者は事物に宿れり──死者の記憶の場としての世界

第三部 苦しむ経験を考える
  第5章 自然悪の苦しみと宗教哲学──神義論的問題の再編成へ向けて
  第6章 苦しみの叫び声は何を求めているのか──苦しみの現象学
  第7章 不幸と抗議──抗議の神義論的考察
  第8章 死という悪に死者は抗議できるのか


凡例・文献一覧
あとがき

 死と苦、重いテーマである。しかし、確かに現代的である、と言えるかもしれない。数ヶ月前に、紹介した、粟津賢太さんの『記憶と追悼の宗教社会学──戦没者祭祀と成立と変容』(北海道大学出版会)を思い起こした。
 また、現代という時代は、宗教哲学が困難な時代であるとの認識も多くの人々が共有するものかもしれない(困難の認識や理由づけはそれぞれであろうが)。わたくしも、昨日の特殊講義「キリスト教思想と宗教哲学」では、宗教哲学の困難から、話を始めた。
 

現代世界と宗教

 現代世界はグローバル化における単一化圧力と多元化の促進という一見相反するベクトルがせめぎ合い、複雑な動態を描いている。その中で、宗教はそのファクターの一つとして、あるいは重要なプレイヤーとして存在する。ここに、多元化社会という現実と、共生あるいは対話という課題が浮かび上がる。
 こうした問題意識は、1980年代頃から共有されて現代にいたっており、その間、すでに多くの議論が蓄積されてきた。日本の宗教研究においても同様であり、2014年の日本宗教学会・第73回学術大会(同志社大学)でのテーマは、「宗教と対話──多文化共生社会に中で」であった。この問題に対する日本宗教学会における本格的な取り組みは、さらに10年前の国際宗教学宗教史会議第19回世界大会(2004年、東京にて)に遡るであろう(あるいはさらに、2001年の『宗教研究』の特集号のテーマは、「近代・ポスト近代と宗教的多元性」であった。この特集号には、わたくしの論文が掲載されている)。
 2014年の同志社大学での日本宗教学会・学術大会の成果とその発展を内容とした論集が、刊行されたので、紹介したい。

小原克博・勝又悦子編
『宗教と対話──多文化共生社会に中で』 
2017年、教文館。

巻頭言 (小原克博・勝又悦子)

第Ⅰ部 様々な対話の可能性
  第一章 国際政治から見た宗教研究への期待 (村田晃嗣)
  第二章 社会福祉におけるスピリチュアリティ──宗教と社会福祉の対話 (木原活信)
  第三章 宗教と対話──多文化共生社会の可能性と宗教間教育の意義 (小原克博)

第Ⅱ部 宗教間・文化間の対話
  第四章 宗教間対話運動と日本のイスラーム理解 (塩尻和子)
  第五章 エジプトにみる聖家族逃避行伝承をめぐる宗教共存──ムスリムとコプト正教徒の関係 (岩崎真紀)
  第六章 イスラームの平和──慈悲と慈愛の信仰構造を通して (四戸潤弥)

第Ⅲ部 「民主主義」との対話
  第七章 ユダヤ教文献にみる「自由」と「支配者」像──多文化共生への他者理解に向けて (勝又悦子)
  第八章 中世ユダや思想における「民主主義理解」──アバルヴァネルを中心に (平岡光太郎)
  第九章 イスラームと奴隷 (森山央朗)

あとがき (小原克博)

 キリスト教・ユダヤ教・イスラームを中心とした問題領域における多様な動向が視野に入れられた論集である。こうした論集をもとにして、それを理論的なレヴェルで集約する作業が今後必要になるように思われる。 
プロフィール

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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、今後開設の別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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