カント研究より

 カント哲学は、近代以降のキリスト教思想にとって、現代に至るまで重要な意義を持ち続けている。したがって、カントj研究は、キリスト教思想研究にとって関心事となるわけであるが、今回は、研究よりも広い観点から必要となった研究書を紹介したい。コンパクトな内容で、やや古い研究ではあるが、カントとキリスト教思想との関わりを考える上でも、参照すべきものと思われる。

Allen W. Wood,
Kant's Rational Theology,
Cornell University Press, 1978 (2009)

Preface
Introduction 
1.The Idea of Pure Reason
  The Ideal of Pure Reason
  The Ground of All Possibility
  The Divine Attributes
2.The Three Theistic Proofs
  Kant's Strategy
  The Ontological Proof
  The Cosmological Proof
  The Physicotheological Proof

Concluding Remarks
Index
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民族、宗教、ナショナリズム

 以前、アフリカのキリスト教というテーマで、『アフリカのキリスト教──ひとつの解釈の試み』(教文館)を紹介したが、この文献の著者であるエイドリアン・ヘイスティングズのほかの著作を調べていて、次の文献が目にとまり、入手してみた。ヘイスティングズのアフリカ研究の宗教学的理論根拠とも言える内容であり、これについても、紹介しておきたい。

Adrian Hastings,
The Construction of Nationhood. Ethnicity, Religion and Nationalism,
Cambridge University Press, 1997.

Preface
1 The nation and nationalism
2 England as prototype
3 England's western neighbours
4 Western Europe
5 The South Slavs
6 Some African case studies
7 Ethnicity further considered
8 Religion further considered

Notes
Index

 ヘイスティングスは、イギリスとアフリカのキリスト教史を研究の中心においている研究者(Emeritus Professor of Theology, University of Leeds, -2001)であるが、歴史研究・事例研究は、それらを解釈する理論的な枠組みが必要となり、本書は、その一端に関わるものである。

西田田辺記念講演会より

 例年、6月の第一土曜日には、西田田辺記念講演会が開催されている。今年も、先週土曜日に行われ、西田哲学についての講演と田辺哲学についての講演が行われた。わたくしの仕事の関係で、前半の西田についての森哲郎さんの講演のみを聴くことができたが、二つの講演の題目は、次の通り。

 森哲郎 「西田幾多郞における「表現」思想──『善の研究』の成立と転回」
 嶺秀樹 「初期田辺の反省理論──西田批判の背景にあるもの」

 森さんの講演は、まさに西田哲学研究のスタイルでの専門研究であり、とくに西田を専門にしない者には、学ぶ点が多く有意義であった(必ずしも、十分に理解できたというわけではないが)。
 特に、次の点については、さらなる議論が必要のように思われた。

・「表現」モチーフについて。
 今回の講演は、西田哲学を最初から最後まで貫くものとして、表現と脱自の二つのモチーフが存在するというテーゼが提出され、それを論証するという仕方で進められ、講演後の質疑では、「表現」概念の理解をめぐって議論がなされた。おそらく、この議論を深めるには、概念とモチーフとの関係を整理することが有益であったのではないだろうか。思想史研究におけるモチーフ研究の方法を西田に適用する際の方法論的議論が必要ということであろう。ここが省略されるとせっかくの論叢がかみ合わないことになる(と感じられた)。

・講演原稿ともに配布された資料に、1936年に「中央公論」掲載の「鎌倉雑談」が掲載されており、その中の、「「歴史的実在」といふものは実は我々の日常の行動的生活そのままのことなのだ」、「真の日常」、「平常心是れ道」「平常心といふことのほかになにがあるか」とあること、これが西田の「平常底」に関わることが指摘された。
 この点は、突き詰めた考察が必要だろう。西田、禅、日常(平常)という連関は、そもそも何なのか。日常と「平常」とは、位相がすれてずれていないのか。

アーミッシュ研究の広がり

 以前(4月22日)、本ブログで紹介した、『アーミッシュたちの生き方──エイジ・フレンドリー・コミュニティの探求』の著者である鈴木七美さん(国立民族博物館)から、その後、関連研究の雑誌やコピーを送っていただいた。日本における再洗礼派・アーミッシュ研究に関連する研究として貴重なものであるので、紹介したい。

1.Nanami Suzuki (ed.),
The Anabaptist Idea and the Way of Practicing Care. Reconsidering the Meaning of Life in the 21st Century,
(Senri Ethnological Studies 79)
Nationai Museum of Ethnology, 2012.

 I Idea and Practice of Care Extended by Anabaptist People: Cooperation toward Developing Various Methods of Communication (Nanami Suzuki)
 II The Amish Way of Life in Modern American Society (Stephen E. Scott)
 III Analyis of Amish Family-Basedd Education: Through the "Children's Section" of Family Life Magazine (Chiho Oyabu, Toshiharu Sugihara)
 IV A Confluence of Alternatives: The Merging of Mennonites and Peace Projects in Kenya (Shin-ichiro Ishida)

List of Contributors

2.鈴木七美
 「コミュニティ創生と健康・治療・食養生──18から19世紀南部におけるモラヴィア教徒の軌跡から」 (常松洋ほか編 『アメリカ史のフロンティア I アメリカ合衆国の形成と政治文化──建国から第一次世界大戦まで』 昭和堂、2010年、78-102頁)。

3.鈴木七美
 「キリスト教非暴力・平和主義の底流──再洗礼派メノナイト・アーミッシュ」(綾部恒雄監修・編 『結社の世界史5 クラブが創った国アメリカ』 山川出版社、2005年、84-96頁)。

4.鈴木七美
 「ダイジェスト・コスモロジーの近代──食と健康」(池上良正ほか編 『岩波講座 宗教7 生命─生老病死の宇宙』 岩波書店、2004年、213-239頁)

 全体として、再洗礼派の歴史と現在、教育・食・健康・生命・平和といった主題で展開される研究であり、キリスト教研究あるいは宗教研究とも、多くの接点が存在する。今後、さまざまに参照させていただくことになるものと思われる。

現代宗教思想の一断面

 本ブログでは、現代宗教やその思想動向については取り上げることはあまりないが、今回は、先日、贈呈いただいた文献を紹介してみたい。
 近現代はインド哲学・インド思想としては、日本でもラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダなどが知られているように思われるが、同じ不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)に系譜にたつ現代のマスターに、ジャン・クライン(Jean Klein, 1912-1998)が存在する。

ジャン・クライン(伯井アリナ訳)
『われ在り I AM』
ナチュラルスピリット、2017年。

はじめに
読者の皆さまへ

1~19章

訳者あとがき

 この著書 I AM は、前著Neither This Nor That I Am の再編集とのことであるが、「訳者あとがき」によれば、「その著書の多くは彼が世界各地で行った集会やセミナーでの対話をテーマごとに編集したもの」になっており、「本書もその中の一つ」とのことで、本書は、タイトルのない、19の章から構成されている。

 次の言葉などは、インド思想の一つの伝統がよく現れているように思われる。

「19
 人間はその人生の中で、多くのことを自問します。しかし、それらはすべて、一つの問い「私は誰か?」をめぐるものです。あらゆる疑問はこの一つの問いから生まれます。ですから、「私は誰か?」という問いへの答えはすべての問いへの答え、究極の答えなのです。」(210)
「「私」のイメージは心神と同一視されています。」(210)
「「私は誰か?」という問いは「われ在り」(I AM)から湧き上がってきます。その答えは、私たちが質問する前からすでに存在しています。実を言うと、その問いは、答えから生じたものなのです。」(212)

 このインド思想的な思考、どこかで触れた記憶があるでしょうか。これは、ティリッヒが『組織神学』で指摘している「問いと答え」の関わりとみごとに重なります。

 伯井さん、ありがとうございました。
プロフィール

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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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