FC2ブログ

グラーフ博士来日記念講演集

 昨年10月に、来日し、日本の各地で講演を行った、グラーフ博士の来日記念講演集が刊行されました。京都大学での講演も収録されています。最近のコロナウィルス対応で忙しくしている関係か、グラーフ博士の来日からまだ半年しか経過していないことに驚かされます。

フリードリヒ・ヴィエウヘルム・グラーフ(安酸敏眞監訳)
『真理の多形性──F・W・グラーフ博士の来日記念講演集』
北海学園大学出版会、2020年。

訳者まえがき

第一部 講演編
 第一章 ヨーロッパの多様性とEUの現状
 第二章 宗教とグローバル化
 第三章 人文学の学問性をどのように担保するのか
      ──研究不正と戦うためにのガイドライン
 第四章 十九世紀ドイツの学問的神学をめぐるパラドクス
 第五章 トレルチ『社会教説』の現代的意義
 第六章 イエスを信じること、イエスが私たちを信じること
      ── 『マタイによる福音書』第十六章十三─二十節についての説教

第二部 論文編
 論文一 真理の多形性
      ──ドイツ文化プロテスタンティズムの今日的意義について
 論文二 近現代の宗教を解釈する
      (『神々の帰還─近現代文化における宗教』より一部抜粋)

[付録] 私の「日本滞在記」

解題 グラーフ博士と「真理の多形性」
フリードリヒ・ヴィエウヘルム・グラーフ教授 主要業績

索引

スポンサーサイト



日本において神学すること

キリスト教は宣教タイプの宗教であり、その理論と実践の隅から隅まで、「宣教」というテーマが関連づけられている。日本でキリスト教神学に関わる場合も同様であり、宣教と神学は基本的な構造体を形成していると言える。この構造体の健全さをいかに確保するかは、日本で宣教し、あるいは日本で神学する際の基本的課題となる。
 こうした点を意識した試みに、日本キリスト教会大森教会の「大森講座」を挙げることができるであろう。
 「「大森講座」創設のご挨拶」には、次のように述べられている。

「私共の日本基督教会大森教会は、ことし教会建設七十周年、伝道開始八十周年を迎えました。その記念事業の一つとして「大森講座」を創設しました。
 教会は伝道しなければなりません。そしてその伝道がみ旨にかなってすすめあっれて行くために、絶えずみずからの信仰を検証して行く必要があります。それを怠るとき、神のみ業であえう伝道が人間によって、なされる危険にさらされます。それゆえ旺盛な伝道心が、私共の教会の伝統に立つ生き生きした神学によって検証され、あわせてそれによって裏打ちされなければなりません。」(一九八五年九月)

 以上の神学の課題に、若い神学者の研鑽を助ける意図で行われているのが、毎年秋に、若手神学者を講師として開かれる「大森講座」である。この講座は、印刷され公刊されてきているが、すでに35回を数えている。

 上にその一部を取り上げた「「大森講座」創設のご挨拶」の文章は、第6回講座が刊行された次の文献から引用された。

田部郁彦
『カール・バルトにおける神認識の特徴』(大森講座Ⅵ)
新教出版社、1991年。

「大森講座」創設のご挨拶

はじめに
第一部 『知解を求める信仰』における神認識
 第一章 神認識の必然性
 第二章 神認識の可能性
 第三章 神認識の諸条件
 第四章 神認識の方法

第二部 『教会教義学』における神認識
 第一章 神認識(人間の神認識の遂行)
 第二章 神の認識可能性(人間は神を認識することができるということ)
 第三章 神認識の限界


参考文献
あとがき

 神認識が救済と関連付けられるすれば、第一部は、救済の必然性、救済の可能性、救済の条件と方法(救済の現実性)と解することができるだろうか。この三つの論点から、諸宗教を比較するとどうなるだろうか。

カール・バルトと日本

 日本は通常、キリスト教があまり受容されていない国であると思われている。実際、信徒数などデータに基づけばそうである。しかし、日本にはキリスト教思想を深く理解し、熱烈に受容する伝統が存在する。とくに、カール・バルトという神学者は、日本において少なからぬ熱心な読者を獲得しており、それは、これまで日本において、優れたバルト研究が生み出されてきたことに端的に現れている。
 今回、取り上げるのは、そうしたことを裏付けるのにふさわしい書物である。大きな書物ではないが、バルトと日本人(訳者)の深い交流が示されている。

カール・バルト著、永井春子訳
『ラジオ講座 今日の時代における個人』
一麦出版社、2009年。

Ⅰ 今日の時代における個人
Ⅱ Professor. Dr. Karl Barth / Basel 1958.2.10
   親愛なる永井牧師!

あとがき

 多くの写真とバルトの自筆原稿が収録された美しい書物である。
 永井春子牧師の夫、永井修牧師とは、父との関係から、交わりの機会があり(牧師の研修会、西部連合長老会・改革長老教会協議会関西地区会で講演を頼まれた。2004年の暑い夏の日であった)、懐かしい想い出である。

本日のボンヘッファー

今週は、「本日のボンヘッファー」の記事が多くなっています。本日も小山に来ていますが、小山からは、「本日のボンヘッファー」の記事にしたいと考えています。使うのは、次の文献です。

マンフレート・ヴェーバー編
『信じつつ祈りつつ──ボンヘッファー短章 366日』
新教出版社、1997年。

「イエスにとって問題は、新しい倫理的な理想を打ち立てたり、それを実現したりすることではない。つまり、何らかの自分の善なる存在などというようなものではなく、ただ人間に対する神の愛である。それゆえ、イエスは自ら人間の罪責の中に入り、彼らの罪責を自ら背負うことができるのである。」(DBW6 232)
(3月11日)

本日は、これから小山教会で母の葬儀を行います。日本全体で、3月11日は、大変な日になっています。

本日のボンヘッファー

昨日に続いて、次の文献より、ボンヘッファーの言葉を引用します。

マンフレート・ヴェーバー編
『信じつつ祈りつつ──ボンヘッファー短章 366日』
新教出版社、1997年。

「神が何を約束され、また何を成就されるかを知るためには、繰り返し繰り返し、本当に長時間をかけ、しかも極めて静かに、イエスの生涯・言葉・行為・苦難、そして死を思いつつ、その中に深く沈潜して行かねばならない。」(WE 210)
(3月8日)

本日は、これから小山教会の礼拝に出席し、その後京都に戻ります。
プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
カレンダー
03 | 2020/04 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR