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本日のボンヘッファー

次の文献より、ボンヘッファーの言葉を引用します。

マンフレート・ヴェーバー編
『信じつつ祈りつつ──ボンヘッファー短章 366日』
新教出版社、1997年。

「弱い者が強い者を必要とするだけではなく、強い者もまた弱い者なしには存在しえない。弱い者を排除すれば、それは交わりの死である。」
(8月4日)

 強さと弱さというテーマは、パウロにも見られるものであり、キリスト教思想のさまざまな文脈で問題になるものです。ここでボンヘッファーは、強い者と弱い者との「交わり」について述べていますが、その意味で、強さと弱さは関係概念と言うべきかも知れません。あるいは相関的な相対的概念とも言えます。
 しかし、そもそも、強さあるいは弱さとは、何を意味しているのでしょうか。信仰や神観念について、しばしば、強弱や大小が問題になることがありますが、これらは、問われるべき事柄を論じるために設定された対比であって、その適切性が問われるべきでしょう。
 今日も、京都は38度の猛暑という予報ですが、この時期は、身心の弱さを感じる頃であり、一日を元気に過ごしたいものです。 
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『図書』から

 『図書』(2019.8、岩波書店)が届きました。
 最近は、本ブログで紹介するようなエッセイが少なくなっていたので、久しぶりの『図書』紹介です。

 今回、紹介したいのは、次のエッセイです。
・宮田光雄
「丸山真男とボンヘッファー──一つの《架空の対話》」(p.2-5)

 副題にあるように、丸山とボンヘッファーとの対話といっても「架空」のものであり、著者の思索の中での問いではあるが、丸山がボンヘッファーに関心・共感をもっていたことは、この架空の対話を構想するのに十分な根拠となるだろう。

 焦点は、「神学者ボンヘッファーが、どうしてヒットラー暗殺をも視野に入れた抵抗運動に関わりえたか」の問いであるが、議論は、ウェーバーの「責任倫理」の「深み」を経て、またカール・シュミットに触れながら、ボンヘッファーの「責任を負う行動」に至る。

「自分自身の行動の善悪をサイス油滴には自分では知らない。ただ[罪の赦しという神の]恵みにのみ、より頼む。・・・その行動を神の御手に委ね、神の恵みと裁きによって生きる。」

「いっさいの自己正当化を断念したものの謙虚さと自制、神にたいする信頼ゆえの落ち着きと勇気──こうした逆説的な結びつき」が、著者の問いへの回答であり、この「生きさま」が丸山を強く引きつけた、ということである。

 以上の議論を展開するのに、ボンヘッファーの『倫理』を取り上げたのは、著者の慧眼であろう。思索は、倫理をさらに遡ることになるだろう。

キリスト教思想の焦点としての言語17

 これまで、メタファー論などを中心に、宗教言語の問題に関わる文献を取り上げてきた。もし、宗教言語の射程がレトリック論から認知に関わる諸問題(宗教的実在論や真理論も含めて、美的経験や道徳や行為まで)に及ぶとすれば、その連関は、心理学、認知科学や脳科学にまでたどれるはずであり、実際、議論はそうした広がりの中にある。

芳賀純・子安増生編
『メタファーの心理学』
誠信書房、1990年。

まえがき
第1章 メタファーの芸妓と研究課題
第2章 メタファー研究の方法
第3章 比喩理解の構造
痔4章 比喩理解の発達
第5章 数学のメタファーと学校の言語ゲーム
第6章 言語学における比喩研究の最近の動向から
第7章 臨床治療場面におけるメタファー

付録 メタファー研究のための文献案内

あとがき
人名索引
事項索引

この時期から、宗教言語と認知という問題は一つの研究テーマとなりつつあった。

Pascal Boyer (ed.)
Cognitive aspects of religious symbolism,
Cambridge University Press, 1993.

議論は、当然、脳へと及ぶ。

Terrence W. Deacon,
The Symbolic Species. The Co-evolution of Language and the Brain,
W.W.Norton & Company, 1997.

キリスト教思想の焦点としての言語16

シュヴァイカーの3冊目です。
 
William Schweiker,
Theological Ethics abd Global Dynamics. In the Time of Many Worlds,
Blackwell, 2004.

Acknowledgements

Introduction

Part I Creation and World-Making
1 Global Dynamics and the Integrity of Life
2 Pluralism in Creation
3 Reconsidering Greed

Part II Time and Responsibility
4 Timing Moral Cosmologies
5 Love in the End Times
6 From Toleration to Political Lives

Part III Imagination and Conscience
7 Sacred Texts and the Social Imaginary
8 Comparing Religions, Comparing Lives
9 On moral Madness

Postscript
10 Presenting Theological Humanism

Select bibliography
Index of Names
Index of Scripture
Index of Subjects

 20世紀末から21世紀にかけてのキリスト教思想の問題状況がよく現れている。

キリスト教思想の焦点としての言語15

 シュヴァイカーの2冊目です。
 
William Schweiker,
Responsibility & Christian Ethics,
Cambridge University Press, 1995.

General editor's preface
Acknowledgements

Introduction

I The Context of Responsibility
1 Responsibility and moral confusion
2 A new ethics of responsibility

II The Theory of Responsibility
3 The idea of responsibility
4 Theories of responsibility
5 Moral values and the imperative of responsibility
6 Freedom and responsibility
7 Responsibility and moral identity

III The Source of Responsibility
8 Power, responsibility, and the divine
9 Responsibility and Christian Ethics

Notes
Select bibliography
Index

 H.R.ニーバー、リクール、ティリッヒが、議論は背景にある。

プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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