旅とキリスト教

 旅をキリスト教は、さまざまな仕方で関連している。バニヤンの『天路歴程』(The Pilgrim's Progress)は典型であるが、そのモチーフは、遠く旧約まで遡る。

「12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。」(創世記)

 つまり、キリスト教と旅について考える場合、人生自体が旅であるというメタファーとともに、現実の「旅」の在り方に注目する必要がある。こうした点で、参照できるのは、たとえば、次の文献である。

・阿部謹也『中世を旅する人びと ヨーロッパ庶民生活点描』ちくま学芸文庫。
・関哲行『ヨーロッパ中世4 旅する人びと』岩波書店。

 こうした旅する人びとに注目するとともに、重要なのが、点在する「都市」の存在とそのネットワーク、そして中央と辺境の差異化である。その中で、教会は定住的なイメージとなる。

 しかし、次の文献も忘れることが出来ない(すでに本ブログでも紹介済み)。教会自体が旅をすることもある。

・永本哲也ほか『旅する教会 再洗礼派と宗教改革』新教出版社。

 もし、人生が旅であるとするならば、人間はその中でことさらに旅に出たくなるのか(ポール・ニザンの「アデン・アラビア」か)。それは、人生という旅を確認するためだろうか。
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キリスト新聞から

KiriShinThe Kirisuto Shmbun,キリスト新聞、第3448、July 21. 2017) が届きました。京都大学は、本日で前期授業最後となります(補講や集中講義などは別ですが)。わたくしの担当も、残りは第二演習、そして試験・レポート・成績です。ほかにまださまざまな仕事がありますので、しばらくは、通常の仕事が続きます。

<第1面>
・「銀座の「名所」また一つ・・・ 」「聖書図書館 37年の歴史に幕」
 
 第一面はその号の中心テーマあるいは中心的なニュースの提示と関連の写真によって構成されます。
 
<第2面>
「閉館前に300人 惜しむ声も」「蔵書は青山学院大学の新設図書館へ寄贈」
 6月末に聖書図書館は閉館。理由は、蔵書を管理するのに、「そのための措置にかかる技術、人手、費用が挙げられる。」
 「同館の閉鎖に伴い、所蔵聖書の多くは青山学院大学に今後開館予定の新設図書館へ寄贈され、元聖書図書館所蔵聖書として公開される予定。」

 図書館が共通に関わる問題。費用の不足。これは日本の文化的水準を示すとも言える。日本が知的な事柄にお金を出さない国柄とすれば、発想を代えて、事態に対処する必要がある。
 青山学院大学に引き取っていただけるのは、よかったと思うが、聖書以外の貴重な諸資料(まだ分類整理もできていないとも間接的に聞いたが)はどうなるのだろうか。こちらが、もっと深刻かもしれない。

<第3面>
「News/ニュース」「Topics/トピックス」:
・教会:「「宗教改革とユダヤ」テーマにシンポ 京都ユダヤ思想学会で一神教研究者ら」
・教会:「多角的な立場から宗教改革を問う 日本宣教学会全国研究会開催」
・社会:「〝いい大人と出会えて人生変わった〟 関野牧師が仁藤夢乃氏と対談」
・音楽:「小坂忠さんが娘とデュエット ワーシップアルバム発売
・映画:「ロゴスフィルムつ最新作「はたらく」 各地で試写会がスタート」
・海外:「ドイツ連邦議会 同性婚の合法化を可決」
・声明:「カトリック司教協議会 平和旬間に会長談話」
・声明:「今日の政治状況に対して 同盟基督教団が意見表明」
・訃報:「日野原重明(ひのはら・しげあき)さん」

<第4面>
・「宗教リテラシー向上委員会」:
 「現代の苦しみ解決する補助線を」 (池口龍法)
 「毒矢のたとえ」、「迷いながら生きているわたしたち」、「経典では心の「毒」を抜く医療を提供するのは仏教であるが、正しく治療できるのならその手段は他の宗教であってかまわないだろう。」

・「縦断列島 書店員日記」:
 「2ヶ月の〝受難〟を経て・・・」 内藤優祐 (CLCブックスお茶の水(東京))、次号は大阪キリスト教書店 

<第5面>
・「置かれた場所は途上国 ルワンダ 下  支援地域に住む人々からの期待」 (望月亮一郎)

・「Cinemareview [映画評]」 『甘き人生』
 「与えられる答えではなく問い続ける姿勢」 (ライター 藤本徹)
 
<第6面>
・「伝道宣隊 キョウカイジャー+αアルファ」
 「イエスのどこが好き?」キョーカイゴールド

<第7面>
・SONO「教派擬人化マンガ ピューリたん」49
 「テスト勉強会」、「おしえて先輩」

 大学も試験の季節です。

・「Information/インフォメーション」

<第8面>
・「Book Review/書評」

・「TV/Radio」(テレビ・ラジオ)

宗教改革をどう見るか

 昨日は、京都大学基督教学会・学術大会が開催された。18回とのことで、年2回の学術大会であることを考えれば、学会が新しい形になって、9年が経過し、10年目に入るということになる。学会誌の方も、36号刊行(間近)ということで、こちらは、40年が視野に入りつつある。ともかくも、学問は継続・積み重ねの作業である。
 昨日の学術大会は、宗教改革500周年を念頭に、竹原創一先生に、東京より、お出でいただき、「ルターとエラスムスの自由意志論争─争点の整理─」というタイトルでの発表をいただいた。
 ルターとエラスムスとの有名な自由意志論争について、その争点の丁寧な分析が行われ、宗教改革をどう見るかという点で、大いに示唆を受けることができた。
 エラスムスの基本的な立場が、功績応報論にあること、また、ルターの自由意志理解が、理性と信仰の「二王国論」に基づいていることなど、重要な論点が示された。ルターの二王国論は、教会と国家との関係性という範囲を超えて、大きな射程を有するということである。

 両者の対比は、聖書の知恵思想の文脈で言えば、共同体的知恵と転換的知恵の相違と解してもよいように思われる。とすれば、両者は、キリスト教知恵思想の動態の中で、いわば弁証法的に結合すると解することも、可能かもしれない。この二つの知恵の形態を分離できないことが、人間の状況と言うべきであろう。また、エラスムスとルターは、それぞれの仕方で近代へと受け継がれたということかもしれない。

 昨日は、京都では、最高気温が36度を超え、暑さの中の学術大会となったが、研究発表をいただいた、ブラジミロブさん、そして竹原先生、ありがとうございました。また、学術大会の運営のために、さまざまな役割を果たしていただいた、みなさま、ご苦労様でした。

京都大学の発信力

 現代の大学は、自らを積極的に発信し、社会的な存在意義を明示することを要求されている。各種の講演会・演奏会を公開で企画し、高等学校との連携を行い(高大連携)、オープンキャンパスを開催し、聴講生を受け入れるなど。しかし、もっとも目立つものは、大学ホームページの充実であり、各種の冊子の作成である。
 京都大学も、以上に関して、しばらく前から大いに力を入れて取り組んでおり(わたくしの行っている仕事も、少なからず、こうしたことに関連している)、発信力はある程度はついてきたといってよいのかもしれない。数日前に届いた、冊子を紹介したい。

『京大はおもしろい』
 山極総長と山中伸弥教授のメッセージに続いて、巻頭特集「おもしろい京都大学”人”によるチト自由への誘い──学部・大学院の卒業生・学生・教員編」においては、各学部が選りすぐった(?)「おもしろい人」が登場し、京都大学の魅力が語られる。

 この冊子は、高校生向け(受験生向け)であり、基本的には、京大の魅力をアピールし、京大での学びの情報を伝えることが目的であり(オープンキャンパスで配布するなど)、続いては、当然、「学部から大学院へ、そして研究所へ」という仕方で、10学部、20の大学院・専門職大学院、13の附属研究所の紹介がなされることになる。なお、各学部の紹介に先だって、特色入試(による入学者のインタビュー)や全学共通科目の説明がある。
 たとえば、文学部の部分は、文学部の3ポリシーなどによる文学部の特徴の説明、6つの系の紹介がなされる。これは通常通り、それに、在学生と卒業生からのメッセージが加わる。卒業生としてキリスト教学専修の出身者に登場いただいているが、これは、文学部の部分にわたくしが関与しているからという事情である。
 
 学部から研究所の紹介のあとは、情報環境機構、図書館、海外留学・国際交流、キャリア支援、クラブ・サークル、京大生の生活(自宅から通学している学生とひとり暮らしの学生)、生活サポート、男女参画センター、入試状況、教員リスト、キャンパス紹介などが続く。
 100頁程度の冊子による、高校生に向けた京大の発信である。

『文系・社会科学分野の実績──2017(平成29)年3月』
 冊子の説明には、「本冊子は、人文・社会科学分野の実績を、社会に向けて分かり易い形で積極的に発信することを目的として、取りまとめたものです」とある。
 内容は、人文・社会科学分野の組織改革などを各部局毎にパワポ風に一枚の小さなシートでまとめた上で、研究と教育のわけて、特色ある取組と成果を同じ形式でまとめている。最後は、「人文・社会科学分野の社会とのリエゾン」ということで、社会貢献の例と成果公開例が掲載されている。
 全体が16頁程度であり、この冊子はどんな機会が使用するのかという感じがするが(文理融合や社会貢献などの言葉が目立つ)、作成にはかなりの労力が費やされている。

 以上のように、大学は今積極的な発信が求められ、またそれに応えようとしているのである。

『福音と世界』 から

『福音と世界』 2017. 8(新教出版社)が届きました。 7月、今年の梅雨は、雨が降るとなると激しい雨になりますが、そうでないと、かなり暑い日となる傾向です。今日明日と、京都は35度を超えるという予報です。情緒あふれる(?)梅雨は何処に行ったのでしょうか。

 今回は8月号ということで(おそらく)、戦争・国家という問題に関わる特集が組まれている。「象徴天皇制・国家・キリスト教」である。天皇退位の問題が議論されたことからも、キリスト教においても再度議論すべきものと言えよう。近代日本のキリスト教思想にとって、天皇制は最大の問題として存在してきたからである。もちろん、議論をどう立てるかが問題であり、今回の特集に収録された島薗進の論考などは、注目すべき論点を提示しているように思われる。
 今回収録されたのは下記の論考。

・「「非人」とされたキリストと天皇──象徴から人間へ」 (上村静)
・「象徴天皇制下におけるキリスト教の役割」 (河西秀哉)
・「再び天皇代替わりの時に考える──教会は、キリスト者は、天皇制にどのように立ち向かってきたか?」 (中川信明)
・「「家族教会観」批判にむけての試論──天皇制・家族主義・教会」 (堀江有里)
・「存続した国家神道と教育勅語の廃止問題」 (島薗進)
・「日本基督教団における軍用機奉納運動」 (森田喜基)

特集の後に、次の記事が掲載されています。わたくしも、一度見学してみたいところです。
・「日本初のエキュメニカル教育運動の資料館──NCC教育部平和教育資料センターがオープン!」 (大嶋果織)

 次に、特集です。
・高井ヘラー由紀「はじめての台湾キリスト教史(5)」:「初期プロテスタント布教と教会ローマ字」
 「プロテスタント布教が開始した清朝末から日本統治期を経て国民党政権期に至るまでの長老教会における母語使用の原則は、確かに台湾におけるナショナル・アイデンティティの構築に大きく貢献してきた。そしてそのプロセスの中で重要な役割をに果たしたのが「教会ローマ字」なのである。」
「万人が共通に知識にアクセスできるという発想に基づく教会ローマ字表記の『教会報』の発行は、「教会ローマ字知識圏」とでもいうべき新しい知の空間を生み出した 」、「既存の儒教知識層との対立が顕在化する間もなく、台湾では一八九五年に日本による植民地統治が開始し、教会ローマ字を土台とする言語的知的空間は、日本統治によるそれとの衝突に直面することになっていくのである」

 教えられること、考えさせられることが多々ある。

・吉松純:アメリカの神学のいま10 「二つのキャンプ伝道」
 話題は、「大覚醒とキャンプ・ミーティングの発展」というアメリカ教会史の歴史的事例から、現在のアメリカ、そして日本へと展開します。

 日曜学校の夏季キャンプ・林間学校。懐かしい思い出。この間の半世紀の変化を考えさせられる。

 続いて、わたくしが担当の連載。
 わたくしが担当の連載「現代神学の冒険──新しい海図を求めて」は、今回が11回目。今回から、いよいよ、「解放の神学」系へ踏み込むことなりますが、まずは、一歩下がって前史から、宗教社会主義が今回(「宗教社会主義の遺産──解放の神学の前史」)のテーマです。問題は、「解放の神学」系の神学潮流が直面するマルクス主義をめぐる、社会分析・社会批判の方法をめぐる問題の基本形を確認することです。実際、マルクス主義自体が大きく展開しつつあって、単純な「マルクス主義とキリスト教」の対立図式はなり立たないということであり、それは宗教社会主義の教訓だったはずです。この連載で紹介できるあは分かりませんが、現在、Roland Boerの議論に取り組みつつあります。どこで議論することになるでしょう。
 
最後は、いつものように次の連載。
・内田樹「レヴィナスの時間論」:「『時間と他者』を読む29」
 「『時間と他者』は四つの章から成っている。私たちはそのうちの第一講までを読み終えた・全89頁のうち38頁までだから、ほぼ半分近くまで来たことになる。とりあえず挫折することなくここまでたどりついたことを、読者とともにことほぎたい。」
 「ここまでのレヴィナスの理路の頭痛がするほどの難渋さは、レヴィナスがそこで用いる哲学用語のほとんどについて、その因習的な語義を宙吊りにしたまま読み進むことを読者に要求しているという事情に由来する。」
 「第一講の最終部で私たちは重要な手がかりになる命題を二つに入れた。一つは「孤独とは時間の不在である」という命題。もう一つは「質料の繋縛を打ち砕くこと、それは時間のうちに存在することである」という命題である。」

 「では第二講に進もう。」
 「第二講冒頭のこの箇所は、死と孤独についてのハイデガーの所説を否定するために書かれている。」

ここで、ハイデガーの有名な死論の要点が解説される。ここは、有名なので省略。ポイントは、「レヴィナスは、ハイデガーのこの「死へとかかわる存在」と「日常性のうちに頽落している非本来的なひと」の対立を無効化することをめざす」ということ。

 「日常生活は頽落などではない。日常生活こそ私たちの「孤独の完成」なのだ。」

 以下では、レヴィナスのタルムード論から「日常生活」と哲学との関わりが論じられる。

 「生活をするもの、生身の身体をもつもの、生活から逃れることができず、逃れることを拒み、むしろ日常生活の混沌のうちに深く沈み込むことを選んだものこそが哲学の主体となるべきだ」、「「ハイデガー的風土との訣別」とはおそらくこの方向転換のことである」。 

 いよいと第二講へ。日常性・身体性の重視は、ギリシャ的思惟に対する聖書的思惟からの批判と読めるか。これは、キリスト教思想史の随所で起こっている。ハイデッガーを、その文脈に位置づけることは、いかなる意味を有するか。
プロフィール

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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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