FC2ブログ

大学教育の現場から

 日本において大学教育が問われて、すでに長い年月が経過した。その動向は現在も進行中である。日本の議論の特徴は、大学の内発的な仕方での問いというよりも、基本的に、外部から、教育の直接関わらない視点からの批判と連動した問い直し、いわゆる改革が大きな影響を及ぼしてきたことである。しかも、改革がさまざまになされその弊害が深刻になり、場合によっては改革が実質的にいわば終了したにもかかわらず、その批判的な検討もなされずに、だれも責任を負うことなく、次の改革が叫ばれることがあまりにも多い。大学ランキングやノーベル賞の数、ということでは、現在がいわばピークであり、今後は下方局面に入る、これは、この30年間の改革が研究力の低下を帰結したことからきわめて蓋然性の高い予想である。
 先日、大学の現場からの文系学部・教養の諸問題を論じた論集をお送りいただいた。著者は、ヘーゲル研究を中心に現在活躍中の哲学者である。簡単に紹介したい。

寄川条路
『教養としての思想文化』
晃洋書房、2019年。

まえがき

序章 若者の未来をひらく教養と教育
第1章 コミュニケーションとしての教養
第2章 教養はいまどこに?
第3章 メディア論と知のパラダイムシフト
第4章 インターカルチャーと異文化の哲学
第5章 グローバル・エシックスとは何か
第6章 人文学とリベラルアーツのゆくえ
終章 新しい時代のひらく教養と社会

あとがき

 180頁弱の大きさで、明快な内容の論集である。人文学に関心のある学生(あるいはこれからを学び始める人)が、さまざまに考える手がかりを提供してくれる。著者がさまざまな機会に論じてきた議論を、「ひとつの教養論」へ仕上げたとのことである。
スポンサーサイト



古書店の季節

 恒例の「秋の古本まつり」が、京都大学に隣接の百万遍知恩寺境内で、10月31日~11月4日の日程で開催されています。天気も上々で、古本まつりにもってこいの季節です。わたくしも、学生時代には、必ず足を運んだものです。今年が、第43回ですから、わたくしの学部生時代ごろに始まったということであり、そう言われれば、そんな記憶もあるようにも、思えてきます。日本には、古書ファンが多く存在しますが、例年、大きな賑わいであり、今年もそうだと思います。

 昨日は、東京に出張していましたが、会議の場所が神田の神保町の出版社ということもあり、久しぶりに、神田の古書店を見てきました。神田の古書店街にも、さまざまな年代の男女が多く訪れており、また、あちこちで、出版イベントが催されていました。こうした「文化」の存在は、大都市ならではのものであり、地方ではなかなかそんな雰囲気を体験することはできません。

 キリスト教は基本的に都市型宗教であると思いますが、「都市」という場所の宗教性というのは、研究テーマとしても興味深いものであり、昨日は、古本店街の人並みを眺めながら、いろいろなことを考えさせられました。古書を含め「本」が文化の中で重要な位置を占めているとすれば、現代のインターネットの普及は、本のあり方を変容させることを通しても、文化の基盤に届く変化を産み出しつつあるということになるでしょうか。これは、都市と地方・周辺との関係を変えることになり、キリスト教もその中で変化することになるはずです。

 ネット(日本の古本屋)で調べると、神田も、10月25日~11月4日までの日程で、「第60回 東京名物 神田古本まつり」だったようです。昨日の賑わいも、こうした理由があったのかもしれません。

『福音と世界』から

 『福音と世界』 2019. 11 (新教出版社)が届きました。
 10月もこの時期になると、すっかり秋らしくなり、例年ならば過ごしやすい季節となりますが、今年は、繰り返し台風が到来し、大変な秋になっています。京都は、相変わらず観光客が目立ちますが、京都大学のわたくしの研究室にも、中国から留学生が1人やってきました。現在、5人の留学生がわたくしのは研究室に所属しており、それぞれの研究にがんばっています。10月前半は、特別シンポジウムや宗教倫理学会の学術大会と慌ただしく過ぎましたが、現在は少し落ち着いた感じです。しかし、その一方では、来年度の授業に関連したさまざまなことを決定することが求められており、一難去ってまた一難という感じです。

 10月号の特集テーマは「天皇制を拒否するために」 というもので、時期的にはちょうど、即位礼に合わせたものとなっています。明治以降の近代キリスト教にとって天皇制は深刻の課題であり、日本の神学のさまざまな立場・論考は天皇制を参照軸として描くことができるように思われます(こうした主張は、土肥昭夫の日本キリスト教研究の基本的視点といえるでしょうか)。したがって、天皇制をめぐる問題は多くの蓄積があり(キリスト教に限定しても。以前に本ブログでも取り上げた、菅孝之の論考などは、天皇制に対する継続的な取り組みの過程を読み取ることができるもので参照できるでしょう)、新しい問題状況を視野に入れつつも、これまでの議論にも留意することが求められるはずです。この二つの視点を組み合わせて、議論を掘りさげることが、今求められているのかもしれません。今回の特集は、どうでしょうか(懐かしい話題も散見)。

 収録された論考は以下の通り。

・「「象徴」の政治、外への祈り──天皇制から離脱するために」
 (守中高明)
・「天皇制論の罠」
 (小泉義之)
・「天皇制と男女平等──私たち自身の将来のために」
 (牟田和恵)
・「天皇制を語れ、だがそのまっさき無根拠制において」
 (綿野恵太)
・「植民地主義とキリスト教社会主義者群像」
 (太田昌国)
・「虹作戦の喪失と回復」
 (友常勉)
・「拒否を宣言する 天皇制に抗うキリスト教界の声」
 (編集部)

 特集のあとには、連載が続きます。
・土井健司「教父学入門」3:「アンティオケアのイグナティオス──使徒教父(2)」
 入門にふさわしく、読みやすい連載です。

 今回のイグナティオスについては、学生時代に授業を通してお世話になった、佐藤吉昭先生を思い出します。護送の場面など、リアルで印象に残っています(それだけではありませんが)。み安い井や衣今回は、教父の出発点である使徒教父。ローマのクレメンスは代表的。「騒動の原因としての「嫉妬」」という議論は興味深い。

「神の酒」:「第8回 スコッチウィスキーと「役割分担」」
 (石井光太)

 懐かしい、ジョニアカ。わたくしも、基本的にはバーボン派です。

「バビロンの路上で」8.「「荘厳なるもの滑稽なるもの」の狭間で、死の陰の谷を歩く九月」
 (マニュエル・ヤン)

「遺跡が語る聖書の世界」11.会堂
 (長谷川修一)

 会堂の発掘から何がわかるのか。興味津々です。
 
最後は、次の連載です。
・内田樹「レヴィナスの時間論──『時間と他者』を読む」55
 今回は、レヴィナスに対して、フェミニズムの立場からなされた、「性差別主義者だ」との批判に関わる問題が取り上げられています(前回の最後の部分に接続する)。

 問題は、「「他者の他者性がその純粋なかたちで出現する状況」をレヴィナスは「女性的なもの」」と名づける、ということ、この術語をめぐるものです。
 筆者に拠れば、こうした議論を行う際に留意すべきは、レヴィナスが「ある状況やある概念を論じているとき、そこでほんとうに論じられている論件はそれとは違う次元にある」という点であり、「そのルールを知らないままに」、「レヴィナスの術語の複数の語義のうちのひとつを取り上げて「セクシスト」よばわりすることは、学術的にあまり生産的ではないだろう。」

 とすれば、重要な問いは、「その語によって迂回的に指称されているある根本的な概念を検討に付すること」であり、「レヴィナスのテクストの読み方をレヴィナス自身が指示しているとくには」、その指示に従うこととなる。
 「女性的なもの」は、「その語を現実に存在する女性の属性に即して理解しようとする」のではなく、「現実の女性とはかかわりのないある根本的な概念を検討しようとしている」ことに注意すること。

 議論は、「女性的なもの」から「性差」へ、そして、レヴィナスが言及するパルメニデスの「存在の単一性」に進む。論点は、「レヴィナスはパルメニデスの「単一なものとしての現実」を退け、「多様なものとしての現実」という概念を立てる」ことである。

 「「女性的なものをそれと同定してはならないもの」のリスト」を提示しつつ、「性差を「男と女」という現実的な二元性に即して理解してならない」ことが語られる。
 「「愛の感動」も「官能的な感動」もそこで向き合っている二人の「乗り越え不能な二元性」に由来するのである。」

 二元性が両義的に多義的に使用されている。「決して融け合うことができず、指先から絶えず逃れ去ってゆくものをなお求め続けずにはいられない原事実」と言われる際の二元性。神と人間の関わりとは、この原事実とどのような関係になるか。あるいはキリスト両性論とは。

『学術の動向』から

『学術の動向──科学と社会をつなぐ』 2019. 10 (日本学術会議)が届きました。
 昨日は、台風19号が近畿にも接近し、京都も自転車が倒れるなどの影響がありました。京都大学を会場とした、宗教倫理学会・第20回学術大会は、懇親会中止以外には、ほぼ予定通り行うことができ、ほっとしています。この数日は、台風へどう対応するかで大変でしたが、なんとか無事に、また、午後の島薗先生の基調講演とシンポジウムは、内容的に充実したものとなり、20周年の節目にふさわしいものとなりました。関係のみなさま、ありがとうございました。わたくしとしても、今後の宗教倫理学会の課題・方向性について、いろいろ見えてきたように思います。
 先週は、後期授業開始間もない時点で、ばたばたとあっという間に過ぎましたが、今週からは、腰を落ち着けて進みたいと思います。

 さて、10月の『学術の動向──科学と社会をつなぐ』では、通常通り、二つの特集が収録されいますが、その前に次の記事が置かれています。

■SCJトピックス
「日本学術会議会長談話「『地球温暖化』への取組に関する緊急メッセージ」を公表」
 メッセ-ジの宛先は、「国民の皆さま」で、「私たちが享受してきた近代文明は、今、大きな分かれ道に立っています」と書き出されています。メッセージは、5つの項目から構成されており、メッセージの後に、「メッセージの解説」が付されています。

 根拠はIPCCですが、ここが気になるのは、わたくしだけでしょうか。環境は、政治と経済という視点が不可欠ということです。
 
【特集1】「持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けた環境リスクを考える──有害物質と私たちの健康と生活」
 「持続可能な開発目標(SDGs)」は、今や、文明の方向性に関わるキーワードとなっている。「過去の環境リスクの事例」から学ぶことは不可欠であるが、ここに、従来の議論の弱点が存在しないのだろうか。形だけの学び、リスク評価、アセスメントにならないようにしたいものである。

<第一章:過去の環境リスクの事例解析から学ぶ>
・「水俣病」
 (村田勝敬)
・「イライイタイ病:公害病認定後50年間の住民による環境再生の闘いとその成果」
 (青島恵子)
・「土呂久砒素中毒」
 (黒田嘉紀)
・「四日市公害から学ぶ環境政策と国際環境協力」
 (朴恵淑)
・「我が国で発生した公害から学んだこと」
 (野原恵子・秋葉澄伯・石塚真由美・那須民江)

<第二章:今、世界が注視している環境問題>
・「わが国の製品中有害化学物質の管理とその問題点」
 (益永茂樹)
・「市民へのアスベスト曝露の健康リスク評価と管理」
 (久永直見)
・「寛容プラスチック汚染とその対策」
 (高田秀重)
・「原子力公害における解決と諒解──犠牲のシステムから関係性を尊重する共生社会へ」
 (近藤昭彦)
・「わが国が直面する環境リスクとその管理」
 (續輝久・浅見真里・渡辺知保・那須民江)

<第三章:持続可能でウェルビーイング社会の実現に向けて>
・「未来の洗浄を考える」
 (金子洋平)
・「つかう責任──SDGs未来都市・小国町の取組」
 (森恵美)
・「公害裁判から未来の行動目標へ」
 (大塚直)
・「環境モデル都市の取り組み」
 (中村桂子)

 過去・現在・未来という配置。なるほど。

【特集2】「危機に瀕する学術情報の現状とその将来 Part 2」
・「学術情報としての政府統計の利活用の現状と課題」
 (北村行伸)
・「学術誌をめぐる諸問題と将来展望」
 (山口周)
・「学術の信頼性を損なう捕食雑誌問題」
 (野上識・武田洋幸)
・「オープンサイエンスに関する政策と方向」
 (橋爪淳)
・「オープンサイエンスと研究データ基盤」
 (喜連川優)
・「産業界から見たデータ利活用における課題と期待」
 (佐々木直哉)

 この問題は、人文系の研究領域でも、重大であり、よくよく考える必要がある。

 そのほかに、次の記事。

◆「学協会の今──社会と向き合う 12」
・「社会と向き合う公営社団法人日本薬学会」
 (高倉喜信)

『福音と世界』から

『福音と世界』 2019. 10 (新教出版社)が届きました。
 9月も下旬になると秋の季節が感じられます。9月の一連の学会行事は、無事に終わり、わたくしにとっても、いくつかの収穫がありました(すでに本ブログで紹介)。もちろん、今後も学会関係の仕事は続きます。10月12日(土)には、宗教倫理学会が京都大学文学研究科で開催されますが、当面はこれが問題です。そもそも、来週から、非常勤先で後期授業が開始されますので、のんびりしている場合ではありませんが(というか、のんびり気分の夏ではありませんでした)。

 10月号の特集テーマは「朝鮮半島と日本のあいだ」です。9月号の沖縄問題とともに、最近に日本が直面する問題は、朝鮮半島、これが10月号のテーマです。問題は、日本を含む国際関係をどのように解読するかであり、多くの議論がなされてきましたが、どうもすっきりした気がしません。自明な議論を疑うことだけでは十分ではなく、近代以降の動向の文脈との関連付けが問われるように思います。ともかくも、朝鮮半島、日本を含む東アジアの状況は、10年後には一変している可能性があるのは確かです。

 収録された論考は以下の通り。

・「言説の布置を見る──歴史修正主義とあいちトリエンナーレ事件をめぐって」
 (倉橋耕平)
・「「慰安婦」を忘却させる植民地主義とポストフェミニズム───『帝国の慰安婦』、スピヴァク、ポストコロニアル」
 (菊地夏野)
・「日本と、絶望と、私と、韓国」
 (長尾有起)
・「わたしはあの中黒にいるのだと思う」
 (金村詩恩)
・「未完の2・8独立宣言──在日韓国YMCAにきく100年目の問い」
 (取材:編集部)

 特集のあとには、次の論考・報告です。
・菊地純子:「もう一つの宗教改革発見のたび──日本・ドイツ・スイス教会協議会報告」

続いて、連載。
・土井健司「教父学入門」2:「ローマのクレメンス──使徒教父(1)」
 今回は、教父の出発点である使徒教父。ローマのクレメンスは代表的。「騒動の原因としての「嫉妬」」という議論は興味深い。

「福音の地下水脈」:「第23回:町田康(後編)」
 「一瞬の救いを、何度でも」
 今回が最終回です。ご苦労様でした。

「神の酒」:「第7回 マムシ酒のエンパワメント」
 (石井光太)

「バビロンの路上で」7.「アイリッシュ・ウイスキーをあおり、「キリストの死」をアル・ケイブと夜な夜な語る」
 (マニュエル・ヤン)

「遺跡が語る聖書の世界」10.エルサレム神殿
 (長谷川修一)

 神殿神学をどう論じるのか。考えてみたい、宗教学的テーマです。
 
最後は、次の連載です。
・内田樹「レヴィナスの時間論──『時間と他者』を読む」54
 今回は、慈愛の秩序(他の人間を隣人として、最初に来た人として受け入れる)と正義の秩序(他者に優先順位をつけ、誰をまず愛するかについて判断する。選択の問題)との関係がテーマです。

「慈愛と正義は、私たちの世界を秩序立てたものとして維持するためには欠かすことができない二つの原理である。」「二つの原理を両立させるためには、これらが働くときを「ずらす」必要がある。時系列上に遠ざける必要がある。」
「正義の執行される場において他者の他者性は顧みられない」、「正義が正義としに過ぎないように、正義をたわめる営みが、今後は正義の制度や国家に権威によってではなく、個人によって担わなければならない。」

愛と正義という問題系は、多くの思想家が共有するものです。ティリッヒもリクールも。国家に対する市民社会の存在意義。国家は万能ではない。
以上で「権力と他者との関係」という節が終わる。次に来るのが、「エロス」という主題。両者をつなぐのは、「際立って他なるものとは何か?」という問い。

レヴィナスは「分有のプラトン的法則」に基づく哲学的定義とはまったく異なった「エロス」を論じる。「絶対的に反対的な反対者」=「女性的なもの」。
プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
カレンダー
10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR