古屋安雄2

 先日、逝去された古屋先生の比較的最近のエッセイ集を取り上げます。

古屋安雄
『日本のキリスト教は本物か──日本キリスト教史の諸問題』
教文館、2011年。

はじめに

・なぜ日本のキリスト教か?
・リバイバル
・宣教師──特にヴァーベック
・なぜ基督教の教会か
・公会主義から教派主義へ
・植村・海老名キリスト論論争
・海老名弾正
・殉教しない教会
・殉教と武士道
・殉教と知識人
・背教者、棄教者、離教者
・棄教者の系譜
・迫害と弾圧の論理
・「ライス・クリスチャン」
・転向と棄教
・キリスト教文学
・明治初期伝道の不思議
・社会民主党の結成メンバー
・安部磯雄──社会主義に父
・社会的政党とキリスト者
・足尾銅山鉱毒事件
・キリスト教養育の父──田村直臣
・田村の植村論と内村論
・柏木義円
・最初の良心的兵役拒否
・第九条の戦争放棄
・法律による規制
・キリスト教と天皇制
・付論 正しい実戦──オーソプラクシー

あとがき
参考文献

 滝野川教会の雑誌「形成」に連載した「日本キリスト教史」研究ノートを基礎にし、講演を加えたもの。古屋先生、最晩年の著書・エッセイ集であり、「最後の本」(あとがき)にふさわしい内容である。
 全体を構成する短いエッセイの中に、緩やかに繋がったいくつかのテーマが展開されている。宣教師の意義、日本キリスト教の最初期からの問題点(教会、教派主義、武士道・知識人・都市)、殉教の不在、弾圧の論理にしてやられた(「まんまと、キリスト教全体は当局側にやられたことになる」)、社会主義、兵役拒否・憲法・天皇。
 そして、随所に、「どうして・・・なのだろうか」という疑問点が指摘され、「日本キリスト教史」の今後の課題が指摘されている。
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古屋安雄1

 古屋安雄先生が逝去されました(4月16日、91歳)。わたくしは、日本基督教学会を通じて、研究の交流の一端に加えていただき、また著作を通じて、多くを学ばせていただきました(日本神学専門学校で、父直道のすぐ後輩にあたる学年で、またアメリカ留学の時期も近く、最初はそうした関係で声をかけていただいたのだと思います。昨年逝去された村上伸さんの場合もそうでしたが)。学会の名誉理事になられて以降も、学術大会に出席され、講演もされていました(2013年の西南学院大学でのものが最後です)。若々しい感性で、多くの問題に積極的に発言され、常に議論をリードしていた、という姿が印象に残ります。
 本ブログでは、以前に、「キリスト教研究の軌跡」というカテゴリで、わたくしにとって、先輩・先生に当たる方々の業績を紹介してきましたが、古屋先生についても、わたくしの蔵書にある先生の著作(主に、『宗教の神学』以降の文献になります)を紹介することにします。
 
『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか──近代日本とキリスト教』
教文館、2009年。

・新しい時代の宣教ビジョン
・日本とキリスト教

・「幸いなる偶然の一致」?──ピューリタンとサムライ
・禁酒禁煙のピューリタン
・日本とアメリカ──キリスト教をめぐって

・日本伝道と賀川豊彦
・神の国と世界連邦

・教会と若者
・キリスト教大学での伝道

・キリスト教と社会福祉
・国家と教会

 あとがき

 2008年~2009年にかけて、さまざまな場での講演が多く収録されています。講演ということもあり、繰り返しもかなりありますが、それだけに古屋先生の最晩年の主張が鮮明に現れています。まさにお元気でまだまだ意欲的な古屋先生の面目躍如です(80代の中頃まで、ほんとうにお元気でした)。

浜田與助(5)

 浜田先生のご遺族から寄贈された資料の中には、これまで紹介してきた浜田先生の著書や抜き刷り、そして書簡のほかに、「遺稿」としるされた原稿が存在している。タイトルは、「カント実践哲学の問題」と題され、20字10行の同志社大学研究所原稿用紙を使って170枚におよぶ論文である。これについても、前回の抜き刷りの場合と同様に、調査を行うことによって、執筆年代などをある程度絞り込むことは可能かもしれない。

 この原稿に挟み込まれた、メモによれば、この論文は次のような構成において構想されたものであることがわかる。


 一 カントに於ける、死せるものと、活けるもの。
 二 諸個別科学と哲学の無仮定性

本論
 一 カント哲学の中心性と完結性
 二 哲学の実践的性格の必然性の問題とカント哲学。(2,3)
 三 実践哲学の問題とカントの実験的方法(4,5)
 四 実践哲学の問題と全き批判(6,7)
 五 実践哲学の必然性と超越的弁証論(9,10)

 これらの章のタイトルは、論文原稿の中に鉛筆書きで書き加えられており、鉛筆書きでの推敲のあとを確認することができる。

 この論考を今後何らかの形で、公にする機会があるかは不明であるものの、近代から現代にかけての多くの思想家について、遺稿の扱いが、研究上しばしば問題になることを考えれば、この遺稿原稿についてもきちんとした扱いが必要にも思われる。
 わたくしの研究の範囲でも、多くの遺稿が残されあるいは発見され、研究が飛躍的に発展したニュートンの場合、あるいは活字化しなかった原稿、ノートなどが本人によって処分された波多野精一の場合、事情は様々なある。遺稿やノートが残されていない場合は、それらが処分されたことがきわめて残念に思われるし、また多くの遺稿が残されている場合には、その扱いに困ることにもなる。
 現在あるいは今後の思想家は、場合によってはハードディスクの中に膨大なデータが残される可能性もあり、こうした思想家の研究はどのような方法論を要求することになるのだろうか。

 自分の思想が後世の人々の研究対象になるとは思われないが、何をどのように残すのか、あるいはすべてを完全に消去するのかなど、やや悩ましい問題である。わたくし自身は、現時点では完全消去派であるが。

浜田與助(4)

 浜田先生のご遺族より寄贈いただいた資料の中に、論文の抜き刷りを思われるものが含まれていた。最後に、「終りに本稿のために四回まで誌上を提供して下だすつた松村主筆を始め同志諸兄に厚く御礼申し上ぐる次第である。(六月三日)」と結ばれていることだけからでは、この論文が掲載された論文名やその時期などは確定できない(おそらくは、浜田先生が所属していた同志社大学文学部あるいは哲学研究室における紀要の退職記念号などを調べればこうした点は解明できると思われるが)。

論文のタイトル:「福音の生活化─福音の本来性への帰還─」、タイトルの後に次の言葉が引用されている。
  Beata quippe vita est gaudium de veritate. (Augustinus: Confessiones. X. 23.)

4回にわけて執筆されており、
全体は、一~五、六~七、八~九、十~十一という仕方で番号で区分されている。

 論文の主旨は、「生命の言」である福音(福音の本来性である生命)が生活の内にこそ存立すべきものであり、それが忘れられるという危険から福音を守り、回復することにある。
 論文が「福音」をテーマにしていることからわかるように、この論文では、聖書(新約)の言葉が、多く取り上げられ論じられる。しかし、それは聖書学的あるいは聖書神学的な議論と言うよりも、いわば宗教哲学的な議論の中に比較的自由に引用されている印象を受ける。基本的には、宗教哲学的な論文であり、フォイエルバッハ、カント、ベルグソン、シェーラー、ジンメル、ヘーゲル、キェルケゴール、クローチェ、ハイデッガー、バルト、スピノザ、アルトハウスなどに、縦横に言及しつつ、議論は進められる。

 この論文では、様々な点で波多野宗教哲学と重なるものであるにもかかわらず、波多野への言及は見られない。また、以上の議論の仕方は、一つの論文スタイルというべきものであり、しばしばほかの論者においても採用されるものである。ここに、哲学論文の世代的な特徴を見ることができるかもしれない。

浜田與助(3)

 浜田先生のご遺族から寄贈された書籍のうち、浜田先生の著書の3冊目です。

浜田與助
『宗教的現実』
啓文社、1959年(初版、1946年)。

自序
改版の言

第一章 永遠の探求
  一 永遠への思慕
  二 永遠の素朴的概念
  三 永遠の思弁的概念
  四 永遠の先験的概念
  五 永遠の体験的概念

第二章 永遠の論理
  一 理論と実践との根源(唯心論と唯物論との彼岸)
  二 学問の伝統と論理の展開
  三 実存の論理の前段階
  四 実存の論理の探求
  五 永遠の諸性格

第三章 永遠の今(宗教的現実)
  一 歴史と時間
  二 歴史的現実から宗教的現実へ(歴史と永遠の今)
   I 根源的人間存在と有限的時間
   II 根源的人間存在と歴史的現実
   III 歴史的現実と有限的時間性の構造
     (一)本来的未来としての到来
     (二)本来的過去としての曾有
      (三)本来的現在としての瞬間
     (四)歴史的現実から宗教的現実へ
  三 永遠の今の諸性格(宗教的現実の諸性格)
    I 歴史との邂逅
   II 歴史の中央と歴史的冒険
   III 歴史の中央の構造
  四 永遠の今の時間的構造(宗教的現実の時間的構造。神の永遠への正道。)
    I 「今」(神の永遠への正しき出発点)
   II 体験しうる時間
   III 時間の二律背反
   IV 同根源的時間
      (一)形而上学的時間概念
      (二)歴史的時間概念
      (三)実存的時間概念
    V 世界時間から啓示の時間へ
      (一)世界時間と人間存在
      (二)世界時間の変革と啓示
   VI 永遠の今と啓示の時(宗教的現実)
      K・バルトにおける「啓示の時」
      A 神の時と人の時
      B 第三の時
      C 啓示の時の性格と構造


 一 宗教的現実の構想
 二 哲学の発端と根源


 本書の初版は、『波多野宗教哲学』(1949年)の先立つ刊行であるが、その内容の類似性から見て、本書で、波多野精一への言及が見られないことは、いかんる理由によるのであろうか。本書冒頭の「自序」では、「本書は、わたくしが哲学の教師として、二十有余年にわたって求道生活を、恵のうちに続けることをゆるされた、その間におけるいわば一つの魂の貧しい生活記録であると同時に、一つの拙き学問的労作でもある、といいうるであろうか」(1)と述べており、1920年代前半より、哲学の教師として研究を続けてきたことがわかる。著者略歴では、年代なしに「京都帝国大学文学部哲学科専科終了、ドイツ・フライブルク大学留学、同志社大学文学部教授 文学博士」とのみ記載されているが(フライブルク留学ということから、本書で、フッサールとハイデッガーへの多くの言及がなされていることも理解できる、波多野が京都帝国大学に着任した1917年には、浜田(1890-1967)は27歳、つまりすでに京都帝国大学を終了しフライブルク大学留学中の頃であり、波多野との直接に面識はさらに後のことと推察される(その点、浜田より7歳年下である三木清は波多野と親密な関わりをもつことになる。)。浜田がいつごろから波多野宗教哲学に関心をもつようになったのかは、はっきりしたことはわからないものの、京都帝国大学着任後の波多野の論文・著書の少なさを考えれば、浜田が波多野に注目し始めたのは、三部作が形を表し始める1935年以降におけるのかもしれない。こうした点が、浜田の著作に意外にも波多野の名が見られない理由かもしれない。ともかくも、その後浜田は波多野と学問上の関わりを結ぶことになる。なお、波多野全集第六巻に所収の浜田宛への書簡は、最初のものが昭和19年(1943年)の日付である。また、浜田先生のご遺族から寄贈された波多野からの手紙には、昭和9年2月19日の消印のものが含まれている(これは、波多野の京都帝国大学在職の最後の時期、『宗教哲学』刊行、直前のものである。また別の書簡には、『宗教哲学』が絶版で、再版された際には、浜田先生に贈呈したいとの記述も見られる)。

 思索の方向性においてきわめて近い地点に立っていた二人の思想家であるが、その出会いが、主に波多野の晩年期であったことは、これも一つの運命であろうか。
プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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