アガンベン・メモ(12)

 かなり時間があいてしましましたが、久しぶりに、ジョルジョ・アガンベン『身体の使用──脱構成的可能態の理論のために』 (みすず書房、2016年(原著、2014年))を掲載します。今回は、「3」の後半です。「1」「2」と比べ、「3」はコンパクトでした。これまでは、かなり詳しい抜き書きを行ってきましたが、今後はこの方針も再検討したいと思います。もう少し、掲載はスピードアップを図りたいということです。詳しいメモにも利点はあるのですが(配慮、使用、身体、奴隷、主人といった一連の議論が徐々にその構図を示していく過程がよくわかる)。

3.3
「配慮と使用の関係はなにか循環のようなものを含意しているようにみえる。」
「自己の配慮にたいして使用関係のほうが発生的=年代的に先行するということ」
「使用の主体が自己を配慮しなければならないのは、それが物または人と使用関係にあるかぎりにおいてのこと」「自己の関係に入らなければならないのは、他者との使用関係にあるかぎりにおいてのこと」
「自己との関係は」「動詞の中動態的意味のうちに含意されている」
「自己の配慮と使用とを区別する可能性そのものを問いに付しているようにおもわれる」
「それはふたたび使用と渾然一体になっている」

3.4
「サドマゾ的実践にたいするフーコーの関心」
「サドマゾヒズムが定義しているのは、主体化の構造そのものの、それのエートスなのだ」「その身体が使用される」「者は、実際には、同じ程度に、身体が使用されることの主体として構成され、そのことを引き受け、快楽を味わうからである」
「主人と奴隷、サディズム的なものとマゾヒズム的なものとは、ここでは二つの互いに意思疎通不可能な実体ではなくて、それぞれの身体の相互的使用に取りかこまれるなかで、一方を他方に移し入れ、不断に無限定な存在と化すのである」「受動性そのもののうちにあって能動的なのだ」
「サドマゾヒズムにおいて問題となっているのは、逆説的なことにも主人と奴隷の関係がもっと自由で十分な身体の使用への接近を許容するようにみえるかぎりでの、この関係の儀礼化された再創造である、ということが可能になる。この再創造をつうじて、主体は主体と客体、能動的なものと受動的なものの分裂を超えて「身体の使用」の痕跡を追跡する」「主体はみずからの脱主体化を経験する」
「わたしたちが主人と奴隷と呼んでいる主体は、使用のなかでは、彼らの関係を法律的に所有というかたちで定義することを必然化するような「生の共同」のうちに存在している「古代世界では身体の使用を定義する本源的な無規定状態が主人と奴隷のあいだでの役割の逆転を通じて再現されるようないくつかの祝祭を知っていた」「法律の停止状態だけでな、この停止をつうじて、主人と奴隷だけでなく、主体と客体、動作主と動作の受け手もが無規定なものになってしまっているような人間行動の領域がふたたび出現している」

3.5
「ヘーゲルの『精神現象学』において主人と下僕の弁証法およびそのなかで問題となっている承認が構成的な人間学的機能をはたしている理由」
「自己意識の承認が起こりうるのはもうひとつの自己意識をつうじてのみであるということだけでなく、主人と下僕の関係において掛け金となっているのはヘーゲルが躊躇なく享受(der Genoß)と呼んでいるものであるということである」
「主人は物と自分のあいだに下僕を押しこみ、このおとによって物の非自立性とだけ結びついて、物をひたすら享受するのである」「これら二つの契機[下僕の労働とそれが可能にする享受]において、主人には他方の意識をつうじての承認がもたらされることとなる」「ヘーゲルはまさに二つの立場を分離して承認することを可能にするもの、すなわち、奴隷の労働と主人の享受に注意を集中させている」
「この弁証法的反転においてもなお失われるものは、享受と労働(すなわち抑止された欲求)とが究極的に互いに相手を当てにできなきうなってしまうような人間的実践のもうひとつの像の可能性である」
「サドマゾヒズムは、主人と奴隷の弁証法を働かなくさせて、近代が接近の道を見失った身体の使用の痕跡をパロディ化したかたちでそれのうちに見いだそうとする、不十分なこころみとして立ち現われることとなる。」
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ボウカム、聖書と政治

 以前に、邦訳で紹介したボウカムの著作(『聖書と政治 社会で福音をどう読むか』)ですが、原典の目次を記載しておきます。

Richard Bauckam,
The Bible in Politics. How to read the Bible politically (second edition),
SPCK, 2010.

Acknowledgements
Introduction to the Second Edition
Introduction to the First Edition

 1 Issues in Onterpretation
 2 Holiness for the People: Leviticus 19
 3 Wisdom for the Powerful: Proverbs 31:1-9
 4 Songs for the Oppressed: Psalm 10 and 126
 5 Taxing Questions: Jesus on Taxation
 6 The Fallen City: Revelation 18
 7 Exodus and Service: Freedom in the Bible
 8 The Book of Esther and the Jewish Holocaust
 9 The Genesis Flood and the Nuclear Holocaust
10 The Political Christ: A Concluding Reflection

Notes
Index of Biblical References
General Index

 聖書学的著作であるが、聖書が正典であることを踏まえている点で、より神学的と言える。これは、旧約と新約との関連性の議論などの枠組みに大きく反映することになるが、キリスト教思想として聖書をどのように読むのかという点で、重要な意味をもつ。の点で、第1章は熟読すべきである。聖書が政治的な事柄と密接な関わりをもつことなど、その通りである。

アガンベン・メモ(11)

 ジョルジョ・アガンベン『身体の使用──脱構成的可能態の理論のために』 (みすず書房、2016年(原著、2014年))も、今回から、「3」になります。これで、全体の七分の一程度まで終わったといったところでしょうか。
 本日から、大学も年始休暇が終わり、動き始めます。わたくしにとっては、あまり大きな違いはありませんが。

3 使用と配慮
3.1

「『主体の解釈学』にかんする講義のなかで、フーコーはプラトンの『アルキビアデス』の一節を解釈したさいに"chresthai"という動詞の意味の問題にぶちあたっていた」
「ソクラテスの結論は”魂”」
「プラトンがこのようにして発見したのは「実体としての魂」ではなくて「主体としての魂」なのだ」
「主体であるかぎりにおいて、使用し、この態度をとり、この種の関係を取り結ぶこの主体であるかぎりにおいて、ひとは自分自身に気を配らなくではならないのです。」

3.2
「倫理的主体性の基本的特徴」
「主体は実体ではなく過程であるように、倫理的次元──自己の配慮──は自立的な実体をもたない。それは人間と世界のあいだの使用関係以外の場所も内実ももたないのだ。自己の配慮はクレーシスを前提にしている。そして倫理的主体を任命する自己は使用の主体にたいしてなにか別のものではなく、それに内在している」
「ひとが関係している自己とは、関係そのものでしかない。・・・要するに、それは内在であり、もっと正確にいうなら、自己の、関係への存在論的な適合である」
「倫理的主体は無限遡行にとらわれたままにとどまる」
「統治の問題」「自己の配慮」「魂の側からの身体の使用」「身体にたいする魂の支配」
「配慮と使用、自己の配慮と自己の使用の関係についての思考のされ方」「フーコーは使用について自分自身との関係を想起している」
「「使用」」「が「配慮」」「と」「支配」の解消されてしまったプラトン的な所作を反復しているように見える、使用にたいする配慮の優位に場を譲り渡してしまっている」、「このことのもたらす結果には多大なものがある。というのも、自己の配慮と自己の使用の分離ということこそは倫理と政治の分離の根底にあることがらだからであるが・・・」

 「3」は晩年のフーコーが、演習で、プラトン『アルキビアデス』 を取り上げていたこと、統治のテーマと自己の配慮というテーマとの緊張関係が問題になります。また、「3.2」での倫理、関係、自己というテーマから、キルケゴールを思い出すのは、わたくしだけでしょうか。

アガンベン・メモ(10)

 久しぶりのアガンベン『身体の使用──脱構成的可能態の理論のために』 からのメモです。
 話題は身体の使用を分析するために、奴隷から、中動態へと展開してきました。

第一部 身体の使用
2 クレーシス 
2.4

一方では、「動作を遂行する主体=主語は、それを遂行するという事実そのものからして、他動詞的にある客体に作用するのではなく、なによりも、みずからを過程の中に引き入れ、過程に影響を及ぼす」
他方では、「過程は独特のトポロジーを想定する」、「主体は動作を支配するのではなく、みずからが動作の起こる場所なのである」
「中動態は主体=主語と客体=目的語の無区別ゾーン(動作主は動作の客体=対象および場所でもある)、能動態と受動態の無区別ゾーン(動作主はみずからの動作から影響を受ける)なのだ」
「独特の閾」
「動作の客体=目的語が対格ではありえず、つねに与格ないし属格である理由」「過程は」「その動作が切り離された客体=目的語へ移行していくのではなく、みずらのうちに主体=主語を巻き込む。そして主体=主語は客体=目的語のうちに引き入れられ、それに「与えられる」ことになるのである」
「それは、みずからとともに生じる関係、ある特定の存在者と関係しているかぎりでひとが受ける影響を表現しているのである」
「「身体を使用する」は、ひとつまたはいくつかの身体と関係しているかぎりでひとが受けとる影響を意味する」
「使用において構成される主体、身体と関係しているかぎりでそれを受けとる影響を証言する主体は、倫理的──そして政治的──である」

2.5
「この動作主の独特の身分」「スピノザ」「『ヘブライ語文法綱要』の第二二節で」
「能動的再帰動詞」「動作主と動作の受け手、能動態と受動態が一体化するような動作を表現」
「動作主と動作の受けてとが絶対的無区別の閾に入りこむ、みずからのみずからへの動作」「みずからのみずからへの動作の領域は内在性の存在論、存在の自己構成と自己提示の運動と対応している」、「構成するものと構成されるものもまた互いに無限定」
「「使用」と呼んでいる過程の独特の性質」
「訪ねるという経験においては、主体=主語はみずからを訪ねる者として構成する」
「あらゆる使用はなによりもまずもってはみずからの使用である。なにものかとの使用関係に入るためには、わたしはそれ[使用するという動作]の影響を受けなければならず、わし自身をそれを使用する者として構成しなければならないのだ。人間と世界とは、使用においては、絶対的かつ相互的な内在の関係にある。なにものかを使用するさいには、使用する者自身の存在がまずもっては使用されなければならないのである」
「主体と客体とは脱活性化され働かなくさせられる。そしてそれらに取って代わって、使用が人間的実践の新しい像として立ち現れることとなる」
「ダンテ」「『饗宴』」「使用と愛とのあいだに設けている独特の親近性」、「自然の欲求」「がまずもっては自分自身を愛する」、「愛はどうやら、ひとが使用(それはつねに自己の使用でもある)から受けとる影響であって、使用と識別不能なままでありつづけている。「愛するものの使用」という連辞において、属格は同時に主体的なものであるとともに客体的なものでもある。使用の主体にして客体が愛なのだ」

 以上で、「2」の「クレーシス」が終了です。中動態の議論が古代ギリシャの文法から、スピノザに至ったことは、記憶すべきことでしょう。また、中動態は、能動的再帰動詞と考えれば分かり易くはなりますが、果たしてそれで十分なのかという問いは残ります。
問題は、主体の始まりをどのように説明できるかにあると思います。宇宙も人間も始まり問題は難問です(宇宙と人間の方に設定できる理論の外部が問われるという点で)。
なお、キリスト教で使用と愛となると、やはりアウグスティヌスでしょう。

アガンベン・メモ(9)

ジョルジョ・アガンベンの『身体の使用──脱構成的可能態の理論のために』からのメモを続けます。

第一部 身体の使用
2 クレーシス 
2.3

「近代的な考え方のうちにかくもはっきりと刻印されている主体=主語と客体=目的語の関係がそのギリシア語の動詞の意味をつかまえるのに不適切であるということなのだ」
「能動態でも受動態でもなく、古代の文法家が「中動(mesotes)」と呼んでいた態をとっていたのだった。」
「バンヴェニストの論文「動詞における能動態と中動態」」「能動態においては、動詞は主体=主語から出発して主体=主語の外で実現される過程を示す」「中動態では、動詞は主体=主語の中で生じる過程を示す。主体=主語は過程に内属しているのである」、「主体=主語は過程の場所」
「主体=主語はその過程の中心であり、同時に動作主である。主体=主語は主体=主語自体のなかで遂行されるなにものかを遂行するである。」
「能動態を許容している中動態」「「彼が眠っている」が」「彼が(だれかを)眠られせる」に転化する。」

 中動態という文法的形態が人間の認知構造の問題であるという論点。20世紀の人文学が切り開いた重要な地平であり、それに注目することによって、新しい展望が開かれている。これは、キリスト教思想研究にどのようにいかされるだろうか。
プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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