今年の研究テーマ2

 昨日は、今年の研究テーマとして、「日本・アジアのキリスト教研究」の方法論的諸問題を挙げたが、より具体的には、文献研究と社会科学的研究の関連付け、ということが問題になる。文化人類学的な研究では、社会調査やフィールド調査と文献研究との統合は、かなり以前から当然のこととして行われてきたが、おそらく、日本のキリスト教研究では、まだこのように研究方法については、十分な方法論的な検討がなされないままにいわば勘で研究がなされていたのではないだろうか。
 
 しかし、この研究状況を超えることが今後の日本・アジアのキリスト教研究には求められねばならない。日本の研究者にとって、日本やアジアはいわば研究現場そのものであって、研究においてその利点を十分に生かすことは当然のこととであろう。こうした問題意識は、かなりの期間、不十分ながら、日本、韓国、中国でフィールド調査を行う中で実感されたことである。
 幸い、社会調査などについては、多くの文献が出版されており、参照できるものは少なくない(社会調査士が資格として一定適度定着していることによる)。たとえば、わたくしの手元にも、いくつかの入門的なものがある。

・宝月誠ほか 『社会調査』 有斐閣。
・前田拓也ほか 『最強の社会調査──これから質的調査をはじめる人のために』 ナカニシヤ出版。
・岸政彦ほか  『質的社会調査の方法──他者の合理性の理解社会学』 有斐閣。

 また、宗教研究で、こうした方法論をもちいた研究も少なくない。たとえば、
・飯田剛史 『在日コリアンの宗教と祭り──民族と宗教の社会学』 世界思想社。 

 さらに、さまざまな公的なデータ(宗教意識に関わる統計など)あるいはジャーナリズムによるドキュメントなど、日本・アジアのキリスト教研究との関連で使えるものはかなりものとなる。問題は、それらを研究の中で関連付け、分析・解釈することであり、それには方法論が必要である。そして、方法論は文献資料に求められねばならない。
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今年の研究テーマ1

 今年の研究テーマにもさまざまあるが(宗教哲学、現代神学などはもちろん)、その中に、日本・アジアのキリスト教研究が存在する。これに関しては、思想研究という点では、昨年、 『近代日本とキリスト教思想の可能性──二つの地平の交わるところ』 (三恵社)をまとめることができた。しかし、これにはいくつかの続編が続くことになる。
 一つは、この著書で提示した方法論にしたがって、その具体的な適用として、無教会キリスト教(内村、矢内原、南原)を論じた諸論考をまとめることであり、もう一つは、思想研究の基盤となる、キリスト教研究の方法論的諸問題について、やはりこれまでの諸論考を整理することである。いずれも、すでに刊行ずみの論文をまとめることになるので、素材は基本的に揃っており、あとは、まとめるための時間の問題である(これが以外に時間を要する)。
 しかし、後者の「キリスト教研究の方法論的諸問題」については、つめの作業(一つ論文を追加することになる)が残っており、これがこの数ヶ月の作業となり、それが形になることを前提に、来年度の前半には、刊行にこぎ着ける、というのが、現時点でのスケジュールとなる。
 
 これとの関連で、今月21日に予定「東アジアキリスト教交流史研究会」での講演は、当初は、これまでの仕事のまとめ・紹介的なものと考えていたが、新しい議論を組み込むことになりそうであり、現在、考え中である。思想研究では思想独自の特性が問題になるが、東アジア・キリスト教史研究では、従来の歴史学的方法に加えて、社会科学的人類学的な手法が必要になる。考えるべきことは少なくないが、その手掛かりは、隣接の研究分野に見いだすことが可能である。

パウロを読む

 京都大学の演習で、パウロを読むようになって5年目の授業があと残りわずかになりました(1月に2回)。ローマの信徒への手紙を連続して読み始め、今年で4章が完了しました。これで信仰義認論は内容的に確認されたことになります。

 さて、パウロと言えば、現代も新たな読み直しがなされている思想家ですが、従来から、いつくかの難問(?)がありました。その典型は、たとえば、次の言葉です。

「ローマ書13:1 人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」

 この言葉をめぐる解釈・論争の歴史については、宮田光雄 『国家と宗教』 (岩波書店)をご覧ください。
 パウロにかぎらず、本来その言葉が置かれていたコンテクストから切り離して解釈を行おうとするとき、しばしば人為的で擬似的な難問が生じることがあります。このパウロの言葉は、その典型と考えるべきです。問題の言葉をどのような文脈に位置づけるかによって、解釈者の力量が試されるとも言えるでしょう。

 わたくしの最近の考えは、この言葉はバルトが言うように直前の12章の文脈が受容であるとともに、パウロの終末論ち関わる倫理的な勧めとも言える、たとえば、次の言葉との連関で読むということです。

「一コリント7:17 おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。これは、すべての教会でわたしが命じていることです。18 割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。19 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。20 おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。21 召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。22 というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。23 あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。人の奴隷となってはいけません。24 兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい。」

 この聖書の箇所もパウロ思想の難問箇所の一つであるわけですが、こちらは、ローマ書の2章から3章の信仰義認論における、義とみなされるためには、信仰のみ(アブラハムのように)が求められるのであり、割礼も律法も前提ではない、という主張と繋げて読むと意味の理解は十分可能です。
 割礼の有無は救いの条件ではないとは、人間を分類し分断する既存の区分や身分などが無効であるとの議論、つまり、キリストにおいて、ユダヤ人も異邦人も、奴隷も自由な身分も、男も女も、一つである、その区別は乗り越えられたとの議論であり、これに、この一つであることがキリスト教共同体を超えて「この世」で現実化する終末が切迫していることを加えれば、当然、「兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい」との勧めになります。

 これを、世俗的な上に立つ権威に適用したのが、先のローマ書13章1節の言葉であると考えれば、それがどんな意味かは十分に了解可能となるはずです。こうした諸前提抜きに、この言葉を読もうとするかは、議論がおかしくなると言うことでしょう。

 ジジェクのパウロ論は、以上の議論の論点を、特殊と普遍という古典的な問題において論じたものと解することができると思われます。キリスト教共同体内部での生起した特殊な「一性」の議論が、実は、普遍的意味を有しているということ。特殊に媒介できない普遍は、十分な意味での普遍ではない、ということなるでしょう。

 以上は、前回と同様の時期の、早朝の思索です。

贖い論・考

 贖い、復活、これらは、キリスト教の基本的な思想に属するものである。しかし、同時に、その意味内容の理解は、特に現代人にとって、決して容易ではない。本ブログでは、これまでこれらに関して、若干の「研究メモ」を掲載してきた。今回は、「贖い」について、一つの考察を行いたい。

 そもそも、ある人が他者の罪を贖うというのは、いかなる意味で可能なのだろうか。近代的な罪・罰の思考からは説明困難な問題がここにある。だれかの罪を代わって背負うことは、原理的に可能なのか、また「背負う」とはいかなる事態なのか。疑問は尽きない。しかし、これらの難問に答えることは今回の意図ではない。
 ここで参照したいのは、旧約聖書のアブラハム物語の中にあるソドムとゴモラをめぐるアブラハムと天使・主とのやりとりである。

主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。21 わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」22 その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。23 アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。24 あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。25 正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」26 主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」27 アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。28 もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」29 アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その四十人のためにわたしはそれをしない。」30 アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」31 アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」32 アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」33 主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。
(創世記18:20-33)

 10人の正しい者が、ソドムとゴモラの罪を贖うことができると考えてはどうだろうか。これは、いわば正しい者の作るネットワークに入る人はその罪が贖われるという、と解してはどうだろうか。つまり、罪や救いは個別性の事柄(その本人の問題であり、他者がそれによって代わることはできない)であるだけでなく、共同性の事柄でもあるという議論である。これは、「人格性」が、個別性と関係性の両極性によって成り立つことを根拠としていると考えてもよい。
 
 もし、以上のように考えることが可能ならば、イエスの十字架によって人類の罪が贖われた、とは、次のように意味に解釈できることになる。イエスを起点に張り巡らされた救済のネットワークは人類を包括する、と。イエスが支えるネットワーク、これが贖いの意味ではないだろうか。まさに、このネットワークは奇蹟的な贖いを引き起こすことになる。
 とすれば、この救いの共同性は、「神の国」を指し示す共に、それが成立するのは、「この世」において、ということになる。おそらく、「この世」の意味は、このように解すべきものなのだろう。

 以上は、ある日(数ヶ月前?)の早朝に考えたことである。

ヘレニズム世界とキリスト教

 講義などで、キリスト教の歴史を扱う中で、ローマ帝国の国教化に至る過程における変化、つまり、ヘレニズム世界でキリスト教が変化することについて、いくつかの論点から考えさせられることがある。それぞれの論点はばらばらに見えて実は相互に関係し合っているのではないか。これが現在のわたくしが抱いている、2世紀から3世紀のの古代キリスト教父時代の動向である。
 もちろん、この研究領域の専門研究者で立場からは、既存も研究に大きく依拠する事にならざるを得ないわけであるが、この発想は、次の文献に示唆を受けたものである。

ハンス・キュンク
『キリスト教思想の形成者たち──パウロからカール・バルトまで』   
新教出版社。

 特に、今回の2世紀から3世紀にかけての変化については、キュンクのオリゲネスの議論が参照できる。キュンクは、それを「キリスト論におけるパラダイム転換」あるいはキリスト論の「重心移動」として論じている。

 新プラトン主義的に刻印されたヘレニズムの影響の下で、問題的な「重心移動」
・神と人間の間の根本的な二元論(旧約聖書にも新約聖書にもない)と、この無限の差異を、「神人」キリストを通して乗り越えること。
・キリスト教神学の中心:イエスの十字架と復活 → 受肉
                 イースター           クリスマス
=「キリスト論におけるパラダイム転換」(キュンク、92)

これは有名なクルマンのクリスマス論とも重なる。
「紀元後三世紀までのキリスト教徒は、一二月二五日をクリスマスとして祝ってなかった。キリスト教徒は、四世紀の初頭まで、後にキリスト教会の重要な祝日となるこの日に、集まって礼拝を捧げることもなく、キリストの誕生を話題にすることすらなく、他の日と何の変わりもなく静かに過ごしていた」(O・クルマン 『クリスマスの起源』 教文館、7頁)。
「いつ、どこで、なぜ、他ならぬ一二月二五日に降誕祭が行われるようになったか。これらの問いについて、学者たちはまだ完全な合意に達していないが、年代は三二五年と三五四年の間、場所はローマであることは、ほぼ確実であると考えられている」(37)。

さらに、以上は、次のようなキリスト教修道制の歴史的展開とも関連し合うことになる。
 ・エジプト → 東方教会(正教) → 西方教会(カトリック)
 この西方教会における修道制内部での変化で興味深いのは、クリュニー修道会の動向である。
 クリュニー修道院(910-)
修道院の世俗化の進展に対する修道院改革運動(11世紀のグレゴリウス改革との関
係は議論が分かれる)。『ベネディクト会則』の遵守。
  第二代修道院長オドー(926-942):教皇レオ七世の特許状によりクリュニー
  は教皇直属→991年には司教権を排除、修道院の強大な系列的組織化(修
  道会、第五代修道院長のオデロー)。
 このクリュニーで有名なのが、マリア崇拝(5世紀にビザンツで現れ、シリア、エジプトに普及、ローマには7世紀)の普及と荘厳さな典礼(音楽)の成立。
 マリア崇拝がキリスト教のローマ帝国での国教化のあつの時期に東方教会に遡るという議論は、それ以前のキリスト教のヘレニズム世界での変化がここにも連関しており、それが修道制の展開にともなって、西方へと伝播したという可能性を示唆するように思えてくる。
 ここから、浮かんでくるのは、次のポイントである。
 
 クリスマス伝承は元来は中心的な位置を占めていなかった。それが重要な位置を獲得するのは、古代教父時代、3世紀ごろから。
 これは、ヘレニズム世界にキリスト教が受容される過程で(これが国教化を可能にする状況形成と関わるはず)における、キリスト論における受肉論への重心移動と連動している。
 マリア崇拝もこの文脈にある。またさらに、これは、東方教会から西方教会へ伝播、修道制の展開とも重なる。

 以上は、クリスマスの季節に、先日の研究発表を聞きながら考えたことである。いずれ、もう少し、本格的に考察を行ってみたいテーマでる。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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