哲学と音楽

 本ブログでも、以前に「文化の神学」の連関で、音楽についてなんどか取り上げたことがあるが、「音楽の神学」をもし構築できるとすれば(バルトならば、行いえただろうか)、それは、哲学的思惟と何らかの関係づけが必要なることが予想される。しかし、「哲学と音楽」、これもなかなかの難問である。
 哲学者ゲオルク・ピヒトの次の著書より、印象に残った言葉を抜き出しておきたい。

ゲオルク・ピヒト
『いま、ここで──アウシュヴィッツとヒロシマ以後の哲学的考察』
法政大学出版局、1986年。

 目に付いたのは、「第十三章 ヨハン・ゼバスティアン・バッハの普遍性と諸次元」(360-378頁)である。

「哲学は、われわれの精神的世界の最大の現象の一つである、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ[Johann Sebastian Bach, 1685-1750]の音楽を解き明かすのに、これまで殆ど貢献しなかった。哲学的思惟は、音楽が鳴り始めるあの入口のところで沈黙してしまうように思われる。」
「バッハの音楽に対するわれわれの関係は、一つの哲学的問題なのである。それは、哲学には見ることと同様に、聴くこともとっくに失われてしまったということを哲学がそこで発見するような問題である。」
「バッハの音楽が、十八世紀以来理解されている哲学のうのぼれを挫く力を持っているということは、この音楽には、哲学が絶えず手に入れようと骨折っているある才能が与えられていることの表現である。即ち、バッハの音楽は普遍的である。」
「われわれの意識は、バッハをまだ知っている。しかし、それは彼の普遍性の真理に対しては、依然として閉ざされたままである。」
「われわれは真理を問う。このような問いは、われわれがわれわれ自身の地平を規定しているあの先入見を同時に破壊することによってのみ、遂行されることができる。」
「言語は、それが何を意味するかが理解される場合にのみ、理解されうる。言語の意味に注意しないで、その美しい響きを楽しむならば、言語はもはや言語ではなく、単なる音に過ぎない。まさに同じ意味において、バッハは、彼に固有の明晰さで、彼の通奏低音についての有名な言葉の中で、次のように言っている。「あらゆる音楽の終りと目的因、即ち、神の栄光と心を楽しませることが忘れられるところに、本来の音楽はなくて、悪魔的なわめき声と単調な音楽がある。」近代的な意識にはこのような警告が何の役にも立たないという状況に、近代的な意識はある。」

 以上は、ピヒトの論考のまだ出だしであるが、いずれ機会があれば、続きをこのブログでも辿ってみたい。
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イエスの宗教運動直後

 イエスの宗教運動から初期キリスト教の成立までの歴史は、なぞに満ちている。もちろん、わたくしはこの分野の専門家ではないが、講義や演習で、この歴史に触れることは少なくないため、ついついさまざまな思いを巡らせてしまうことになる。現在の新約聖書学の議論に基づくならば、イエスの宗教運動は最初の1世紀の30年代、その直後に何か決定的なことが起こり(復活と聖霊降臨)、初期キリスト教への動きが開始された。パウロの活動は40年代から50年代に位置し、パウロは、イエスの十字架について、贖罪論を展開した。しかも、パウロはパウロに先行する共同体において形成されていたさまざまな教説や文章を自らの手紙で引用している(ローマ1.3-4、フィリピ2.5-11、ガラテヤ3.26-29、第一コリント11.23-26など)

 とすれば、初期キリスト教の担い手となる人々は、イエスの死の後のかなり早い段階で(30年代~40年代にかけて)、短期間にパウロが受け継いだようなかなり高度の思索を教義的な形にもたらしていたことになる。
 これだけのことが可能だったのは、どうしてであろうか。

 可能性の一つは、イエスの宗教運動から初期キリスト教へと移行する共同体内部に、かなりの知識人が加わっていたことではないだろうか。

「支持者のうちでも、ガリラヤの農民たちはイエスが今もいることを素肌で知っていました。エルサレムの文人たちは聖書研究でイエスと再会していました。だから、復活というカテゴリーをパウロが使うのは、支持者と一緒に生き続けるイエスの力を語る手段の一つでしかないわけです。」(ジョン・ドミニク・クロッサン『イエスとは誰か 史的イエスに関する疑問に答える』新教出版社、164頁)

 ここでクロッサンが言う「文人たち」がそれかもしれない。彼らは、第二イザヤ書とイエスとを関連付け、思想展開を行った人々である。
 それはだれであろうか。
 後の12弟子のリストに、その名前は隠されているのであろうか? 洗礼者ヨハネの弟子集団からイエスの宗教運動に移行した弟子たちにそれは含まれているのだろうか?

 以上は、非専門家の空想であるが、イエスの宗教運動直後は、魅力的なテーマである。

中世と近代

 わたくしの研究は、基本的には、「近代とは何か」をめぐって展開されてきたように自覚している。しかし、最近は、講義などの関連で、古代や中世、とりわけ中世について文献を読み、考える機会が少なくない。そこで、気になるのは、近代の特徴的と思われるシステムが中世の中にどのように遡及するのかという点である。
 たとえば、資本主義である。ウェーバーの有名なテーゼでは、資本主義は近代のピューリタンとの関連が問われたわけであるが、それは単純にすべてがピューリタンの近代において始まったということを意味しない。議論は、さまざまな可能性をめぐり展開されてきた。当然である。
 その点で、たとえば、中世の貨幣経済についてまとまった研究を残した、ジャック・ル=ゴフは、議論の最後において、次のように結論づけている。

ジャック・ル=ゴフ
『中世と貨幣──歴史人類学的考察』
藤原書店、2015年。

「中世については15世紀末に至るまで、資本主義、さらには前資本主義でさえ問題には出来なかったということになる。資本主義に認められる諸要素が出現したのはようやく十六世紀になってからのことなのである。」(285)、「アメリカ大陸から貴金属が潤沢にもたらされたこと、証券取引所、すなわち「有価証券、商品、サービスが取引される組織化された公共市場」」「が出現したことである。」(285-286)
「商人の社会的地位、精神的地位がある程度向上したのと並行して、中世の人々の財布も生活も、つまり地上での富みも永遠の救済も守ろうとした教会が、貨幣に対する考えおよび実践を変えたのもあきらかである。」「筆者は中世の貨幣使用は贈与経済に含まれ、貨幣は神の恩寵への人間の全面的な服従に関わっていると考えていること」、「中世におけるこの世での貨幣使用を支配する考え方」「正当価格理論に見出されるような正義の追求」「「愛徳」によって表される精神的要求」(293)

 ウェーバー・テーゼは、資本主義の生成という時代の認識においては、妥当なところといえるのかもしれない。中世と近代という区分はそれ自体は、人為的なものであるが、人間の歴史認識にとっては有益あるいは不可欠のものと思われる。
 経済・貨幣の問題は、宗教とも深く関わっている。この視点が重要である。

キリスト教は博愛か?

 キリスト教は愛の宗教と言われ、その愛は、いわゆる博愛のイメージで描かれることが少なくないのではないだろうか。この点について、再考を求めるのは、旧約聖書におけるさまざまな「選び」をめぐる物語である。ヤコブとエサウなどその典型であるが、次のものもきわめて有名。

創世記4章
「1 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。2 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。3 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。4 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、5 カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。6 主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。7 もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」:8 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。」

 たしかに、聖書は、博愛や平等という近代の思想との背景あるいは源泉をなすものであり、キリスト教思想にこうした動向を確認することも一定程度可能であろう。しかし、キリスト教はいかなる意味で愛の宗教なのか、また、その愛は博愛なのかは、けっして自明ではないだろう。神の選びは博愛でないからキリスト教的におかしいというのは、その見解自体が非キリスト教的なのである。こうした指摘は、波多野精一の古典的とも言える議論を参照することができる。

 おそらく、キリスト教において神を他者として強調する理由の一つは、人間の側から「博愛」(ヒューマニズム)の内部に閉じることによって生じる屈折を、開く・開放するという点に求めるべきであろう。

最近のメモから

 久しぶりに、わたくし自身の記憶のために、メモを掲載します。

1.「霊」とはいかなる、リアリティか。
 「霊」は、きわめて、捉えにくい、表現しにくい、伝達困難な存在である。聖霊論が困難であることの一因はここにある。さしあたり、霊は、「物体」「物質」ではない、これらと対照的であると述べることは可能であろう。しかし、「モノ」との関係はより複雑であり、人類は古くは、霊といわば「物質的」なイメージで捉えていた、つまり、霊の理解は、「モノ」的であったことに、注目することが霊を論じる上で不可欠である。古くは、霊的なもの、愛、恩恵、そして罪は、すべて「モノ」的であり、これは、次第に内面化され、精神化され、近代・現代に至っていると言える。しかし、「モノ」のイメージは頑強に持続している。
 たとえば、民数記11.10-25の部分は、この点で興味深い。特に、25節「主は雲のうちにあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、七十人の長老にも授けられた。霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言状態になったが、続くことはなかった」である。
 ここで語られる「霊」の分割は、霊がモノ的であると考えるとわかりやすく、日本の神々においても、同様の事象はいくらでも見出すことが可能である。
 以上とともに、霊の性格で重要になるのは、霊は「個別性」(個々の人間に応じて)に関わることである。霊の個別性に基づく霊の多様性は、役割・機能の多様性とそれらの統一性という仕方で展開すると、「教会」の霊性としてイメージできるようになる。
 問題は、この霊的多様性の一致(霊的一致、一つの霊)をどのようにモデル化するかである。一つは、ヒエラルキー、もう一つは、機能的区別を含む平等性(万人司祭)であり、どちらのモデルも、キリスト教の歴史を貫いて存在する。

2.歴史の表層と深層、あるいは多層。
 歴史は、しばしば多層的な仕方での理解を要求する。自然のプロセスから個人の内的で実存的なプロセスまで、この中に歴史は位置している。したがて、歴史理解には、表層と深層という区別が必要になる。キリスト教的には、これらにくわえて、神の経綸・予定・摂理といった事柄が問題になり、神に関しても、内在的と経綸的のいわば多層(永遠と時間との間)が問題となり、議論はきわめて複雑になる。
 こうした問題を考える上で、やや忘れられた感があるが、再読したいと思うのが、次の文献である。

Carl Michalson,
The Hinge of History. An Existential Approach to the Christian Faith,
Charles Schribner's Sons, 1959.

 この文献には、野呂芳男、小田垣雅也の共訳が存在するが、こちらも、すでに半世紀前の訳になってしまった。
 1950年代から60年代にかけての「実存」をキーワードにした多くの思索は、今後、どのような扱いなるのだろうか。流行を追求するのに忙しいキリスト教思想では、現時点では、忘却されつつある。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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