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ジジェク(2e)

 ここは「現実界」というキイワードの説明としても読める。資本主義の土俵内の言論の限界とそれを踏まえた上で問われるべき課題。しかし、課題を遂行する主体は?

5.犠牲者たち、どこもかしこも
・「「資本の論理」の〈現実界〉」(80)、「今日のポストモダン政治学におけるヘゲモニー闘争には一つの限界がある。それは、〈資本〉の無制限の動きを実際に止めるような核心に触れたとき、〈現実界〉に直面する」(81)
 これが資本主義世界における寛容というもの。しかし、ジジェクは核心に触れたのか?
 ここが考えどころ。

・「国家の主権を守る法よりも高次にある法の尊重」「人権」「良心」
しかし、
「ウルリッヒ・ベックが「軍事的ヒューマニズム」や「軍事的平和主義」と呼んだもの」「軍事的平和主義のパラドクス」(83)
・「問題点は「軍事的」というところではなく、「ヒューマニズム/平和主義」というところにある。つまり、(社会的闘争への)「軍事的」介入が(民族間その他の)憎悪と暴力の犠牲者に対する援助として提示され、非政治化された普遍的人権の名のもとで正統化されてしまう」、「われわれに必要なのは」「非政治化されたヒューマニズム/平和主義という虚飾をはぎとった「軍事的な」社会的介入である」(84)
・「純然たる受難者」(84)、「思想的な主体-犠牲者のイデオロギー的な構築であり、NATOの介入はその支援を名目にしている。これは明確な課題を担った政治的主体ではない」、「魅力な受難者の主体」「動物的な切望に限定されている」(85)
「NATOはアルバニア人自身が本格的に武装して抵抗運動することを事実上妨害した」(86)
「NATOはコソヴォの犠牲者を保護するために介入する一方、同時に彼らが犠牲者野間までいるように、…荒廃した国の住民でいるように、画策したのである」、「倒錯的」、「犠牲者のパラドクス」、「今日のグローバルな資本主義に適合したイデオロギーの様態」(87)
 政治の現実を言えばそれまでではあるが、現在のリビアも、パレスチナも。しかし、名目的介入の思惑通りに行くとは限らないのもまた政治。裏にまた裏がある。

・「〈資本〉の〈現実界〉の支配」(88)
・「グローバル化のでデットロック」、「いわゆる今日のナルシズム人間のなかにわれわれが見出すのは、自我を犠牲にして、超自我とイドとの直接的な結びつきである。いわゆる「全体主義」の基本的な教訓は、超自我の圧力において表象された社会権力は自我という自律的、理想的なエージェントと迂回しつつ主体の卑猥な欲動を直接操作する、ということである」(89-90)

・「第三の道」「第二の道をめぐる奇妙な謎」
「真の保守主義から急進的な社会民主主義にいたる他の選択肢がグローバル資本の勝ち誇らんばかりの猛襲と自由民主主義の概念をまえに敗北してしまった、まさにそのときではなかったのか、と。第二の道は存在しない、グローバル資本主義にかわる現実的な選択肢は存在しない」(90)
・「〈第三の道〉とは人間の顔をもったグローバル資本主義であり、つまりは、グローバル資本主義の運動を妨げずに、そこにおける人間の負担を最小限にする試みである」(91)
 かなり明確な話。日本で言えば、55年体制とはまさにこんなものだったと言えようか。ポストモダンがまったく「ポスト」になっていないのは、以上からも明らか。では、ここまで論じた上で、第三の道とは、何か?
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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