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ジジェク(2f)

6.空想的〈現実界〉
 ユダヤ教、特にキリスト教との関係をジジェクが論じるときのポイントの一つ。あるいは幽霊の現象学。短めの章。

・「その行為自体の過剰な暴力性」
・「ユダヤ一神教によって「抑圧されたもの」は、異教の酒宴や神々の豊かさではなく、ユダヤ一神教自体の根本にある、否認された過剰な性質である」(92)
・「ひとつの制度をつくるというみずからの行為を遡及的に不法な/犯罪的な行為にかえてします暴力」
・「殺されて食べられる最後の犠牲者」「キリストの磔刑」「すべての犠牲を終わらせる最後の犠牲」「ルネ・ジェラール」
・「象徴的な歴史(共同体の伝統を構成する、一群の神話的物語およびイデオロギー的-倫理的規範…)とその猥褻な他者、すなわち象徴的な歴史の支えであるにもかかわらず象徴的歴史が効果をもとためには排除されねばならない、事実としては認めがたい「幽霊のような」空想的な歴史とは、区別されるべきである」
・「トラウマ的な出来事」「象徴的空間にはけっして書き込まれない出来事」(93)
・「ひとが共同体の完全な一員となるには、共同体の象徴的伝統に同一化するだkではなく、その伝統を支える幽霊的なものの存在を受け入れる必要がある」
・「原初的父の殺害や他のフロイト的な神話は、ある意味では現実よりも現実的である。それらは「真実」である。」
・「自身の暴力的な介入にまつわるトラウマ的な過剰」(94)
 共同体の統合機能の担い手としての神話、それを支えつつも排除され幽霊化した過剰性。この過剰性が世代を超えて作用・存続しつづけるのはなぜか、いかにしてか。共同体自体の存続自体に組み込まれるとしても、これは秘密の伝承か。
ユダヤ教にとって、キリスト教にとって、そして「日本」にとってそれはなにか。
ジジェクの説明は、映画やジョークなどの実例を用いて巧みに手を変え品を変えてなされるが、「フロイト的な神話」と同様に曖昧である。

・「原初的に抑圧された神話(根源的な空想)」(95)
・「平凡な現実よりも現実的である」
・「空想と現実の対立においては、〈現実界〉は空想に側に位置するということである」(97)
 虚構と現実の二分法が自明ではないとすれば、空想・現実界とは、いかなる仕方で理解されるべきか。
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プロフィール

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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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