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ジジェク(2g)

7.なぜ真理は怪物的なのか
 前章の過剰な暴力(空想的な現実界)を哲学的な議論へ接続する、つまり真理の問題へ。次のキイワードは、怪物・怪物的。

・「過剰な耐えがたい現実性」(101)
・「抑圧された、幽霊のような「仮想の歴史」は公式の歴史の「真理」ではなく、歴史を引き起こした行為の空隔を埋める空想であること」「〈偽記憶症候群〉」(102)
・「法的〈秩序〉の基礎を構成する原初的〈犯罪〉という概念」「空想的な神秘化」(103)

・「シェリング」「『世代論』」「ミトスからロゴスへの、〈現実界〉から〈象徴界〉への移行が展開されるはずであった部分」、「シェリングは、決断〈Ent-Scheidung〉という不気味な行為、すなわち「永遠不変の〈過去〉」という〈現実界〉よりもさらに原初的であるひとつの行為」、「彼は行為/決定を原始-宇宙的な神話によって基礎づけることの不可能性を認められるほどラディカルであった」(103)
「人間の意識は現に存在している意識と幽霊的でもうろうとした〈無意識〉の領域とを隔てる原初的な行為によって発生する、というシェリングの主張」、「〈決断〉の行為」「意識自体を生み出した身振り」「私が「私自身を選ぶ」」「「無意識」は」「最高位の次元でなされた自己-措定の〈行為〉である」「私自身の根源的な「投企」の選択である」(104)
 この決断・選択を語る言語とは何か。

・「「消滅する媒介者」の論理」「「非合理な」欲動の渦とロゴスの世界との差異を成立させた動きは、その差異が成立したあとでは不可視の領域に沈み込まねばならない、という論理である」「空想な物語」(105)
・「整然たる秩序の表面の下にひそむ恐怖というイメージ」「この凄絶な流れな渦のイメージは結局罠であるということ、われわれに真に恐怖の存在を忘れさせるためのさく力であるということだ」(106)
・「上品な仮面の下に存在する野蛮な父親という恐ろしい秘密こそ、空想によってつくられたものなのである」(107)
・「ふつうわれわれは空想を、耐えがたいトラウマから自分を守るためのある種の盾として空想化されている──では何から身を守るための盾なのか」、「どこか別の場所には完全なかたちの、何の制限もうけていない享楽が存在するということを最終的に保証する役割をはたすのではないか。真の恐怖は享楽の欠如であるとすれば、どうなるだろうか」
 ここでの議論はジジェクの論理でも注目すべきポイントと思われる。

・「父性的な象徴的権威が崩壊したあとに残るもの、それが想像的と現実的という二人の父親なのである」(109)

・「仮想化された戦争という概念に対する、戦争の残酷な現実の関係」、「むしろ暴力こそが空想的な防護盾として機能するのである」、「大惨事のイメージは〈現実界〉への接近ではなく、〈現実界〉に対する防護盾として機能する」(111)
・「根源的な〈基底 Grund〉の恐怖」「怪物的な幻影」「渦巻き」、「純粋な行為という深淵に対する恐怖」(112)

・「適合性(adequatio)としての真理から開示されたものとしての真理というハイデガーの移動」(113)
・「「真理」は(歴史的に規定された)「間伐地」であり、そこにおいて事物はある定まった意味の地平の内部でわれわれの前に現れる」「一時代を画する「世界」の一部として」、「時代に規定された、存在の開示形態としての真理」、「それは本質的に「出来事」であり、ある時代の内部で生起し、出現し、「実際に起こる」ものである」(114)
・「非真理」「二つの異なるレヴェル」(114)
・「第一のレヴェル」「自分の住まう意味の地平を忘却し、この忘却をも忘却しています状態」「「退行」」
「第二のレヴェル」「自らの発生に関する思考不可能な〈謎〉を背景に浮上する──それゆえにその〈謎〉を隠蔽する──状態」、「より根本的なレヴェル」(115)
・「真理の次元から派生したわけではない「非真理」は」「あらゆる象徴的宇宙の超克不可能な背景である、すなわち思考を寄せつけない厚みをもった前-象徴的な〈現実界〉である」
 キリスト教的には、ロゴスとカイロスの関係が問題になる。

・「人間による「真理の本来的な明け開きへの参入」がいかに「諸存在における人間の位置の錯乱[Verrückung]という意味での、人間存在の変容」であるかを強調するとき」「存在論的なというべき転倒/逸脱」(116)
 これが続く問題。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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