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宗教と科学の対立?

 日本における思想状況は(日本だけではないが)、いまだ「宗教と科学」の対立図式に規定されている。それには宗教あるいは宗教研究者の側にもかなりの責任がある一方で、いわゆる科学者の無知にも(無知=常識となっているのが現実である)、しばしばあきれてしまうことが少なくない。いい加減に、この状況にも慣れてきたとはいえ、自分こそが科学の実情を知っており(それはそうだろう)、「宗教と科学」についても卓見・見識を有していると思い込んでいるという、あまりにも素朴な態度に接すると、うんざりしてしまう、これが正直なところである。

 その点、以下に紹介する文献は、なかなかおもしろい。「宗教と科学」の問題領域も、近年は、脳神経科学の領域に突入し、今後の展開が期待されるわけであるが、現時点では、基本的に、「宗教」と「科学」の双方で議論がかみ合う水準まで研究が進んでいないのが実情である。「まだまだ」、しかし「急速に」といった感じである。物体と生命での生産的な関係構築の失敗を教訓化して、脳については、まともな議論の構築がなされればとは思うが、見通しは決して甘くない。

Raymond Tallis,
Aping Mankind. Neuromania, Darwinitis and the Misrepresentation of Humanity,
Acumen, 2011.

Introduction: The Strange Case of Professor Gray and Other Provocations

1 Science and Scientism
2 Consequences
3 Neuromania: A Casle Built on Sand
4 From Darwinism to Darwinitis
5 Bewitched by Language
6 The Sighted Watchmaker
7 Reaffirming our Humanity
8 Defending the Humanities
9 Back to the Drawing Board

 ここでも問われているのは、人間であり、まさに宗教と科学の切り結ぶはずの地点である。
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プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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