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「正しい宗教哲学」(9a)

 『宗教哲学序論』第三章「一八」の最後の部分、二頁ほどの内容について、論じます。これで、波多野宗教哲学自体の方法論の説明は完結します。問題は二つです。一つは、象徴概念、もう一つは、宗教と文化との関わり。

1.象徴概念
 『宗教哲学序論』では、方法論という観点から象徴論が展開されてもおかしくはないはずですが、残念ながら象徴論はほとんど展開されていません。波多野の象徴論の基本的なテキストは、『宗教哲学』『時と永遠』であり、この二冊全体に分散的に示された議論から象徴論を再構成することが必要になります。その一つの試みとしては、次の拙論を参照(ティリッヒと比較しました)。

 芦名定道「宗教的実在と象徴──波多野とティリッヒ」
  (https://sites.google.com/site/kyotochristianstudies/home/modernity/journals)

 ただし、今回扱った部分における次の文は、興味深い内容である。

「そこでは自然的実在も観念的存在も象徴と化することによって、実在は観念性と又観念は実在性を獲得する。」(336)

 この文より、宗教的象徴の素材は自然と文化の全体に及んでいること、象徴は実在と意味世界(文化)との双方にまたがる仕方で成立することがわかる。象徴は意味世界内部での意味機能・表現機能を有すると共に、意味世界に回収・還元できない実在への指示機能を有しているということである。
 意味世界内部でも、「絶対者の思想」「絶対者という観念」は有意味なものとして成立する。問題は、「絶対者の思想や概念において吾々は決して絶対者そのものにも出会わぬのである」(336)ということであり、波多野はこの点で実在論へコミットしている(ヘーゲルとの差異)。
 それに対して、「絶対者に出会う唯一の場所は宗教である」(337)とあるように、こうした議論から、文化の世界に属しつつも人格間の共同において成り立つ道徳は、その実在論という点において、宗教にまで徹底化されねばらないとの帰結が生じることになる。

 近代以降の道徳の問題に一つは、その相対性をめぐるものであるが、文化の意味世界は相対性を基本的属性としており、相対化を免れない。波多野は、この相対化という問題は解決を要するものであり(これは一つの立場ではあるが、必ずしも自明ではない)、それは実在論の徹底、つまり宗教において可能になると考える。「宗教にまで徹底化することによってそれは相対化を免れる」。もちろん、ここでの宗教は高次の実在論であることを除けば、内容的に限定されてはおらず(ティリッヒの言う広義の宗教)、制度的宗教として問われるとは限らない。しかし、ここで問題は宗教と文化の関わりという問題に移ることになる。

2.宗教と文化との関わり
 まず、波多野が強調するのは、文化的意味世界(観念世界)の相対性であり、それについての波多野の説明は、意味世界を構成する中心(意味付与原理)は、意味世界の「平面」上の特定の地点に偶然的に位置しているが、その中心は意味世界の構成がそこでたまたま行われている以上の理由は存在しない。「元来純粋の平面の上には従って客体の平面の上にも厳密の意味の中心はあり得ぬ」(337)と言われる通りである。これは、20世紀の哲学的人間学おいて、意味世界の無根拠性・恣意性と言われる事態である。

 宗教は、この意味世界の恣意性に直面した人間がなおも意味世界(自己の存在)を肯定し自分らしく生きることを可能にするという役割を担ってきた。こうした役割・機能を果たすものを「宗教」と規定するというのが、こうした議論のポイントである。

 この場合の宗教は、もはや平面上の一点として示すことはできない。意味世界を構成する平面上の主体という中心性を真に可能なものとし、しかもそれを超越する真の中心性。波多野は、「平面との関係は保ちつつしかも立体的にそれを超越する」「実在者のみが中心であり得る」と主張する。この「平面」「立体」という表現について、波多野がどのような理論的裏付けをもっているかは、不明ではあるが(同時代という観点などから想像はできる)、これは、後の『時と永遠』でも使われる比喩であり、また宗教をイメージするときに、高さ、深さ(深み)などのメタファーが使用されることにも通じている。より理論的に言えば、意味の根拠づけは、その意味体系内部(平面上)では不可能であり(トートロジーかパラドクスとなる)、別の論理階層(意味世界の外部=立体)との関連づけが必要になるということである。

 以上のように、波多野の哲学的人間学は宗教を論じる上で様々な重要なポイントに関わっている。しかし、残念ながら、波多野においてはこうした広範な問題領域を包括し詳細に仕上げられた哲学理論は提示されていない。これは、波多野によって続く世代に残された課題・宿題である。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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