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宗教哲学と思想史研究

 これまで波多野宗教哲学における「正しい宗教哲学」の内容を概観してきた。これは、近代以降の、特に20世紀の前半から中頃までの思想状況において、「宗教哲学」とはいかにあり得るのか、あるべきかという困難な問いに対する波多野の思索の到達点を示しており、それ自体が思想史研究の対象となるべきものであり、また、過去の思想的成果であるに留まらず、その後の、現在の問題に対しても多くの示唆を含んでいる。

 波多野宗教哲学が過去の過ぎ去った時代的存在以上の、いわば普遍的な問いに対する一つの典型的な答えの試みであり得た理由の一つは、波多野の宗教哲学が、彼の思想(史)研究というしっかりした基盤に支えられていたことに求められるであろう。波多野の宗教哲学は、頭の中での「天才的な」ひらめき(しばしば、これを「思いつき」と言う)を書き記した以上のものを含んでいる。波多野は基本的に思想史研究者であり、それに基づいた宗教哲学者であったのである。

 その思想史的知識の広がりは、多くの文献の緻密な読解に支えられ(波多野は自分の専門領域とする思想分野については、原典の分析的読解に基づく研究を積み重ねているが、専門ではない思想領域についても、研究文献を通してかなりの知見を有していたことが推測できる)、現代宗教学(宗教現象学、神話学、文化人類学から宗教心理学や宗教社会学までの同時代の成果)、インド哲学、日本思想史、西洋思想史の全般に及ぶものであるが(こうした知的世界の広がりは著作として提示された思想の背後に隠されており、しばしば垣間見られるだけである)、中心に位置するのは、初期キリスト教思想(イエスからパウロ)と西洋哲学史の古代、近世・近代の思想であり、若き日の二つの記念すべき著作(『西洋哲学史要』『基督教の起源』)において扱われた思想領域である。これらの著作の以降、波多野は着実に思想史的知見を深化・拡張している。

 『宗教哲学』における中世思想(アンセルムス、トマス、エックハルトなど)や現代哲学(ジンメル、フッサール、シェーラー、ハイデッガー、ブーバー)、『宗教哲学序論』における弁証法神学やルター、『時と永遠』におけるアウグスティヌス時間論などなど。

 こうした波多野宗教哲学の基礎は、『宗教哲学序論』の後半、「第四章 歴史的瞥見」において明確に現れている。

「上述の如き正しき宗教哲学がいかに歴史の大勢によって要求されたものであるかを知るために、吾々は最後にこの道における先達、歴史的大勢を作るに与って力あった諸先輩に一瞥を向けよう」(338)。
「これらの人々によって播かれた種子は正に今日発育し実を結ぶべき好時期に到達した観がある」(338-339)。

 以上は、波多野の思想の質をよく示している。それは歴史意識と言うべきものであり、過去に播かれた「種子」が実を結ぶ「好時期」の到来とは、波多野的な仕方での「カイロス」の経験と言うべきであろうか。

 波多野は、近代日本が生みだした代表的な知識人(その知的世界のスケールを見よ)であり、近代日本の栄光と限界がそこにある。この波多野から得られた教訓は次のようにまとめられる。
 思想は歴史的存在であり、思想史研究は思想の土台である。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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