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近代日本のキリスト教研究の軌跡(1)

 近代日本のキリスト教も、明治開国前後から開始され、すでに150年を経過した。これまで、多くのキリスト教研究がなされ、その蓄積は決して小さくない。本ブログでは、「自然神学・環境・経済」という問題について、東アジアという文脈を重視しているが、日本のキリスト教研究はこの文脈の重要な構成要素である。今回、新しいカテゴリ「キリスト教研究の軌跡」を設定したのは、現代のキリスト教研究を前進させる上で思い起こす必要のある、依拠すべきこれまでの研究を辿り、このブログの視点から読みなおすることを意図している。
 実際、自分のこれまでの研究を振り返るとき、多くの先生方、先輩方の研究が自分の研究の土台になっていることを感じざるを得ない。すでに逝去された先生・先輩を含めた多くの方々の研究成果を、続く世代のわれわれは、それに相応しい仕方で意識化し自らの基盤を確認する必要がある。すでに論じられ解明された事柄を、それを無視し、多くの時間を使ってやり直すことは、研究者となる上で不可欠の場合もあるわけであるが、多くの場合は単なる時間の無駄である。「新しい」と思い込んで発表される「常識として知っておくべき成果」の数々。これは、さしあたりは、他人のことではなく、自分のことである。そこで、本ブログが「自然神学・環境・経済」をキリスト教、東アジアという視点から本格的に論じるにあたって、もう一度、様々な先行研究を振り返っておこうというわけである。
 
 当面は、日本、そしてわたくし自身が学んだ(学んだはずの)研究を取り上げてみたい。
 なお、今回は、初回でもあり、以前に、日本宗教学会・第68回学術大会(2009年)のパネル「戦前までの日本における諸宗教研究の現在的意義」におけるわたくしの発表原稿をそのまま掲載することにしたい(最近は、必ずしも完全原稿を準備して発表するわけではないが、この発表は原稿を準備していた。ただし、あるときの発表をきっかけに完全原稿の読み上げスタイルをとらないことも少なくない。完全原稿があっても、それがそのまま当日の発表であったわけではないことを、お断りしておきたい。)
 

「戦前日本におけるキリスト教研究」
 
1.はじめに
 わたくしの発題の目的は、まず「戦前日本におけるキリスト教研究」を概観し、続いて、その現代的意義について若干の指摘を行うことである。その際に、お手元のレジュメに示した、古屋安雄他『日本神学史』(ヨルダン社、1992年)などの研究文献が参照されるが、随時このレジュメをご参照の上、お聞きいただきたい。

 本論に先だって、「戦前日本におけるキリスト教研究」を概観する際の、取り扱う時代の範囲と、その区分について論じておきたい。
まず、「戦前日本」というタイトルから言って、取り扱われるべき範囲は、当然、開国から敗戦(1859年から1945年)までとなるが、1859年とは、キリスト教宣教開始(横浜、神戸、長崎などに外国人居留地が設置され、キリスト教宣教師が到着した)の年であり(キリスト教宣教150年)、近代日本のキリスト教研究にとってもその原点であったことを、念のために確認しておきたい(これは厳密に言えば、正確さを欠いている)。
 次に、1859年から1945年までのキリスト教研究を担った研究者について、この発題では、レジュメにあるように、三つの世代を区分したい。第一世代は、明治期のキリスト教思想を担った、海老名、植村、内村などのキリスト教指導者たちの世代であり、ここにキリスト教研究の発端を確認することができる。また、第二世代は、波多野や石原らからはじまり、有賀に至る、大正から昭和に活躍する世代である。それに対して、第三世代の研究者は、戦後にその主たる研究活動を開始し、戦後のキリスト教思想を担った世代であって、本発題の範囲からは除外される(したがって、1946年の北森の『神の痛みの神学』はここでは扱わない)。以上より、「戦前日本におけるキリスト教研究」の概観は、その範囲を第一世代と第二世代(現実には、この世代の戦前における業績)に限定することができる。

 これから、各世代のキリスト教研究の内容を見てゆくが、あらかじめ全体を要約しておくならば、次のようになる。
 (1859年にさかのぼる戦前日本におけるキリスト教研究は、キリスト教自体がそうであったのと同様に、まったくの白紙状態から始まった。そこから容易に想像できるように、戦前日本のキリスト教研究を特徴付けていたのは、欧米の最先端のキリスト教研究を受容する(追いつく)という態度であり、この欧米の最新のキリスト教研究の導入という課題に関して、日本のキリスト教研究は比較的短期間のうちに驚くべき成果を挙げた。たとえば、1884年に出版された植村正久の『真理一斑』は、日本におけるキリスト教研究が開国からわずか25年のうちにすでにかなりの水準に到達していることを示している。しかし、これは個々の研究者の努力によるものであり、またキリスト教研究は、主にキリスト教会あるいは神学校において進められていた。つまり、戦前日本のキリスト教研究は、良くも悪くも教会的状況に制約されていたのであって、学会などにおける専門研究集団の十分な形成には至っていない。しかし、第二世代の研究者になると、しだいに学問研究の水準において、欧米の研究にも比肩できるものが現れてきていることにも留意する必要がある。たとえば、波多野宗教哲学として知られる、波多野精一の宗教哲学三部作である。)

2.第一世代のキリスト教研究
 最初期のキリスト教研究は、植村正久、内村鑑三、海老名弾正、小崎弘道などの第一世代のキリスト教指導者たちによって担われた。その発端には、宣教師が伝えたキリスト教思想が存在するが──伝統的で保守的な神学あるいは素朴な信仰──、こうした伝えられたキリスト教思想は、驚くべき早さで、これらの第一世代のキリスト教指導者によって消化され、日本語におけるキリスト教研究書となって刊行された。先に挙げた植村の『真理一斑』はその点で画期的な意義を有している。
 『真理一斑』で植村は、英語圏のキリスト教思想を中心に、しかしそれだけでなく、宗教哲学や宗教学の広範な議論もいわば自在に取り扱っており、たとえば、宗教の概念規定をめぐる議論や近代の宗教批判の思想動向について(宗教とは何か、なぜ宗教か)、植村は詳細に紹介し、自らの視点から論評している。進化論や唯物論といった当時の(19世紀の)キリスト教思想を規定した最新の問題状況(哲学的また科学的)が、本格的に扱われていることなど、『真理一斑』は、狭いキリスト教研究の領域を超えて、より広い宗教研究にとっても興味深い内容を有している。
 しかし、第一世代のキリスト教研究者は、専門的なキリスト教研究者ではなく、基本的にはキリスト教会の指導者であった点を忘れることはできない。つまり、彼らのキリスト教に対する学問的研究は、あくまで、近代日本におけるキリスト教会の歴史的状況に規定されたものなのであり、植村の場合も、客観的な思想としてのキリスト教の解明というよりも、雑誌刊行などの言論活動を通したキリスト教の弁証が主たる関心事であった。『真理一斑』も、まず第一には日本におけるキリスト教弁証論の古典として位置づけられるべきであろう。
 こうしたキリスト教研究のあり方は、しばらくすると、一方における、キリスト教会あるいはそれに依拠した神学と、他方における、近代的学問としてのキリスト教研究との間の緊張対立を生じることになる。植村が関わることになった新神学問題、そしてその後の海老名弾正とのキリスト論論争(1901-1902)は、キリスト教研究における教会神学と近代的学問との対立の顕在化と解することができるであろう。
 こうした問題状況は、戦後を含めた、その後の日本のキリスト教研究全体において繰り返し顕在化しつつ、今日にいたっている。

3.第二世代のキリスト教研究
 戦前のキリスト教研究も、大正期以降の第二世代の研究者になると、個々の研究領域での研究の深まりがみられるようになり、同じ欧米のキリスト教研究の紹介であっても、それは本格的で体系的な仕方で行われるようになる。その意味で、現代に至る、日本におけるキリスト教研究の基盤は、この第二世代の研究者によって確立されたと言うことができるであろう(この世代には、欧米の諸大学に留学し、戦後のキリスト教研究をリードしたものが多く含まれる)。
 これは、第二世代の研究者の活動の場が、キリスト教会や神学校に限定されず、帝国大学にまで広がりつつあることにも現れている。東北帝国大学の石原謙、そして京都帝国大学の波多野精一、第三高等学校の山谷省吾などである(狭義のキリスト教研究者ではないが、無教会の第二世代であり、東京帝国大学に奉職した矢内原忠雄や南原繁)。
 こうした動向は、宣教師から始まり教会と神学校に根付いた教会的神学的なキリスト教研究から、近代的な学としてのキリスト教研究が自立するプロセスと解することができるかもしれない。それは、欧米のキリスト教研究の紹介において、英語圏のキリスト教研究からドイツ語圏のキリスト教研究へのシフトが生じていることからも伺える。つまり、アメリカを中心とした宣教師のキリスト教と、新神学問題において伝統的で素朴な信仰を揺るがすことになるドイツの自由主義神学的なキリスト教(近代聖書学)との緊張関係の中で生じた、ドイツ神学の影響力の増大は、前者から後者へのシフトを意味しており、また、日本における思想研究全般におけるシフトと同調したものとも言える(アメリカ宣教師の影響からの脱却と日本思想界全体のドイツ・アカデミズムへの接近とはいわば平行して生じた)──もちろん、当時のドイツ神学や聖書学は、キリスト教思想の最先端に位置していたということも無視できないが──。
 第二世代のキリスト教研究としては、具体的には、ルター研究の佐藤繁彦、西洋哲学史・原始キリスト教研究の波多野精一、カルヴァン研究の高倉徳太郎、キリスト教史・歴史神学の石原謙をはじめ、同様に戦後のキリスト教研究をリードした研究者である、浅野順一、山谷省吾、魚木忠一、熊野義孝、そしてカトリックの思想家である岩下壮一と吉満義彦らが挙げられる。第二世代の研究者の研究領域は実に多岐にわたるが、そこにはいくつかの思想的動向が確認できる──佐藤敏夫は、福音的キリスト教、社会的キリスト教、弁証法神学、日本的キリスト教の4つを挙げている──。
 戦後のキリスト教研究との関わりで注目すべきは、福音的キリスト教と社会的キリスト教という対立軸があらわになったこと、また弁証法神学と日本的キリスト教という戦後に正反対の評価を受けることになる思想動向が確認できることである。以下、弁証法神学と日本的キリスト教について、紹介することにしたい。
 まず、第一世界大戦後にバルトを中心とした若い世代の神学者によって19世紀の近代的な自由主義神学を徹底的に批判して開始された弁証法神学であるが、この新しい神学運動は戦前の第二世代のキリスト教研究者によって急速に受容された(バルトの主要著作の翻訳や本格的に研究の登場は戦後に待つ必要はあったが)。そして、西田幾多郎や三木清、和辻哲郎らによっても注目されるなど、そのインパクトはキリスト教研究にとどまらなかった。しかし、バルトの神学思想がナチズム批判を展開し、その点で戦後に高い評価を得たのに対して、日本のキリスト教の置かれた状況は、弁証法神学が有していた政治的批判性を継承ことに関して、決定的な困難を抱えていた(戦前のバルト受容の特質と限界)。
 こうした弁証法神学とは異なり、戦後に徹底的な批判にさらされることになるのが、日本的キリスト教に分類される思想家たちである(たとえば、海老名の影響を受けた神学者・牧師たち)。日本やアジアの宗教的伝統をキリスト教研究のテーマとしてどのように論じるのかという観点から言えば、日本的キリスト教は、日本的伝統とキリスト教との一体化をイデオロギー的に主張するといった仕方でキリスト教研究から日本へとアプローチした(たとえば、神国・皇国と神の国の同一視、天皇とキリストの同一視、記紀神話と旧約聖書との同一視などに基づく、日本民族の使命達成としての日中戦争の正当化)。それに対して、ほかのキリスト教研究の諸動向(福音的キリスト教、社会的キリスト教、弁証法神学)においては、日本やアジアの宗教文化的な伝統が論じられることはほとんどなかった。そこにおいては、日本という歴史的伝統の文脈におけるキリスト教研究という意識はきわめて希薄であり、この第二世代のキリスト教研究は、全体として見れば、欧米のキリスト教研究の紹介と展開という問題意識を超えるものではなかった。
 しかし、すでに述べたように、この第二世代の研究において、現代日本のキリスト教研究の基盤は形成されたのであり、実際、そこには高度な学問的成果も確認できる。たとえば、波多野宗教哲学は、戦前の日本のキリスト教研究の精華と言うべきものである。
波多野は、20代から30代の若さにおいて、『西洋哲学史要』『基督教の起源』を公にすることによって、日本における西洋哲学史と近代聖書学の先駆的な研究者としての役割を果たし、後にそれらの研究を基盤にした宗教哲学の体系構築を試みた。いわゆる波多野宗教哲学である。それは、西洋哲学史とキリスト教思想史におけるその当時の最先端の研究成果に基づき、カント以降のドイツ哲学の文脈において、現代宗教学の動向も視野に入れて展開された宗教哲学であり、その独自性において、高い評価を得ている。現代においてキリスト教思想を基盤にした宗教哲学を試みる場合に、先行する古典的な宗教哲学として、この波多野宗教哲学の批判的な継承は不可欠の課題となるであろう。(「宗教的体験の理論的回顧それの反省的自己理解」としての宗教哲学、とくにその象徴論)

4.戦前のキリスト教研究の意義
 以上の概観からわかるように、戦前日本におけるキリスト教研究は、欧米のキリスト教研究の動向に依存し、それを追跡することを主要な課題としたものであって、日本独自のキリスト教思想形成の試み(北森神学、武藤宗教哲学)は、戦後に待たざるを得なかった。また、『支那基督教の研究』(昭和18年)に至る佐伯好郎の研究などを例外として、日本あるいはアジアといった視点は希薄であり、キリスト教指導者による日本的キリスト教の提唱以外には、キリスト教研究における「日本」「アジア」のテーマ化は、きわめて稀であった。(私見では、「アジア」をテーマ化した本格的なキリスト教研究が現れるようになったのは、戦後でも、1970年代以降。)
 このように戦前日本におけるキリスト教研究の限界を指摘することは難しくない。とくに、第二世代において顕在化した、4つの研究動向については、キリスト教研究の広がり・多様性を示すとの評価も可能ではあるが、むしろ、それぞれが他の立場に対してあまりにも論争的であったため、生産的な討論や積極的な思想構築には至らなかったと言わざるを得ないであろう。この分裂状況は現代にまで及んでいる。
 しかし、第一世代から第二世代の研究者たちが据えた土台こそが、戦後から現代に至るキリスト教研究の基盤をなしていることについては、正当な評価を行わねばならない。というのも、現代のキリスト教研究にも、戦前の研究と同様に、キリスト教会と近代的知との緊張の中にあって、西欧のキリスト教研究の新しい成果を貪欲に消化しつつ、その上で独自のキリスト教研究を構築することが求められているからである。戦前の研究との単純な断絶や否定は、自らの学問的基盤を堀崩すことになると言わねばならない。ポスト近代とは、近代との連関においてはじめて、有意味なものとなり得るのであって、それは、キリスト教研究においても、同様であるように思われる。
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プロフィール

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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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