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小川圭治(1)

 小川圭治先生(1927-2012年)は、長年、キルケゴール研究、バルト研究において日本の研究をリードし、多くの業績を残されたキリスト教学研究室の先輩である。それには、尚絅学院大学女子短期大学学長、また関東学院学院長としての働きも含まれる。
 わたくし自身としては、キリスト教学・学部生時代に先生の集中講義を受講したことが学生としての関わりであり(この集中講義には、大院生であった掛川富康氏(茨城キリスト教大学)とキリスト教専修所属前の久山道彦氏(明治学院大学)が出席しており、小川先生と何度か食事をご一緒した記憶がある。講義は、文学部東館の一階。)、その後、学会で研究発表をするようになると、日本基督教学会などでよくお目にかかり、学問的な交わりを続けてきた。先生のキリスト教研究の集大成の時期の諸論考をまとめた『神をめぐる対話──新しい神概念を求めて』新教出版社、2006年、の序文では、ご自身の研究を振り返り、次のように述べている。

「ドイツ文の論文Die Bedeutung und Grenzen der Kierkegaard-Renaissance deutscher Sprache, 1963をスイス国バーゼル大学神学部のK・バルト教授に提出して、Rd.Theol.の学院を得た。その後前著『主体と超越──キルケゴールからバルトへ』を京都大学文学部に提出し、文学博士の学位を得た。この二つの論文が、その後の私の研究の中軸となり、本書の出版へとつながった。」(II)

 これは、『主体と超越──キルケゴールからバルトへ』から『神をめぐる対話──新しい神概念を求めて』までの30年を振り返っての言葉であるが、キルケゴールとバルトを軸にした現代神学の探求、これが小川先生の研究をまとめるに相応しい仕方であることは疑いない。キルケゴールは、京都大学キリスト教学においては、何にかの研究者が繰り返し取り組んできた研究テーマであるが、バルト神学を軸にするという点に、小川先生の特徴があると思われる。
 以下、『神をめぐる対話──新しい神概念を求めて』の目次を掲載しておきたい。

はじめに

第I部 状況内における神の問題
第一章 現代における神の問題
  一 状況としての無神論
  二 神学における近代主義の克服
  三 イエス・キリストの出来事の事実生
第二章 現代における問いとしての神
  一 問いのない時代
  二 閉鎖文化の音大
  三 主観主義の自己閉鎖性
  四 神としての神
  五 問いとしての神
第三章 神から見た人間と世界
  一 現代宗教における神の問題
  二 神から見た人間
  三 神から見た世界
第四章 宗教的多元論と神の絶対性──なぜキリスト教か
  一 宗教多元論の問題
  二 絶対性の概念
  三 一神教的絶対主義の突破
  四 結論
第五章 <聖なるもの>における超越性──受苦による超越
  一 超越の原型
  二 <聖なるもの>の類型
  三 神の受苦可能性
  四 真の超越を求めて
第六章 現代におけるイエスとの出会い──希望なき時代の希望について
  一 信仰職制会議
  二 アジア的状況の中で
  三 希望の灯の消えゆく中で
  四 終わりなき夜の希望の詩
  五 救い主とはだれか

第II部 新しい神概念の探求
第一章 神の存在の対象性──研究ノート(1)
  一 神の存在の非対象性──H・ブラウンの場合
  二 信仰告白における神の存在──H・ゴルヴィッツァーの場合
  三 生成におえる神の存在──E・ユンゲルの場合
第二章 なにゆえの「自然神学」の新しい可能性なのか
  一 新しい問題提起
  二 概念規定の問題
  三 出発点の確認
  むすび
第三章 神概念の転換──E・ユンゲルのバルト解釈を手がかりとして──研究ノート(2)
  一 神の神性の確立
  二 神の人間性の出現
  三 神の知解可能性
第四章 神論における無神論──研究ノート(3)
  一 無神論の類型
  二 絶対的超越性の要求
  三 批判原理としての無神論
第五章 生ける神──教義的考察
  一 神について語ること
  二 三一の神
  三 創造する神
第六章 神概念の類型論的構成──方法論的序説の試み
  一 宗教学の区分について
  二 神論の二つの断面
  三 神概念の五類型
  四 展望

第III部 新しい神概念から見た世界と人間
第一章 終末論的良心──カール・バルト『倫理学講義』を手がかりにして
  一 内在的良心と超越的良心
  二 内在的良心の挫折
  三 神学における良心論の位置
  四 超越的良心の動的現実性
第二章 カール・バルトのルター理解
  はじめに
  一 学生時代
  二 牧師時代の説教準備の中で
  三 神学形成期の中で
  四 『教会教義学』の形成の中で
  五 倉松論文への疑問
  むすび
第三章 キリスト教から見た生と死
  一 問題の出発点
  二 生と死の五段階
第四章 西田幾多とキリスト教──滝沢克己の思索を手がかりにして
  一 接触の原型──第一期
  二 対話の深化──第二期と第三期
  三 肉迫と拒絶──第四期
  四 往還二相の接点
第五章 弁証法神学と科学
  はじめに
  一 弁証法神学の課題と目標
  二 神概念の転換
  三 自然科学との折衝
第六章 新約聖書における和解論の神概念
  一 新しい時代の戦争と平和
  二 自爆テロのエートス──ベトナム戦争からイラク戦争へ
  三 啓蒙の自己矛盾と近代化
  四 新約聖書における和解の神
  まとめ

索引
人名索引
事項索引

 
 改めて、多くの宿題が残されていることを感じさせられる。
   




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プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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