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社会的構想力をつなぐものは何か

 本ブログでは、「自然神学・環境・経済」という問題を論じる中で社会的構想力に注目してきた。特に、問題になるのは、イデオロギーとユートピアという二つの形態であり、こうして、キリスト教との関わりで、黙示的終末論と民衆との関わりが一つのポイントして浮かび上がってくる。

 ユダヤ教の黙示文学から、初期キリスト教への系譜は、新約学とユダヤ学の問題領域であり、その後の、2世紀のモンタノス運動から教父における終末論となると、古代キリスト教思想史、教父学の問題圏へと入る。さらに、中世、なかでもフィオーレのヨアキムから急進的修道院運動、そして宗教改革期の農民戦争へと、この系譜をたどることが可能であり、おそらくは、17世紀のイギリスを経て、現代まで及ぶことになるものと思われる。

 さて、以上の黙示的終末論と民衆という問題の系譜をたどるとき、それはいかなる仕方で断続的にではあるが、確実につながって歴史的現象として出現できたのかが大きな問題とならざるを得ない。この系譜は、単なる偶然のつながりなのか、あるいはそこには解明可能な事柄が存在するのか。

 教会などの組織とそこにおける伝統ということを持ち出すこともある面必要なことではあるが、これではあまりにも大まかすぎるし、特定の共同体的実体的な系譜のメカニズムを設定するのは、仮説としても無理があるように思われる(一種の秘密結社の存在で、先の系譜をつなぐことができるだろうか)。そこで、さらに考察を進めるためには、さしあたり、次の二つの方向性が追求されねばならないのではないだろうか。

・聖書解釈の系譜:黙示的終末論運動には、聖書的なモチーフ(たとえば、ヨハネ黙示録)が重要な働きをしている。特に、聖書の正典化以降の状況は、ヨハネ黙示録の正典的地位が確定したことにより、共同体的実体的な連続性を超えた、イメージとその解釈の継承が可能になったと言える。テキストが媒介する社会的構想力の問題である。そして、これが民衆レベルでのイメージの共有を引き起こす鍵になるのは、おそらくは、「説教」の役割が決定的なのではないであろうか。聖書解釈の歴史的系譜(テキスト化)とそれを介した社会的構想力の伝播、そして説教、この点を、歴史的かつ理論的に追求することが必要になる。一挙に歴史の全体というわけにはゆかないので、自分が得意な時代から始めることになるだろう。

・社会的構想力の人間学的基盤:このような「聖書解釈の歴史的系譜(テキスト化)とそれを介した社会的構想力の伝播、そして説教」という問題を理論的に追求するには、社会的構想力自体の解明が必要になる。それに、人間存在(個人と共同体の相互的構造)にとって社会的構想力の位置づけが問い直されねばならない。参照すべき、哲学思想も多々思い浮かんでくるが、ここは、社会科学を含めた諸学の成果が不可欠のものとなるように思われる。これもかなり巨大な研究テーマである。

 環境と経済、そしてキリスト教思想とのコミュニケーション可能性の解明が自然神学の課題であるとすれば、現代の自然神学は、以上の社会的構想力の解明を中心に据えねばならないことになる。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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