公募の季節がめぐってきて

 毎年6月後半にもなると、大学などにおける教育・研究職(任期付き・任期なし・・・。最近は常勤だけなく、非常勤講師の公募も目立つようになっている)の公募情報が、かなりの数にのぼるようになる。科学技術振興機構の人材データベース(JREC-IN:http://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekTop)から、目を離せない時期である(学生指導することにはこの面が欠かせないのが現状である)。大学は人事の面ではすでに次年度をめざして動きつつあるわけである。
 教員はもちろん、博士後期課程の学生も、わたくしの学生時代よりもさらに自分で積極的に動くことが必要になっている。課程を終了し、あるいは博士の学位を取得すれば、それなりの仕事が向こうからやってくる、というのはわたくしの学生時代でもすでに過去のことになっていた。これは常勤職はもちろん、非常勤職でも同様である。最近の公募の傾向を把握した上で、自分は何をすべきかを考える。これは基本中の基本であろう。
 最近の特徴として念頭に置くべき点を思いつつままに列挙してみよう。

・公募の範囲は、着実に広がっている。非常勤講師の公募がJREC-INに掲載されはじめた頃は驚きを感じたが、今は当たり前の状況である。情報はどの就活分野でも不可欠のものである。

・しかし、公募が拡大する一方で、人間関係の繋がりが決定的な意味をもっていることは変わりない。所属の研究室の人間の繋がりを大切にする、学会の学術大会でアピールする発表を行い様々な研究者と知り合いになる、これは当然のことである(社交的であれとは言わないが、寡黙な「人間嫌いの態度」も困ったものである)。大学人事では、研究・教育能力を前提として、人物・人格面がきわめて大切な意味をもつ(学生の教育を担当し、教育研究体制の担い手になるわけだから)。研究業績で採用したが、学生指導は満足にできず、教育研究体制を支える業務に非協力的であるといった人事は最悪である。推薦書が要求されるのは当然であり、それだけに推薦する側も責任を感じることになる(しかし、出身研究室を現在担当しているというだけで、研究指導の責任を負ったわけもなく、またすでに博士学位を取得した「立派な大人」のODのことで責任を追及されても、それははっきり言って無理な相談であり、迷惑以外の何ものでもない)。

・公募では、複数の専門分野や階層(助教から教授まで)にわかるものが少なくない。これは、公募で集まった人材を見て範囲を絞り込むということかもしれないが、大学では、様々な仕事がこなせる人材を求める傾向が高まっているということでもある。少子化で学生数が減少する中で、教員の数を増やすことはいずれの大学でも困難であり、教員には様々な仕事が課せられる傾向にある(大学教員はきわめて多忙になりつつある。夏休みは小学生よりも短いというのが現実ではないか)。こうした状況は、公募に応募する側でも意識しておく必要があり、一概には言えないが、自分の研究範囲についても、柔軟に幅をもたせることが要求される(博士論文を執筆する際の要求と矛盾するかもしれないが)。

・最近の公募では、英語を中心とした語学や日本語・留学生担当といったものが目立つが、それは今後も続くことが予想される。思想系は必ずしも多くはない。キリスト教思想関係となるとさらに少ない。しかも、キリスト教系独特の条件が課せられることもある。どんな条件が要求されているかについては、博士後期課程のはじめの段階で把握しておく必要があるであろう。条件を知ったところで対応できるとは限らないわけではあるが、無知はよろしくない。

・公募に限らないが、研究業績は博士学位の有無(どの大学どの大学院の学位かも含めて)と共に、最重要の条件であるが、論文の数をそろえればよいというものでもない。まず重要なのは、専門著作(単著の形の専門研究書)、次に論文であり、続いて学会などでの研究発表、最後がその他(翻訳はここに入る。翻訳は苦労が大きい割には、学問的業績としての評価は高くない)であり、基本的には前の二つである。普通の大学院生やODの場合は、専門著作があるのは稀であるから(ということは、これがあれば強い)、勝負は論文となる。論文にも、ランクがあり、査読付き/査読なし、全国規模(世界規模)の学会の学会誌/研究室の紀要、欧文/日本語、いった要件に応じて、評価が決まる。査読付き何本といった言い方がある。最も強力な業績は、世界規模の学会の専門雑誌に、査読付きの欧文の論文が掲載されることである。

・また、論文などの業績の量にも目安がある。公募の場合は、一つの椅子をめぐって数十から百を超える応募がなされるわけであるから、第一次審査は、形式的基準による絞り込みにならざるを得ない。博士の学位の有無と、論文・業績の数である。とすれば、募集が助教か、教授かによって、基準の業績数も異なってくる。おそらく、桁が違ってくるはずである。助教であれば、基準をクリアーするが、准教授では最初のふるいわけで落ちてしまうということが起こるということである。

・業績の数という問題は、年齢の問題とも微妙に連関することになる。思想系で、常勤職についていない場合、毎年執筆可能な論文の数が限られてくる。たとえば、自分か関わっている研究室・学会・研究会において、毎年2本は論文がかけるとして、5年で10本となる。内容の水準は別にして、この数は助教の公募であれば、問題ないかもしれない、しかし、准教授としてはどうだろうか。年齢の問題とは、公募自体に年齢制限がある場合があるという意味での問題だけでなく(教育研究組織で重要なのは年齢構成であり、同じ年齢層に教員が集中するのは好ましくなく、一定は幅のバランスのとれた年齢構成がめざされる。公募では、研究能力とは別に年齢という要素が重要になる)、応募者の年齢とその年齢に対応する階層とのミスマッチが生じ、それが次第に大きくなるという問題である。30年代前半で助教の公募に応募したした際には論文業績が5本あり、ほかの応募者とそれほど遜色がなかったが、30代後半から40代になり、年齢制限から応募できる准教授になったにもかかわらず、論文は10本程度にとどまっていた場合、本数的な面で条件に合わないということが起こりえることになる(もちろん、こうして5とか10とかという数はたとえばということである)。業績があれば、研究内容がすばらしければ、年齢など関係ない、それはまったくその通りである。しかし、それはまさに研究内容がすばらしい場合であり、平均的な研究業績の場合は、年齢は無視できないのも現実であろう。大学の人事は、教授が退職すれば、准教授が昇進し、外部からはなるべく若い年齢の将来性の期待できる人材を採用するという傾向がある。このことは知っておくべきことであろう。

・結局、公募の季節を迎え、考えるべきは、現状をよく知り積極的な動くことである。そして、もう一つは自分の特徴、アピールすべき点を把握することである。留学生と日本人とでは、以上に述べた個々のポイントも違った意味をもってくる。留学生は自分が留学生であることを最大限に生かすことを考えるべきである。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、今後開設の別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します。
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