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キリスト教思想とその批判性

 キリスト教思想の社会的機能を感じる場合に、問題になるのは、その批判性であり、思想が知的営みであることから言って、批判性は現実の知的状況において発揮されることが期待される(期待であって現実ではない?)。本ブログでも、社会的な批判機能の担い手であるはずのマスコミ(言語・表現の自由とはこの点にかかっているはずである)が、近年、特に3.11以降顕著にその批判性を喪失してきている点について指摘してきた。キリスト教思想の批判性を考える上で、近年のマスコミの状況を検討することは有益かもしれない。

 実は、社会批判・権力批判の担い手としてのマスコミが様々な限界を有していることは、そもそもの近現代的なマスメディアの形成過程においてすでに内在してきたことであり、最近の出来事ではない。この点を実証的に確認する上で、次の文献は興味深い。

吉田則昭
『緒方竹虎とCIA アメリカ公文書が語る政治政治家の実像』
平凡社新書、2012年。

はじめに

序章 大志を胸に抱いて──幼年期、青年期
第一章 毎日新聞筆政──戦前の新聞記者時代 一九一一─一九四四
第二章 メディア界の統制──情報局総裁として 一九四四─一九四五
第三章 戦犯指名と公職追放──一九四五─一九五一
第四章 頓挫した「日本版CIA」構想──政府高官時代 一九五二─一九五四
第五章 コードネーム”ポカポン”──保守政治家として 一九五五─一九五六
おわりに

あとがき
主要参考文献
年表

「戦前は朝日新聞を代表する記者として活躍、その後政界に転じ、小磯内閣で内閣情報局総裁を務め、戦後は保守合同を主導したことで知られる緒方竹虎。二〇〇五年に機密解除になって米公文書から、一九五五年の自民党結成にあたり、CIAが緒方を通じて対日政治工作を行っていた実態が明らかになった。」

 日本のマスメディアと政治・経済との密接な関連など、改めて指摘するまでもない。しかし、その実態はメディアの深部に深く根差し、現在も強力に作用している。緒方はその象徴的な重要人物であるが、それは彼だけではない。本書が明らかに論じているように、CIAのコードネームを付与されたのは、緒方(POCAPON)のほかにかの正力松太郎(PODAM, POJACKPOT,POJACKPOT/1)が存在する(197-198)。

 以前に5月24日のブログ記事で紹介したように、湯川秀樹を初代原子力委員に就任要請したのが、この正力松太郎であったのである。これは、昔々の物語ではないはずである。

 キリスト教思想研究がその批判性を保持できるためには、こうしたマスメディアの状況とは別の在り方を、つまり、個人的にも組織的にも、自律した存在としての確立を確保する必要がある。これは、現実の日本において、いかなる仕方で可能であろうか。
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プロフィール

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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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