認識論について

 日本の出版社では、しばしば刊行書籍のPRなども含めて、エッセイを収録した冊子を刊行する例が少なくない。その内の一つ、世界思想社が毎年年度初めに刊行している『世界思想』2013,40号が届いた(わたくしも、以前にエッセイを書いたことがある)。今回は、「認識するということ」という特集で、興味深いエッセイがいくつかあったので、数回にわけて本ブログでも紹介したい。

 認識とは、哲学における中心テーマの一つであり、特に近代以降、その重要性は決定的なものになった。近代哲学の中心に認識論が置かれているのは、合理的な議論がその経験的根拠を問われるという知の状況を反映している。宗教思想を含め、思想全般において、その議論の裏付けとして、歴史学、文化人類学、社会学、心理学などの諸学が重要な位置を占めているという事情は、今回の特集にも反映している(裏付けなしに行われる粗雑な個人的経験の一般化がしばしば危険な状況を生み出す。思い込みを修正するのは容易ではない。在日外国人差別の事例を指摘するまでもなく。自分の専門分野では厳密な論理で批判的な議論を行う人が、より一般的なコンテキストでとんでもない発言をする。研究者として自戒すべき点である)。たとえば、次の諸論考などである。

・多文化接触とメディアの空間(西川麦子)
・二種類の「知る」行動(池井望)
・G・ヴィーコと知の技法(伊藤公雄)
・運動する認識(北垣徹)
・認識するということ(子安増生)
・世界史像と世界史認識(土肥恒之)

このほかに、脳神経科学と地球温暖化問題を扱ったエッセイが収録されているので、これらについては、改めて、やや詳し目に紹介したい。


 
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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