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『無教会としての教会』

 先日、関西学院大学神学部の岩野祐介さんより、著書をお贈りいただいた。京都大学に提出し博士の学位を授与された博士論文の出版である。博士論文作成の過程に関わった一人として、学位論文が著書として出版されたことを著者と共に喜びたい。京都大学キリスト教学専修では、これまでも多くの学位論文が提出されたが、日本キリスト教に関わる学位論文はおそらく岩野さんが最初ではないだろうか。岩野さん以降は、日本キリスト教(少し範囲を広げれば、東アジアのキリスト教)というテーマを専門領域とする学生(特に留学生)も現れはじめてきており、京都大学のキリスト教研究の広がりという点で注目すべき動向と思われる。演習で、日本やアジアのキリスト教のテキストを取り上げるようになって、10年ほど経過したことも、こうした動向と連動しており、日本においてキリスト教研究をする意義(留学生の立場から言えば、日本に留学してキリスト教を研究する意義)を考えるならば、当然の動きと言える。
 
 目次(さらに細かな下位の表題は省略)によって内容を示せば以下の通りである。

岩野祐介
『無教会としての教会 内村鑑三における「個人・信仰共同体・社会」』
教文館、2013年3月。

第一章 はじめに
 1-1 内村鑑三研究の意義と現状
 1-2 日本キリスト教思想史研究の現状/日本キリスト教史研究の方法
 1-3 内村鑑三研究において本稿がもちうる意義──題材としての聖書解釈

第二章 内村における個人の問題
 2-1 個人の信仰
 2-2 罪と義と自己の問題
 2-3 内村における神と人間
 2-4 内村における自由の問題

第三章 内村における信仰共同体の問題
 3-1 個人と社会をつなぐものとしての信仰共同体
 3-2 信仰共同体の問題

第四章 内村における社会の問題
 4-1 個人の信仰が社会へと広がっていく仕組み
 4-2 信仰と社会的実践
 4-3 信仰と道徳
 4-4 ルールとしての律法
 4-5 国家論

第五章 まとめと展望
 5-1 内村のキリスト教思想の特徴
 5-2 日本社会での公共性構築における、キリスト教の可能性
 5-3 内村鑑三とは何者であったのか


参考文献一覧
あとがき
索引

 現在、大学院所属の学生が通常目指す博士学位は課程博士(京都大学文学研究科では、博士後期課程指導認定退学以降3年以内に論文を提出したもの)という位置づけられるものであるが、それは、こうした制度に移行する前の博士論文(論文博士)がいわば研究の集大成という意味に近かったことに対して言えば、自立した専門研究者としての能力が認められたという意味で、研究者としての出発点を示すものとなっている(研究教育職への公募の条件に、博士学位が挙げられるのはこうした事情に対応している。もちろん、博士学位がそのまま研究者としての能力とイコールなわけではない。研究者の能力を示す重要な指標の一つということである)。
 したがって、博士論文は到達点と言うよりも、中間点であり、問われるのは、博士論文以降の研究の展開ということになる。博士論文以降の研究の方がはるかに長いわけであり、キリスト教学専修で学び学位を所得した方々には、さらなる研鑽を期待したい。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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