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聖書学と言語、レトリック論6

 聖書学と言語という問題は、正典・聖典論から説教までのキリスト教の中心的事柄に展開することを要求する。もちろん、この分野でも、日本語で読める重要な著作は少なくない(しかし、正典論については、渡辺善太、上田光正らのものを挙げることができるが、最近の研究はどうだろうか?)。特に、「聖書学と言語」という連関では、説教学との関わりで次の文献を指摘しなければならない。

加藤常昭
『文学としての説教』
日本キリスト教団出版局、2008年。

プロローグ──ある説教者との対話

第一章 文学パースペクティヴの再発見
  一 日本における<文学としての説教>の源流・植村正久
  二 植村正久以後
  三 われわれの課題
  四 いのちの言葉としての文学・私の文学経験そして説教経験

第二章 文学としての聖書・文学としての説教
  一 文学としての聖書の言葉
  二 文学としてのヨブ記に学ぶ──並木浩一に聴く
  三 文学としてのマルコによる福音書に学ぶ

第三章 文学としての説教の可能性と必然性
  一 エードゥアルト・トゥルナイゼンとの対話
  二 カール・バルトとの対話──ウィリモンと共に
  三 ルードルフ・ボーレンとの対話
  四 いくつかの対話
  五 説教塾体験から
  六 芳賀力との対話

第四章 文学との対話に生きる説教者
  一 説教者と説教を豊かにする文学
  二 詩人のこころ
  三 詩人と共に説教を読む

第五章 文学的説教を読む
  一 ハンス・ヨアヒム・イーヴァント
  二 竹森満佐一

暫定的結語・文学としての説教

エピローグ──再び説教者との対話

引用参考文献

 日本における説教学を代表する論者の著作であり、説教と文学との本質について考えさせられる論考である。神学的には、キリストと文化(H・R・ニーバー的に)、そして神の言葉と人間の言葉という議論への展開が求められる。そして、これは、人間の言葉における詩人・文学と思想、隠喩と概念という議論の展開されざるをえない。本ブログの話題は広範に及ばざるを得ない理由の一端はここにある。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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