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宗教学と言語

 宗教研究において、言語をめぐる問題は中心的な位置を占めている。実際、宗教言語をめぐる研究は、日本語の文献に限定しても数え切れない。昨日、刊行したての新しい文献を寄贈いただき、内容的にきわめて重要なものと思われるので、本ブログで紹介したい。

棚次正和
『超越する実存──人間の存在構造と言語宇宙』
春風社、2014年2月。

まえがき

第I部 
 第1章 祈りと巡礼
 第2章 宗教言語の遙かなる地平
 第3章 超越とヒエロファニー
 第4章 「絶対と相対の関係」としての人間と超越の問題
 第5章 解釈における創造と発見──エリアーデとリクール

第II部
 第6章 名号の一遍
 第7章 癒しの思想と人間観──滝沢克己の「純粋神人学」の視点より
 第8章 教祖の存在構造──天と地を結ぶ人
 第9章 フィンドホーンの奇蹟──内なる神と妖精たち
 第10章 秘密と開顕のあわい──密教が顕教化するとき
 第11章 意思伝達か、世界創造か──『声字実相義』への言語論的接近

あとがき

 収められた論考は、ほぼ全体が、宗教学・宗教哲学的な領域に分類できるものであるが、扱われる題材は多岐にわたっている(論者の関心の広がりを示している)。第I部は理論的方法論的な論考、第II部は具体的な宗教的事例により則した論考という特徴付けになるであろうか。いずれにせよ、宗教学・宗教哲学に対する大きな問題提起がなされていると考えて良い。今後の日本における宗教研究がここからどのような議論をさらに展開ができるかを、期待したい。

 「あとがき」には、筆者が前任校である筑波大学の大学院授業で配付した資料(研究の心構え)「申せ自戒」とその解説編が収録されており、興味深い(筆者が説明しているように、「申せ自戒」は「モーセ十戒」をもじったものであり、また十戒ではなく五戒である)。これから若手研究者を育てようとする教師の思いが伝わってくる。研究者を育てるというのは魅力的でやりがいのある営みであるが、多くの後悔が残る作業でもある。厳密に言えば、「育てる」というのはおこがましい言い方であり、パウロ的には、「わたしは植え、アポロが水を注いた。しかし、成長させてくださるのは神です」(1コリ3.6)と言うべきであろう。しかし、育てようとしつつも言葉が足りないと感じるのが教師の思いであり、まさに自戒であっても、学生に「申せ自戒」を配付したいということは理解できることである(毎年、年度初めのガイダンスでは学生に向けてさまざま語っているようにもおもわれるが、何が伝わっているのかという点では不安がないわけではない・・・)。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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