大学、そして日本の教育

 連休も終わり(わたくしには、研究を進める上では、あまり実質関係ないものではあるが)、通常の授業のリズムで一週間が始まった。しかし、大学をめぐっては、この間も、さまざまな動きが進行中であり、基本的には良い方向が見えないということが基調である。こうした動向の背後には、当然の歴史の蓄積が存在する。表層的な批判ではなく、本格的な分析が必要ということで、たとえば、次の文献などはいかがだろうか。

別府昭郎
『大学改革の系譜:近代大学から現代大学へ』
東信堂、2016年。

まえがき
凡例
序章

第一部 ドイツにおける近代大学の成立
  第一章 ドイツにおける一八世紀の位置
  第二章 19世紀至るまでの私講師の系譜にかんする考察
  第三章 大学教師の精選とハビリタツィオンの導入
  第四章 ドイツ大学史における公私──カントの「理性の公的使用」と「理性の私的使用」

第二部 古典的大学の創設と理念
  第一章 ベルリン大学創設の理念
  第二章 ベルリンにおける大学と学部概念
  第三章 一九世紀ベルリン大学における私講師
  第四章 一九世紀後半から一九六六年に至るドイツ大学史における学部編成
  第五章 哲学部の歴史的変容──テュービンゲン大学の理学部の設置をめぐって

第三部 大学大綱法施行とボローニャ・プロセスの時代
  第一章 大学大綱法下におけるドイツ大学教師の種類──歴史的パースペクティブからの考察
  第二章 大学大綱法下におけるドイツ大学の教育事情
  第三章 大学の改革動向
  第四章 現代ドイツにおける大学教師の養成・任命・任務・給与

付論 歴史に学ぶ

あとがき
人名索引
事項索引

 19世紀以降のドイツの大学史は、近代キリスト教思想の背景・文脈という点からも、興味深い。ここから、日本の大学を対比すると何がみえるだろうか。
 現代日本の教育は大学から小学校・幼稚園まで、決して明るいものではない。もちろん、希望はないわけではない。たとえば、現場における取り組みとして、少し前に話題になり、ドキュメンタリー映画「みんなの学校」で紹介された、大阪市立大空小学校(大阪市住吉区)など挙げられるかもしれない(大空小学校がスタートし、しばらくすると大阪の教育行政は大変な状況をむえることになる)。
 小学校は近代日本の地域コミュニティーにとって中心的な場として存在してきた。これを起点に、学校と地域と人間の関係を再構築し、そこに宗教やNPOが関与するという組み合わせが必要と思わされる。解放の神学における「基礎的共同体」を日本において実現するとすれば、そんな形になるだろう。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、今後開設の別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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