『福音と世界』 から

『福音と世界』 2017. 6(新教出版社)が届きました。 6月号が5月に刊行されるのは、多くの雑誌と同様であるが、原稿を執筆する側としては、今回の号に掲載の文章は、4月の中頃に書き上げたものであり、つまり、これが新年度早々の仕事となります。しかし、今読んでかなり以前の仕事という印象なのは、この間の慌ただしさを示しているようにも思います。本日午後には、京都大学大学院文学研究科の思想文化学系(キリスト教学専修もここに属しています)の大学院進学説明会が行われ、ゆっくりした週末というわけにはゆきません。

 宗教改革500周年を迎える2017年。『福音と世界』では連続して「宗教改革」に関係する企画が特集されています。今回は、「世界史の中で」というタイトルで、宗教改革の歴史的文脈を問うという企画のようですが、基本的には、宗教改革の影響史といった内容と思われます。「世界史の中で」ということであれば、中世の歴史的文脈から宗教改革へという設定も重要になるでしょう。もちろん、一つの企画であれもこれもとはゆかないでしょうから、これは後日のお楽しみ。今回の特集の中には、聖書翻訳やメディア環境というテーマが含まれており、わたくしとしては、大いに関心があります。
 今回収録されたのは下記の論考。

・「宗教改革とオスマン帝国」 (野々瀬浩司)
・「聖書翻訳と印刷機──宗教改革が世界に及ぼした影響」 (クラウス・コショルケ)
・「二人のマルティン・ルター」 (深井智朗)
・「女性宗教改革者アルギュラ・フォン・ブルムバッハの誕生──信仰と試練」 (伊勢田奈緖)
・「宗教改革思想の伝播を支えたメディア環境と「福音をめぐる議論」の拡大」 (蝶野立彦)
・「理性の時代の宗教改革」 (西川杉子)

ここからは、連載の紹介。ほんの一部ですが。
 わたくしが担当の連載「現代神学の冒険──新しい海図を求めて」は、9回目。今回は、第二番目のセクション「聖書の社会教説から社会科学へ」について一応の説明が終わったところでの「まとめ」と次の展開への接続がテーマです。インターリュード(2)としました。特に意図したのは、政治、経済、環境と三つのテーマ(社会科学)へと、聖書の社会教説を接続する枠組みについて、その内部の緊張関係を示すことです。つまり、政治と経済とが別の原理・目的で動いており、それが現代の問題状況、特に環境論を理解するポイントであることを明確化することがめざされました。そのための題材は自由主義であり(現在、京都大学で行っている南原繁演習で、ちょうど、「自由主義」に関わる論考を扱っているのは、不思議な気がします。たまたまの一致ですが)、現代思想からネグリの「帝国」を取り上げました。そこから、現代のキリスト教的環境論の代表的議論とも言えるカブの環境神学へと議論は展開されます。政治と経済の緊張関係、これは現代を理解する上でのポイントの一つです。
 次回からは、現代神学の動向の最初の大きな潮流として、「解放の神学」系へと進みます。

・高井ヘラー由紀「はじめての台湾キリスト教史(3)」:「大航海時代の台湾とキリスト教」
 「「大航海時代」と呼ばれる一六~一七世紀は、世界史においてもキリスト教史においても非常にドラマチックな時代である。」
 「・・・その文脈において、台湾が世界史の表舞台に登場する。その意味で台湾はまさに大航海時代の「申し子」といえる。」
 「台湾へのカトリック布教は一義的には日本および中国への布教の足場として理解された。」
 「「文明化」への要求」「ネイティブ・アメリカンの経験にも通じる「暗い歴史」が。そこにの見て取れるのである。」

 現代の問題状況は、すでにここから始まっていた。

・吉松純:アメリカの神学のいま8 「貧困と軍隊と教会」
 アメリカの宗教を理解するポイントの一つが愛国心であり、それが軍隊の問題へとつながり、rそこにキリスト教が関与するという図式。石川明人さんの研究を思い起こさせるテーマである。そして、軍隊へと人々を集めるのが、愛国心だけでなく、むしろ「貧困」であるという構図も「2017年の今も変わっていないのです」。だからこそ、「今こそすべてのキリスト教会とキリスト者はアーミッシュをはじめとした非暴力、非戦平和主義を貫く教会から学ぶべきではないでしょうか。」(53)
 
最後は、次の連載。
・内田樹「レヴィナスの時間論」:「『時間と他者』を読む27」
今回は、位相転換から孤独へ議論の展開がテーマとなるが、問題は、「孤独」をどう扱うかという読者の読みの在り方への注意説明である。
 レヴィナスが「並べている四つの無冠詞名詞「自由」「実存」「主体」「」存在者」は、「あなたがたが因習的にこの語の語彙として理解しているような意味で私はこれらの語を使っていない」という「メタ・メッセージ」への注目である。
 「レヴィナスは孤独という言葉から因習的な情緒性や物語性を拭い去ろうとしている」。
 「孤独についてのいかなる予断も排さなければならない」。
 「レヴィナスがフッサールから学んだ現象学的な「エポケー」という技法」
 「世界を厳密に見たいと望むなら「視覚によって見られた対象によって遮断されることを回避せよ」」と告げるのである」、「「孤独」という対象が発生させる「あいまいな言説」」「を排除せよ」(63)

 特に現代思想が分かりにくい原因の一つは、通常因習的に一定のイメージで使用している言葉を、そうではなく、別の仕方で使用することを、十分な説明なしに突然行うことが少なくないということである。読者は、ここで混乱する。有名なところでは、不安、勇気・・・。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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