フェミニスト神学、世界に展開する6

 これまで、1960年代に北米で胎動し始めたフェミニスト神学の「展開」の諸動向をたどってきた。これまでの議論を延長すれば、当然、フェミニスト神学は、キリスト教・キリスト教思想を超えて、多様な諸宗教へと展開することに期待されるだろうし、実施に、こうした展開過程ははっきりと確認できる(もう一つの可能性として、キリスト教から、非宗教・世俗へと展開することも考えられるが、これは、フェミニスト神学がキリスト教外部のフェミニズムのインパクトを受けて始まったことを考えれば、始めからフェミニスト神学の特性に備わっていたと解釈できるので、ここでは問題にしない)。
 つまり、フェミニスト神学は、グローバル化の進展に呼応するかのように世界の諸地域へ諸教派へとネットワークを展開し、また性差の二元論を超えつつも、さらにエコロジーの神学へと接続したわけであるが、ここで確認すべきは、宗教の神学との関連性なのである(ここで、フェミニスト神学が現代のエキュメニズムと密接に関わることがはっきり確認できることになる)。
 こうした動きを象徴するものとして、最近本ブログで取り上げた、次の文献を再度、指摘しておきたい。

Rita M. Gross and Rosemary Radford Ruether,
Religious Feminism and the Future of the Planet. A Buddhist-Christian Conversation,
Continuum, 2001. 

 こうした宗教の教会を超えた動きは、たとえば、環境論の文脈では珍しくない。本ブログでも、かなり以前に、「環境論と宗教」(2016.8.1)に、次の文献を紹介している。

Mary Evelyn Tucker and Duncan Ryuken Williams (eds.),
Buddhism and Ecology. The Interconnection of Dharma and Deeds,
Harvard University Press, 1997.

 しかし、こうした問いは、日本でも、次の文献などで、意識的に提起されていたのである。

大越愛子
『女性と宗教』
岩波書店、1997年。

はじめに
第1章 キリスト教において暴力の犠牲者は誰か
第2章 仏教は非暴力的か
第3章 イスラームのフェミニスムがめざすもの
第4章 新たな宗教的動向
第5章 宗教は差別や暴力を超えられたか
あとがき
 
大越は、あとがきで、次のように述べている。
「フェミニスムの観点からの宗教研究は、世界的規模で進みつつある。いままで隠されきた様々な問題領域が現れ、既成の宗教観がくつがえるよいな時代が到来する予感すらある。だが残念ながら、日本においては未だマイナーな問題としての処遇しか受けていない。本書がそうした状況を打開するきっかけになればと願っている。」

 本書の刊行から20年。日本の宗教研究、キリスト教研究は、フェミニズムの観点から、果たして、どれほど進展できたのだろうか。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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