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アガンベン・メモ(a18)

ジョルジョ・アガンベン『身体の使用──脱構成的可能態の理論のために』 (みすず書房、2016年(原著、2014年))のメモを続けます。
 今回は、「4・6」。
 ここでアガンベンは、『存在と時間』以降のハイデッガーの思索の展開を扱います。注目するのは、1946年の論文「アナクシマンドロスの言葉」。

ここで、「ハイデガーは使用に『存在と時間』において配慮の名のもとにそれから奪い去っていた中心性を取り戻してやろうとしているようにみえる。」
「使用はハイデガーが倦むことなく想起させようとしている存在と存在者、現存(Anwesen)と現存する者(Anwesendes)の差異そのものを名指ししているからである。」
「ハイデガーは使用を存在論的な次元に置く。使用関係はいまや存在と存在者、現存と現存するようになるものとのあいだの関係となる。」
「「使用」と「使用すること」が」「利用という意味領域から引き抜かれて、クレーシスとクレーシスタイについて見てきたのと同じように、それらの根源的な意味論的錯綜体へと送り返される。」

「アウグスティヌス」「fruiと言っているものは、あなたが愛好するものを目の前に現前させてみせるということでなくて、なんであろうか」(『教会の律法について』)
「fruiのうちにはpraesto habereが含まれている」、「praestoは」「ギリシア語でヒュポケイメノン」「隠されいないかたちでわたしたちの前い存在するもの、いいかえれば、ウーシア(ousia)、そのつど現存しているもの、のことである。」
「それゆえ、brachenとは、なんらかの現存するものを現存するものとして現存させたままにしておく、ということを意味する。」
「なにものかをそれ自身の存在に引き渡し、それを現存するものとして手のなかに収容しておく」

「Brauch」「存在そのものが現存する存在者への関係として存在する様式、現存する存在者にそれが現存するかぎりでかかわってそれを手中に収める様式を名指ししている。つまり、to chreonのことなのである。」
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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