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アガンベン・メモ(a26)

6・3
ここでは、「ヘクシスが所有している者と所有されているものとの関係として定義する」ことが、無限背進のアポリアに陥るというアリストテレスの忠告から議論をはじめ、アガンベンが『いと高き貧しさ』で論じた「生の形式」に問題へと議論がつなげられる。

アポリア:「近代思想が」「主体を置くことになる」「場所」、「可能態の使用は習慣が所属する者に所属する」というスコラ哲学。

 アガンベンは、グレン・グールドのピアノ演奏を実例(「わたしたちが神学的起源の言葉をもちいてプロフェッショニスタと呼んでいる者たち」「詩人と同様に、大工や靴職人やフルート奏者」)に、次のように説明する。

「彼は自分の意志で作動させたりさせないでおくことのできる、演奏能力の法的な有資格者または主人ではなく、自分がピアノを演奏しているかいないかに関係なく、ピアノの使用の所有者として自己を構成している。使用は、習慣と同じく、〈生の形式(forma-di-vita)〉であって、ある主体の知ないし能力ではないのだ。」
「彼らはむし、自分たちの四肢と自分たちを取り巻く世界を使用するなかでそして使用するなかでのみ、自己を経験し、自己を(自己と世界の)使用者として構成する生きものなのだ。」

 今回は、グールドのゴールドベルク変奏曲の演奏を聴きながら、以上のメモを作成した。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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