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アガンベン・メモ(a29)

6・6
「6 習慣的な使用」のむすびです。「6・1」で提起された、アリストテレスはじまりスコラ哲学に至る「習慣にたいするエネルゲイア的優位」「使用の分裂」と、それとは別の思考の可能性が、ここで再度取り上げられる。

「エトス(ethos)および自己の使用としての習慣の最も本来的な特性は、中世の徳論によって隠蔽され接近不可能にされてきた。」「徳は「活動的な習慣」であって、能力ないし習慣を最善のかたちで現勢化へと移行させたもの」
「人間の能力は・・・構造上不確定であり、・・・善をも悪をもなすことができる。そこんため、能力のうちに本質的に善き行動へと秩序づけされた習慣が産み出される必要がある。」
「徳とは、アリストテレスにおいては存在論的なカテゴリーである習慣が、活動へと変容し、倫理学のうちに移行するさいの通路になるものなのだ。」「徳は主体の存在様式(有徳な人間)であり、同時にまた、その活動の資質でもある。」

「この徳の悪循環を断ち切って、有徳なもの(il virtuale)・・・を使用して、すなわち、なにか存在と実践、実体と活動の二分法のかなたに存在するものとして思考する必要がある。」
「徳は習慣に外からやってくるのではない。徳とは習慣が使用されていることであり、〈生の形式〉としての習慣なのだ。」
「有徳な活動といったものは存在しない。それは有徳な存在なるものが現実には存在しないのと同じである。ただひとり使用だけが、存在と実践のかなたにあって・・・有徳なのである。」

 以上で、「6」のメモは完了ですが、これで、『身体の使用』は、四分の一が終わりました。先はまだまだです。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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