FC2ブログ

アガンベン・メモ(a31)

7・2
 ここでは、ハイデッガーの技術論(道具論)のゆれとでもいうべきものが辿られます。

これまでの議論を受けて、
「ハイデガーが描いている人間は道具の思うままになっており、道具の「奉仕可能性」にみずからを委ねて、この「奉仕可能性」を介してのみ世界に接近している。」

しかしまた、
「ハイデガーはなんとかして使用の領域と一致するこの領域の狭隘な限界から人間を解き放とうと懸命に努力していたと言えるかもしれない。」
「道具性が『技術への問い』 にかんする一九五三年の論考のなかで」「晩年のハイデガーの思索の中心的な問題のコンテクストのなかで、新たに姿を現わすとしても、驚くにあたらない。」

「しかしまた、論考のつづくくだりでは、この技術の道後的規定は不十分であるとして却下される。」「原因とはなにかを正確に理解してはじめて、技術の真の性質への接近は可能とされる。」
「だが、原因となるということはなにものかを非存在から存在へともたらすこと」「ポイーシス」の「一形態」。
「非真理から真理へと、もたらし出すこと」「その場合には、技術はこの開蔵の卓越した様式である。」「覆いで蔽われた状態と覆いをとられた状態、真理と非真理の弁証法に捕まってきた、西洋の歴史的命運に属している。」
「道具を原因性=因果性の一形態として了解するなら、技術はその本性にしたがって、すなわち、《開蔵の命運》」「として、みずからを開示する。」
「道具性はまたもや棚上げされ、技術が存在の歴史的命運のなかで占める画期的な地位に置きなおされる、この時点に到達してはじめて、ハイデガーは技術と和解して」「技術のもたらす危険をも救済をも発見することができるのだった。」
「集─立」「技術の本質は救うものの生長をみずからのうちに蔵しているにちがいないのである。」

 ハイデッガーの技術論は単純ではない。

スポンサーサイト



プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
カレンダー
07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR