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アガンベン・メモ(a34)

7・5
 中世スコラにおける道具因の議論を受けて、イリッチ(あのイリッチ)の研究を参照した上で、道具因の意義を確認し、それが、本書の最初のテーマであった、奴隷(生命ある道具)の問題に繋がることが示される。ここでは、道具因、秘跡という問題をさらに展開するための、議論の整理されている、とまとめることができるだろう。当然ではあるが、奴隷・身体をめぐる議論は、その後の議論と接続されていたわけである(当初は、そのあたりが分からずに、しばらく、議論を辿ることになったが)。

「イヴァン・イリッチは道具因の理論に含まれる新しさに注意を喚起してきた。」
「神学者たちは十二世紀の特徴をはしている異例のテクノロジー的変化にかれらなりに応答してきたのだった。」「サン・ヴィクトールのフーゴー」「彼の時代の七つの主要テクノロジー(羊毛の加工、武器の製造、商船の航行、農業、狩猟、医薬品、そして──不思議なことに──見世物)を詳細に列挙」。

「道具因の発見はテクノロジーに概念的な形姿を与えようとした最初のこころみである」
「技術の空間」「無際限な媒介性と利用可能性の次元」
「いまや道具の働きは自分本来の目的と外在的な目的とに分離し、このようにしていかなる目的にもさし向けることのできる道具性の領域を出現させる。」

「技術的道具のうちには、たんなる「利用可能性」以外のなにものかが存在するが、しかし、この「以外のなにものか」はハイデガーが考えるように新しい決定的な存在の画期的な開蔵─伏蔵とは一致せず、むしろ、身体と対象の使用における変容と一致するのであって、その根源的なパラダイムは奴隷という《生命ある道具》、つまりは自分の身体を使用することによって現実には他の人間たちによって使用される人間のうちに探し求められなければならないのである。」
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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