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アガンベン・メモ(a44)

8・5
「使用は自分のものとして所有できないものへの関係である」の2番目の事例、「言語」がここでの話題です。

「身体と言語のあいだには構造的な類比関係が存在すること」
「言語も」「とくに母語というかたちをとっている場合には」「それぞれの話者にとってそこに存在するものが最も内密で自分に固有なものそして現前している。」

「言語はほとんど生来のもののようにみえる」が、「言い間違い、口ごもり、突然の失念、失語症などが証言しているように」「それはつねに他者にとって疎遠な存在であり、在る「程度まで疎遠なままにとどまっている」

「詩人」「語っているのは彼らではなく、あるにひとつの別の神的な原理(ムーサ)が詩を発していて、それに詩人は声を貸しているにすぎないかにみえるほどなのだ。」
「彼らは言語を自分のものにすることを追い求めているが、それはどう程度に自分のものでなくすものでもある」
「詩的行為は自分のものにされてしかるべきものがそのつど自分にとって疎遠になる二極的な所作として立ち現われることになるのである。」
「二重の所作が言語のうちに印される様式を」「スタイル」および「マニエーラ」。「マニエーラはスタイルがよこしまな道に迷い込むか堕落したもの」「スタイルはマニエーラよりも定義からして上位にある」
「スタイルもマニエーラもむしろ詩的所作の還元不可能な二つの極を名指ししている。」「スタイルが詩的所作のより自己固有的な特徴を印しづけているとするなら、マニエーラのほうは脱自己固有化と無所属性という逆の要請を書き込んでいるのである。」

 フロイトなら、ここで意識と無意識という問いを提出するかもしれない。
 ここで唐突にフロイトが出てきたのは、ちょうど、講義でフロイトを扱った関係・・・。


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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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