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アガンベン・メモ(a40)

「8 自分のものとして所有することのできないもの」は、ジョルジョ・アガンベン『身体の使用──脱構成的可能態の理論のために』 (みすず書房、2016年(原著、2014年))の「第一部 身体の使用」の最終章であり、第一部は、この「8」と「インテルメッツォⅠ」を残すだけとなる。

8・1
 使用概念が《ホモ・サケル》シリーズの中でどんな位置を占めているのかについて、 『いと高き貧しさ』(すでに本ブログでメモ公開を完了)との関連で説明がなされる。問題設定の確認。

「『いと高き貧しさ』」において、「いかに使用の概念がフランシスコ修道会の戦略のなかで中心的な位置を占めていたか、またいかにまさしくそれの定義とそれを所有から切り離す可能性をめぐって修道会と教皇庁のあいだに決定的な抗争が産み出されたかを明らかにした。」
「フランシスコ修道会の理論家たちは」「もっぱら法律的な論戦のなかにみずからを閉ざしてしまい、法権利にたいしてたんに否定的なかたちではないような使用の定義を提供することに成功できないでいた。」
「フランシスコ会士たちによる貧しさの権利要求は、主体が所有権を放棄する可能性(adbicatio iuris)にもとづいている。彼らが《使用》・・・と呼んでいるものは、この放棄から出発して開かれる次元である。」

「わたしたちの関心のある見方からするなら」、「決定的なのは、放棄の行為──すなわち、最終的には主体の意志──ではなくて、いわば事物の本性そのものに根拠を置いているような使用のとらえ方ではなかただろうか。」

『いと高き貧しさ』の議論が歴史的研究(思想史研究)であるのに対して、本書の議論は、理論的考察を試みているということである。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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