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アガンベン・メモ(a41)

8・2
 ここで参照されるのは、ベンヤミンです(アガンベンにとって重要な思想家の一人)。これまで問題となった、使用と所有の関係を、正義・倫理学から論じるという連関です。

「一九一六年、ベンヤミン」「メモ帳」「正義のカテゴリーにもとづく労働のための覚え書き」
「時空秩序のなかに制約されたあらゆる財には、滅びやすさの表現として、所有権という性格が属している。しかしまた所有権は」「つねに不正義である。」「正義はむしろ、自分尾ものとして所有することができないような」「財の状態のうちに存する。」

「正義は」「個々人の必要に応じた財の再配分とはなんの関係もない。」「《人の所有権》ではなくて、《財の財への権利(ein Gutes-Recht des Gutes)》」」
「倫理学と存在論が特異の収縮を起こして、正義は徳としてではなく、《世界の状態》として指示されるようになる。」
「正義は主体の善き意志にかかわっているよいにはめず、世界の状態(einen Zustand der Welt)を構成する。」「徳は要請することができるが、正義は、最終的には、世界の状態あるいは紙の状態として、存在することができるにすぎない。」

「世界を絶対に自分のものとして所有することができないものとして経験するということ」「どこか徹底してフランシスコ会的なところがあるこの断章」
「貧しさは主体の決断に立脚しているのではなく、《世界の状態》に対応しているのである。」
「もしフランシスコ会の理論家の場合には、使用は所有権を放棄したとくに開かれる次元として出現していたとするなら、ここでは見方は必然的に反転しており、使用は自分のものにすることができないものへの関係として提示されている。それは世界の至高の状態への唯一可能な関係として提示されているのであって、そこでは世界は正義であるかぎりでいかなる仕方でも自分のものとして所有することはできないのである。」

 現代の環境論を踏まえた文明論として、これを考えるとどうなるか。正義の文明とは、所有のない文明。正義にふさわしい環境論とは何か?
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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