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アガンベン・メモ(b1)

 『身体の使用』の第一部のメモが完了したことを受けて、アガンベン・メモをどのように再開するかについて考えてきましたが、本ブログで、第二部のメモを掲載するということに考えがまとまりました。メモが完結するまでかなりの時間がかかることが予想されるなど、メモの再開にはやや躊躇する点があったが、ともかくも、アガンベン・メモは再スタートとなる。

第二部 存在論の考古学
 本論(三つの章、存在論的装置、ヒュポスタシスの理論、様態的存在論のために、とインテルメッツォⅡが含まれる。第一部よりは、コンパクト)に先だって、第二部における問いが示される。

第二部の課題は、「第一哲学すなわち存在論へのアクセスが今日もなお──あるいは新たに──可能かどうかを検証」することであり、これは、「中断してしまったか見失ってしまった小径をふたたびたどることができるか、それとも、最終的に放棄してしまわざるをえないかかをみずから尋ねようと」することである。

アガンベンの戦略は、これを、「考古学という形態」において遂行しようとすることである。それは、次の理由による。
・「存在論には西洋の歴史的命運がいっぱいに詰めこまれているが、それは存在に説明不可能でメタ歴史的な魔術的力が属しているからではなく、まさにそれとは逆に、存在論は言語活動と歴史的に分節化される根源的な場所であるからからである。」
・「存在論はアントロポゲネシスの記憶、その分節化が産み出される瞬間の記憶をみずからのうちに保存している。」「人間が人間的な存在になるということは、過去に一度起きたならそれで完結してしまう出来事ではない。それはむしろ、たえまなく起きる出来事であり、現在もない進行中の過程であって、その過程のなかで人間はつねに人間的な存在になりつつあるのであり、同時にまた、つねに非人間的な存在のままでありつづけている(あるいは非人間的な存在になりつつある)のである。」
「第一哲学はこの出来事の記憶であり反復である。」
「この歴史的ア・プリオリに考古学的研究はそのつど遡ろうとするのである。」

ここで、「考古学」という言葉から想像されるように、フーコーへの言及からはじまる長めの注が入る。

「哲学的考古学を、人類の歴史を条件づけてそのもろもろの時代を定義している歴史的ア・プリオリを明るみに出そうとするこころみであると定義」した上で、アガンベンは、「第一哲学の不可能性」という事態についての考察を、カントからハイデガーまで、そしてハイデガー後において辿ることで示そうとする。
・「カントが「形而上学」と呼ぶ第一哲学の不可能性」。「歴史的ア・プリオリのアントロポゲネシス的出来事(言語活動と世界との分節化)から認識への転位、もはや動物ではないがいまだ人間でもない存在から認識する主体への転位」、「存在論はこうして認識論に変容してしまい、大地位哲学は認識の哲学に転化する。」
・「ハイデガーまでは、カント以後」「超越論的次元にまるでそれが独りだけでやっていけるとでもいうかのようにしがみついてきた。」「まさに諸科学のほうでは無制限の技術的進歩に向かって放り出されて、そのようなみずからの科学としての可能性の条件の定義などはなんら必要としていないことを証明しつつあったというのにである。」
・「超越論的なものからの脱出の道を探ろうとしたのは、ニーチェ、ベンヤミン、フーコーといった何人かの非職業的な哲学者と」「エミール・バンヴェニストのような言語学者であった。」「認識から言語活動へと後ろ向きに転位させることによって」、「言表の生起をそれらの意味内容以前のところ、あるいはそれらの意味内容を超えたところで問いに付していた次元を個別に取り出すことによっておこなっていたのだった。」
「話者がカントの超越論的主体に取って代わり、言語が歴史的ア・プリオリとしての存在の場を占めることになったのである。」

「存在論のこのような言語学化の傾向は今日、完結点に到達したようにおもわれる。」
「しかしまた変化してしまったのは」
「言語活動はもはや、思考されないままにとどまりながら、言葉を話す人間たちの歴史的可能性を規定し条件づけるような、ひとつの歴史的ア・プリオリとしては機能していないということである。」
「存在と全面的に同一化」「非歴史的な中立的現実として定立」、「もはや歴史的生成のそれを確認できるなんらの意味も条件づけておらず、また時間のなんらの画期的分析化も条件づけていない。」
「わたしたちはいかなる歴史的ア・プリオリにも規定されていない」「時代、」「すなわちポスト歴史的な時代」「に生きている。」

「存在論の考古学」「存在論的装置の系譜学」を「たどうろうとこころんみているのは、この見方に立ってのことである。」

アガンベンの問題意識はかなりはっきりしてきた。カント以降の哲学的思惟が現代の言語論的転回によって大きく転換したなかで、挫折した・中断した存在論の別の可能性を考古学という道を経由して再度思考すること。 
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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