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アガンベン・メモ(b2)

1・1
第一考古学は、当然、アリストテレスから開始されることになる。『カテゴリー論』である。

「アリストテレスの存在論を定義している存在の分割装置」
・第一ウーシア。「《最も本来的な意味で、そして第一に、また最も多く言われるウーシア(本質・実体)》」「《基体(hypokeimenon)──下に横たわっているものsub-iectum について言われることもなければ、基体のうちにあることもないもの》」「特異なもの、固有名、デイクシス[直示語]をつうじて例示される《この特定の人間》、《ソクラテス》、《この特定の馬》」
・第二ウーシア。「《第一のものと言われるウーシアがそれのうちに現在している種と、さらにはそれらの種の類》」
「分割がその歴史のなかで分節化されてきたさいの語(第一ウーシアと第二ウーシア、本質存在と現実存在、quod est [存在すること]とquid est [存在するもの]、anitas [存在性・「が在る」性]とquidditas [何性]、共通本性と代示・・・)がなんであれ、決定的なことは、西洋哲学の伝統のなかせ存在は生と同様に、つねにそれを横断する分裂から出発して問われるだろうということである。」

続く中では、「ヒュポケイメノン」のラテン語訳について、トマス・アクィナスの用語で、存在の分節化がどのようになされているかが論じられる。

 このセクションの締めくくりは、「そのつど表現される用語がなんであれ、この存在の分割がハイデガーによると西洋形而上学を定義しているという[存在と存在者の]《存在論的差異》の根底にあるのである。」

 人間であること、文化的であることは、分節化を基礎にする、ということ。この分節化の仕方に、文化圏の特徴が存在する。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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