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アガンベン・メモ(b10)

1・9
「ト・ティ・エーン・エイナイ」の導入は、アリストテレス存在論のアポリアあるいは核心点に関わっている。ここで、アガンベンは、ハイデガーの弟子の一人、ルードルフ・ベームの分析を参照する。

「アリストテレスが「ト・ティ・エーン・エイナイ」という概念を導入するのは、まさに《根底に横たわっているもの》の第一位性に含まれるもろもろのアポリアに答えるため」
「存在の基体的規定はウーシアをそれ自体においてではなく、なにか別のものがウーシアを〈自分の下および根底にある〉ものとして要求し要請するかぎりにおいて思考している。」
「基体の第一位性は、ウーシアにかんする問いが意味をもつのはウーシアが別のものへの関係として、つまり《なにものかがなにものかとして述語されるのはなにをつうじてであるか》という形態において分節されるかぎりにおいてであるという主張と連携した間柄である。」

 これは(「もし存在が《根底に横たわっているもの》から出発して思考されるなら」)、
「存在のうちに根本的な分離を導き入れる。」
「現実に存在しない本質と本質をもたらい現実存在」
「《本質(Wesen)と存在(Sein)とは、それぞれが相手を外に放り出し、このようにして、言葉の二重の意味において、互いに破壊しあう、他方との関係を絶ち、そのことによっていずれもが粉々に砕けてしまうのである》(Boehm R,. p.169)」

「「ト・ティ・エーン・エイナイ」の概念をつうじて、アリストテレスは現実存在と本質、第一実体の現実存在的あり方と第二実体の述語的あり方との統一性と同一性を思考しようと努めるのだが、ただし、それを究極的には〈根底に横たわっている〉基体が接近不可能なものになり、本質がなにか現実に存在しないものとして立ち現われるような仕方でこころみるのである。」
「「ト・ティ・エーン・エイナイ」は存在と現実存在の還元不可能な対立(Widerspiel)を表現している」

 キリスト教思想では、この問題が、創造(被造性)と罪という仕方で語られた問いと結びつけられることになる。根底は、神との関わりが問題化し、それは西洋的思惟のなかで問題として繰り返される。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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