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アガンベン・メモ(b30)

3・2
 哲学と神学とは、長い間、緊密にむずび付いた問題連関を構成してきたのであって、19世紀以降の思想状況、ましてや現代思想の問題状況を、素朴に思想史の中に読み込むべきではない。ライプニッツは、まさにその実例であることがわかる。

「実体的紐帯」「あれやこれやの人体を身体と霊魂の結合とは独立に、単一の実体として考察すること」
「イエズス会の神学者であるデ・ボスにとってはとりわけ、聖体の秘跡のさいの全質変化」「において問題となるキリストの身体の統一性をどのように理解すべきかを把握することに関心がある」

「実体的紐帯という観念はライプニッツに、この問題のひとつのエレガントな解決策を提案することを可能にしてくれている。」
「もし、物体の個別的現実存在を定義しているのが実体的紐帯であるとするなら、全質変化のためにパンと葡萄酒のモナドを破壊する必要はないことになるだろう。キリストの身体の紐帯がそれらの実体の集合を定義していた紐帯を根絶し、それに取って代わるだけで十分だろう。したがって、《これはわたしの身体である》という文言は、モナドではなく、モナドの統一を実現する紐帯を指していることとなる。」
「パンと葡萄酒の外観だけが残るでしょう。それらはなんらの実体的紐帯が神によってそれらのモナドに付け加えられなくてもあとに残っていたことでしょう。・・・」

「デ・ボスのほうは彼が《絶対的に偶性的なもの》とか《実体的様態》と呼ぶ特殊な偶性の形態としての個別的実体の統一性をつくりあげているものを把握することに固執している。」
「ライプニッツは」「合成された実体の統一性はそれを構成するもろもろのモナドの変化様態から結果するものでもなければ、それらのモナドのうちに基体として現存している様態ないしは偶性でもありえないと主張する。」
「紐帯は、まえもって存在するひとつの形相ではないものの、物体の統一性をひとつの実体的実在として構成するものである。」

この「構成するもの」という表現が重要。それは、次回のセクションで、「活動的な力」として説明される。聖霊?
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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