FC2ブログ

神学にとって、「実存」とは

 「実存」は、existence (existentia)の日本語の訳語として定着しているものであり、場合によっては「現実存在」と訳されるなど、その意味内容の理解は決して容易ではない。古代から中世にかけての哲学・神学では重要なキーワードであり(本ブログで連載のアガンベン・メモの最近の議論を参照)、1950年代から60年代にかけて、多くの思想家が使用した時代の流行語でもある。それは、キリスト教思想においても同様であり、実存の神学、実存論的神学という言い方は、少なからぬ神学者が使用したものである。特に、ブルトマンとブルトマン学派に属する神学者や、それと問題意識を共有する神学者においては、「実存」は、不可欠の用語であった。
 しかし、現在のキリスト教思想において、この1950年代から60年代にかけての実存をめぐる思想動向は、どkのい行ってしまったのであろうか。ブルトマンは「非神話化(?)」に矮小化され、ブルトマン学派の神学者たちは、いわば忘却されたかに見える。これらの神学者たちを継承することはもちろん、彼らを正当に評価できる人がほとんど存在しないのは、キリスト教思想の貧困でなくて何だろうか。こうした事態を批判的に分析することも、現代のキリスト教思想研究の課題であると思われる。
 こうした中で、重要な動きとして紹介したいのは、フリッツ・ブーリの翻訳がなされたことである。翻訳者はヤスパースの研究者であり、その関連でのブーリへの注目とのことであるが、今後の研究の進展に期待したい。

フリッツ・ブーリ(岡田聡訳)
『実存の神学』
YOBEL、2020年4月。

まえがき

導入的概観
第1章 啓示と実存
第2章 実存にとっての神
第3章 恩寵としての実存
第4章 実存のキリスト論
第5章 時間の内のキリスト教的実存

ブーリ略年譜
ブーリ二次文献(単行本)
訳者あとがき

 ブーリを含めた、実存をめぐる現代キリスト教思想の再評価という研究テーマを、確認しておきたい。
スポンサーサイト



プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
カレンダー
03 | 2020/04 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR