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感染症を思想する

 現在、世界中に新型コロナウィルスが感染拡大し、危機が叫ばれている。思想研究という専門領域から、この感染症問題について、何を考え何を語るべきであろうか。その際に、科学的視点は当然不可欠であるが、それと共に必要なものは、歴史的視点である。なぜなら、感染症は、人類の文明とともに存在し、人類は感染症と歴史の中で繰り返し遭遇してきたからである。同様のことは、多くの自然災害についても妥当するであろう。歴史の長い過程と科学的知見を突き合わせるとき、感染症がいかなる思想的問いであるかが明らかになるであろう。
 こうしたことを考える手がかりになるのが、次の文献である。まさに、タイムリーな内容である。

山本太郎
『感染症と文明──共生への道』
岩波新書、2011年。

プロローグ 鳥の流行が語ること

第一章 文明は感染症の「ゆりかご」であった

第二章 歴史の中の感染症
   ◆コラム1 文明の生態史観

第三章 近代世界システムと感染症
      ──旧世界と新世界の遭遇
   ◆コラム2 伊谷純一郎最晩年の講義

第四章 生態学から見た近代医学
   ◆コラム3 野口英世と井戸泰

第五章 「開発」と感染症
   ◆コラム4 ツタンカーメン王と鎌状球貧血症

第六章 姿を消した感染症
エピローグ 共生への道

付録 麻疹流行の数理
あとがきに代えて

参考文献

 コラム2など、エピソードとしても興味深い話題満載である。とくに、第六章の「3 ウイルスはどこへ行ったのか」は、考えさせられる内容である。ウイルスには人間への適応段階があり、それは、第1から第4、そして最終段階(過剰適応段階。ヒトという種から消えていく)までが存在する。新型コロナウィルスは、これで言えば、第2段階(ヒトからヒトへ感染する。やがて流行は収束に向かう)の前半(?)くらいだろうか。感染症との関わりは、長い時間的スパンでものを考えるように要求する。第2段階であるならば、当面の目標は、ワクチンの開発と集団免疫の形成となるのかもしれない。いずれにしても、ここだけで数年は必要である。

「もし、HIVの潜伏期間が二〇年になたっとすれば、あるいは三〇年、五〇年、一〇〇年になったとすればどうだろうか。大半のヒトは、HIVに感染したとしても、エイズを発症することはない。ただ感染しているだけである。一方で、HIVが占める生態学的地位は他のウイルスの侵入の防波堤となる。そのとき、私たちはもしかするとHIVとの共生に感謝することになるかもしれない。」(183)

 そして、ここで問題になるのは、「共生のコスト」、「喩えて言えば、「ミシシッピ川における、堤防建設以前の例年程度の洪水」」(194)である。集団免疫形成には、このコストが問われる。そして、コストを支払う人にとっては、「なぜ自分が」の問いが発生せざるを得ない。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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