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アガンベン・メモ(b38)

3・10
 今回もスコトゥスからスアレスへの展開が問題となりますが、個体化と言えば有名なスコトゥスの「このもの性」が議論に登場します。

「スコトゥスが個体化の問題を解くさいにもちいた精錬された言葉遣いはその伝説的な定式を「このもの性」の概念に見いだしてきた。」
「個体化を共通の本性ないし形相に別の形相ないし本質ではなく究極的な実在性(ultima realitas)、形相そのものの究極的形態が付け加えられることとして把握する。」
「個別的現実存在は共通の形相に「このもの性」(あるいは「ほら見よ性」──スコトゥスの天才的な術語「ハエッケイタース(haecceitas[このもの性])」はキリスト学における「エッケ・ホモ(ecce homo[ほら見よ、この男だ])」のことを考慮して、こうも訳すことができる)以外になにものも付け加えない。」
「形相ないし本質のうちにはそれが個体化されるさいの力となる原理は存在しない。ここでは、形相の究極的形態、「ほら、この男だ」あるいは「これはわたしの身体である」と語ることをゆるす究極の変化が生じるにすぎない。」「形相ないし共通の本性がそれ自体としてはいかなる個別性にも無関心であること」

「ひとたび本質と現実存在とが区別されてしまったなら(あるいは、キリスト教神学において起きているように、両者の一致は神においてのみ認められるとするなら)、つぎには、本質のうちに個別化を許容する(あるいはすくなくとも妨害しない)ものを探し求める必要があることが明確に明確に見てとられる。」
「すでにアヴィセンナ」

「スコトゥスの立場を徹底させると同時に批判して、スアレスは、本質は個体化されるのになんらのさらなる原理をも必要としない、と主張する。たしかいん、個体的な現実存在を共通の本性から区別することは可能である。だが、この差異はスコトゥスにとってのようい様態的なものではなく、純粋に理性上のものであって、事物のうちにその本質と区別された根拠をもつわけではない。」
「個別的存在者の本質はすでにその可能な個別化を内包しているのであって、なんらの実在的な補充物をも、様態という非本質的な付加物さえをも、必要とはしないのである。」

 プラトンの宇宙創成論で問題となり、アリストテレスが個体化と結びつけて規定した質料が、結局問題の根源か。非理性的なものという難問。これは概念規定・枠組みにとって生じた擬似的な問題性を有するとしても、それに完全に解消可能なのか。キリスト教神学の側で言えば、確かにキリスト論がポイントとなる。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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