地方教会と教会合同

 本日、山形県新庄市から京都に帰宅。
 短期間ではあったが、今回、新庄教会を訪れたことで、さまざまなことを考えさせられた。簡単に真喪を残しておきたい。日本のキリスト教は現在多くの問題に着面しているが、特に、四国や山陰、北陸などと共に、東北の地方教会が直面しているのは、地方が直面する問題そのものである。急速に進行する少子高齢化、人口減少、地域産業の衰退。この現実は教会の現実でもある。
 新庄市の場合、山形県北部内陸の最上郡の中心的な地方都市として存在してきたが、わたくしが新庄に暮らしていることから、40年あまりが経過し、人口は4万数千人から3万8千人にまで、5千人余り減少した。駅前通りの商店街にはシャッターが降りた店舗が目立つ(郊外の大規模店の進出の影響もある)。幼児から高校生までの子供の数の現象は特に著しく、人口構成は50代から60代にピークがある。しかし、その一方で、新庄市は山形新幹線の終着駅であり(東京から4時間。昔の半分の所要時間)、最上郡の文化的機能の中心を担っている関係で、人口の割にさまざまな公的な施設(文化会館、図書館など)は充実している。ビジネスホテルもそれなりの数が確認できる。
 こうした地方都市の中におけるキリスト教会が信徒数の数の減少に直面していることは容易に想像できるであろう。信徒数が少なくなり信徒数ゼロを迎えれば教会自体の消滅となる。新庄市には、昔からかなり近い距離の中に、日本基督教団に所属の三つの教会が存在していた。それぞれ、改革派長老主義、ディサイプル派、ホーリネス派の伝統を持つ教会であり、礼拝などの儀礼において、また信仰理解において独自の立場を有していたが、それぞれ信徒数の減少は深刻なレベルに達しつつあった。こした状況において、2012年4月、6年にわたる協議を経て、これら三つの教会が合同し、新しい新庄教会が誕生した。今回、わたくしが招かれたのは、この新しい新庄教会からである。きわめて異なる背景のもつ教会が合同することは決して容易ではない。新庄教会の場合も、今後様々な問題に直面することもないとは言えないだろう。教会合同という選択肢は、地方教会において現実の問題となりつつあり、新庄教会の場合、その実験とも言える。
 しかし、合同は決してネガティブな面だけではなく、エキュメニズムという観点からは、むしろ創造的な可能性を有するものと言うべきかもしれない。そもそも、明治初期に始まったプロテスタント・キリスト教会が教派的な分裂を乗り越えようとする意識を明確に有していたことはよく知られた事柄であり、それは、たとえば、日本基督公会という名称に現れていた。教派教会ではなく、公会という理念は、しまざまな挫折を経て、今も生き続けていつものであるとすれば、教会合同は、その一つの実現と言わねばならないだろう。もちろん、問題は、厳しい地方都市の現実の中で、合同教会が何を目指すのかということであり、百年を経た新庄教会の次の百年の歩みがいかなるものであるかが問われているのである。
 では、都市部の教会は安泰なのだろうか。地方教会に比べれば、時間的な余裕はあるかもしれない。しかし、都市部の教会がそれなりの危機を抱えていることは、冷静に分析すれば、すぐに指摘できることではないだろうか。

 ともかくも、今回の出張では、キリスト教の未来について考えさせられた。
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