京都哲学会・公開講演会、終了

 昨日、恒例の京都哲学会・公開講演会が開催されました。あいにくの天候でしたが、例年よりかなり多くの方々に来場いただき、また懇親会も盛況でした。今年度で退職予定の伊藤邦武先生の講演(いわば最終講義とでも言うべきでしょうか)ということで、哲学専修関係の方々にお集まりいただいたということと思います。講演いただきました、お二人の伊藤先生、ご苦労様でした。今年度の学会代表として、お礼申し上げます。
 以下、講演への感想・コメントをメモしておきます。

1.伊藤公雄「アントニオ・グラムシ:人と思想──現代社会理論とのかかわりで」
・グラムシ思想の特徴と可能性について、ポイントが明確に述べられた。ヘゲモニー概念、知の重層性、有機的知識人、歴史主義、アメリカニズムとフォード主義・・・。
 一定の成熟に達した市民社会(「西方」)での革命の可能性を、イタリアの特殊性・固有性という地点から構想する。そのために、人民の主体的な自己形成(民衆が自らの集団的自覚を自己形成していくプロセス)が重要であり、その自己形成の触媒・媒介になるのが有機的知識人(党)という構図。

・1980-90年代のCultual Studiesにおけるグラムシ・ルネサンスにもかかわらず、日本のグラムシ評価が引くのはなぜか。文化への無関心。伊藤さんの構想は、文化社会学(文化=意味をめぐる政治の復権)というものであるが、それはグラムシを日本の文脈で再活用することの可能性の追及ということでもある。

・イタリア思想の特徴は何か。また、最近の思想的展開(ネグリ、アガンベン、ヴァッティモら)との関わりでグラムシはどのような位置を占めることになるのか。良くも悪くも抽象的なフランス思想との対比は可能か。

2.伊藤邦武「九鬼周造の形而上学的時間論について」
・意識の時間性(ハイデッガー、ベルグソン)と自然・運動の時間性という二つの伝統的な時間論に対して、東洋の時間論を「回帰的、周期的時間」として展開する九鬼の試み。輪廻という思想において見出された、「仮想的な」貫一宇宙的自己の同一性が問題になる。個人の自己を突き詰めるときに、マクロコスモスとしての宇宙全体に対して一つのミクロコスモスとして存在する自己の意味は、運命的なもの(垂直的時間)の顧慮を必要とする。
 伊藤さんの整理によれば、九鬼の議論は、「魂論」として輪廻から、無限に繰り返す大宇宙(イデア的な仮想的なものとしての宇宙全体)へ、そして輪廻する世界の第三の時間へと展開している。こうした展開の困難の核は、一つの宇宙から別の宇宙への移行の理解ある。

・自己意識・自己理解を深めるとき、その深みが宇宙的な時間として問われるという展開は、説得性がある。問題は、これをどのように具体的に理論化するかということであり、どこで具体的な問題状況に帰ってくるかということであろう。

・九鬼とケーベルのとの哲学的な関わりという問題が示唆されたが、それに波多野のを加えるとどうなるだろうか。九鬼は東洋を論じるときに、ウパニシャドとインド仏教を参照し、中国・日本の仏教には言及していないとのことである。これは、波多野も同様である。こうしたスタンスには、ヨーロッパでの近代仏教学の進展の参照ということ以外に、哲学的な内容に関わる共通理解などが存在していると言えるか。
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