自然主義と宗教

 「キリスト教と自然科学」という問題を扱っていると、近代以降の、自然主義と宗教との対立構造を意識せざるを得ない。しかし、マクロな枠組みから個別的な事例に進んで行くと、議論は単純ではないことが明らかになる。いわゆる自然主義としてまとめられる思想にも、宗教への肯定から否定までの幅があること、また宗教にも自然主義と原理的に相容れない超合理主義から合理的な宗教論(理神論)まで存在すること、こうした事態を考慮し始まると、議論はとたんに複雑化することになる。広義と狭義の、あるいは強いと弱いという区別を自然主義に認めることなどは、典型的な対応の仕方である。
 こうした議論の展開は研究の随所に現れる。

・インドのキリスト教における、キリスト教からヒンドゥー教までのスペクトル。
 キリスト教/ヒンドゥー的キリスト教/ヒンドゥー・キリスト教/キリスト教的ヒンドゥー/ヒンドゥー教
・心脳同一論/心脳二元論→心脳同一論/随伴現象説/心脳同一論
   →随伴現象説における強い創発主義と弱い創発主義

 わたくしは、以前に、「脳科学は宗教哲学に何をもたらしたか」(芦名定道・星川啓慈編『脳科学は宗教を解明できるか?』春秋社)で、創発主義による神概念がキリスト教にその人格的神の概念の変更をせまるかもしれないとの主旨で議論を行ったことがある。しかし、これは数日前の筑波大学での講演後の懇親会でのある方との議論で気がついたことであるが、ここで創発主義の神概念と言っても、宗教論を含めた創発主義の一つの傾向についてはこのような議論はできるとしても、創発主義は宗教論との関わりを顕わに論じない一般的な立場として捉えることは可能であり、創発主義とキリスト教との神概念における対立といった図式には慎重でなければならない。あまり単純化し過ぎると思わぬミスリーディングを生じることにもなりかねない。

 こうした点からも、通常自然主義として位置づけられてしまう、デネットについても、冷静に検討することが必要であろう。たとえば、次の文献など。

ダニエル・C・デネット
『解明される意識』
青土社、1998年(原著・1991年)。
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