東アジアという問題

 本ブログの中心的な視点の一つとして、「東アジア」という問題圏への注目を挙げることができる。その場合に、東アジアとはいかなる意味でキリスト教思想の問題となるのかが、そもそもの問いとして自覚される必要がある。この問いは自明ではなく、むしろ、問いとしての構築が求められていると言うべきものであり、問いの構築の作業と問いへの回答とが、いわば循環的に進行することになる。こうした作業を進める上で、同様の問題状況で思索を展開しつつある多様な分野の動向を参照することはきわめて有益であり、今回、紹介する文献は、こうしたものの一つである。取りあげられるのは、「記憶」という問題である。

板垣竜太・鄭智泳・岩崎稔編
『東アジアの記憶の場』
河出書房新社、2011年。

序文〈東アジアの記憶の場〉を探求して(板垣竜太・鄭智泳・岩崎稔)

古典古代の空間
 三韓征伐(李成市)
 関羽(金錫佑)
 孔子廟(柳美那)

物語のダナミクス
 老女沈清(鄭智泳)
 三年峠(三ツ井崇)

ペルソナの断絶
 尹東柱(金信貞)
 力道山(板垣竜太)

風景の複層
 芝山岩(駒込武)
 金剛山(テッサ・モーリス-スズキ)
 桜(高木博志)

身震いの経験
 アカ(岩崎稔)
 朝鮮人(崔真碩)

規律の反転
 運動会(呉成哲)
 指紋(板垣竜太)

あとがき(戸邉秀明)

序文に次のような一節がある。

「このような「記憶」の語彙を手がかりに確認できるある転換がいつ起こっているかということに眼をこらすと、不思議なことに、多くのケースで一九八〇年代の後半から、遅くとも一九九〇年代に起こっている。それとともに、たとえば歴史叙述について見ると、理論的文脈においても具体的な政治的文脈においても、歴史の語り方の構造や、語彙のなかに見過ごせない変化が生まれている。」(008)

東アジアのキリスト教思想史についても、同様の観察は可能であり、この論集に収められた議論をさらに超えた広範な問題領域を包括している。問題は、これをどのように捉え、具体的な研究の現場へともたらすかである。

 
 
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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