民主主義と選挙

 現代の民主主義において選挙はきわめて重要な位置を占めているかについては改めて確認するまでもないかもしれない。また、キリスト教と民主主義という問題でしばしば焦点になる宗教改革、特にピューリタンの教会会議とイギリスに一つの起源を有する議会制民主主義との関連においても、選挙は普通選挙という形で、当初より問題であった。それは、パトニートー討論などの分析を通じて、リンゼイが「同意の原理」として取り出したものである。
 しかし、他方、選挙に基づく民主主義が十分に機能しないという問題は歴史的に多くの事例を挙げることが可能であり、現在の日本の政治などはその典型例かもしれない(下記の例などを参照)。

・「安倍首相による立憲主義否定発言。日本は民主主義を捨てて自民党主義あるいは安倍主義の国になるのか。」(「村野瀬玲奈の秘書課広報室」より)

「安倍晋三首相は十二日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐり「(政府の)最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と述べた。憲法解釈に関する政府見解は整合性が求められ、歴代内閣は内閣法制局の議論の積み重ねを尊重してきた。首相の発言は、それを覆して自ら解釈改憲を進める考えを示したものだ。首相主導で解釈改憲に踏み切れば、国民の自由や権利を守るため、政府を縛る憲法の立憲主義の否定になる。」(『東京新聞』Web

・「低投票率依存で逃げる自民党」「選挙といえぬ山口県知事選」(『長周新聞』第7540号、2014.2.7。第一面)

教会会議の場合は、一定以上、リンゼイの言う「集いの意識」が共有されており、こうした民主主義と選挙をめぐる病理的現象を回避することも可能かもしれない(現実には可能でないことは、歴史的事例に即して確認できることではあるが。ここに「キリスト教と民主主義」のキリスト教自体における問題がある)。しかし、それが世俗世界の政治システムの場に移されるとき、一挙に問題は顕在化する。リンゼイ自身が、代議制に基づく民主主義、また直接民主主義の内的な矛盾について明確に論じており(『民主主義の本質』の「政治組織の特性とその目的」など)、その議論は現在も生きているように思われる。

 今回のブログを書いた理由は、現在の日本における、そして京都大学における問題の深刻さという点にあるが、昨日まで行われていた文学研究科大学院入試で、リンゼイ、民主主義に関わる論文を読む機会があったことによる。学生の論文を読むことは、わたくしの研究にとっても、しばしば良い刺激になる。これは京都大学で学生と接することの最大の利点かもしれない。
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