悪とはいかなる問いか、いかに問うのか

 悪の問題は、理論的から実践的な領域まで、古代の思想・文書(聖書や古代哲学)の議論から現代思想まで、思想に関わる分野では、いかなる研究領域でも問いうる、問わざるを得ないものである。実際、現代の宗教哲学やキリスト教思想においても、悪の問題は、多くの研究者が共有する問いとして存在していると思われる(実感される)。本ブログでも、神の存在存在証明と対をなす神義論や大震災や原発事故・核兵器といった事柄との関連で、悪はしばしば問題として取りあげられてきた。神義論は、いわば本ブログの宿題として、気になる問いとして残されている。

 しかし、こうした悪の問題の重要性にもかかわらず、さまざまな議論・論考に接して、しばしば違和感を感じることも少なくない。これには、二つのタイプのものがあり、今回は、その内に後者を中心にコメントしたいと考えているが、議論の整理のために、前者にも言及しておきたい。この二つのタイプとは、理論と実践の乖離の二つのパターンとして整理できるかもしれない。

 第一のもの(前者)は、きわめて具体的で重要な問題が取りあげられていることは直ちに理解できるにもかかわらず、それをどのような仕方で理論化するのか、つまり、悪の問題を、キリスト教や宗教に関連する思想としていかなる仕方で取りあげ、継続的に取り組もうとしているのかが、不明な議論である。もちろん、原発であれ、環境危機であれ、それはキリスト教や宗教の思想的思索の事柄として問われるだけでなく、そもそももっと広範に共有可能な問題であって、キリスト教思想にこだわる必然性はまったく存在しない(キリスト教思想でなければ問えない環境論はあるとしても、それは何の役に立つのか。それは、研究を行うためのいわばアリバイとして環境危機が利用されていると考えるべきであろう)。問題は、キリスト教思想との関わりで悪の問題を論じる(キリスト教関連の学会で研究発表する、あるいはキリスト教関連の学術雑誌に論文として投稿するなど)意味が不明なこと、あるいは意味づけがまったく付けたし的なことである。こうした議論に接すると、これを問うのなら、もっと別のより適当なフィールドが存在するだろう、さらには、実践的な活動に飛び込むべきである、などと言いたくなる。

 これに対して、第二のもの(後者)は、いわば逆のケースであり、確かに悪がテーマ化されており、悪を理論的に論じるには当然取りあげられるべき思想家の悪論が論じられている、しかし、悪の何が、どんな悪が問題なのかが、不明な議論である。そこでは、悪はいわば抽象的な対象として設定され、安全な別の平面から眺められるものとして存在する。特定の思想家の思想研究として、悪が取りあげられる際に起こりがちな事態である。その思想家がいかなる悪を、悪の何を決定的な問いとして思想的に取り組んでいるのかが括弧に入れられたまま議論・分析が進行し(こうした手続きが不要というわけではない)、それで終わりという場合である。聞き手・読み手としては、その思想家が結局何を論じようとしていたのか、それがどのように解明されたのか、と問い返したくなる。

 こうした問題意識で、悪の問題について考えている過程で、目に付いた本があるので、やや唐突な感があるかもしれないが、ここで紹介しておきたい。この本で取りあげられた問題は、悪の問題と無関係なのか、あるいは現代日本における典型的な悪であり、思想的に悪を問う場合に、念頭に置かれるべきものなのか。

中村一成
『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件──〈ヘイトクライム〉に抗して』
岩波書店、2014年。

1 当日
2 第一初級学校の歴史、変わる状況
3 襲撃直後の混乱
4 法的応戦へ
5 止まらぬ街宣
6 疲弊する教師たち
7 捜査機関という障壁
8 法廷──回復の場、二次的被害の場
9 故郷

あとがき
参考文献

 ヘイトクライム、ヘイトスピーチ。蓄積する憎悪とそれをはき出す人々。これは、現代を規定する「悪の構造」の現象形態ではないのか。思想として問われた悪論は、こうした悪の構造の現象形態とどのように向き合うことを可能にするのか。こうした悪は思想研究の一つの対象として議論の背後に忘却されて終わるのか。こうした思想研究は確かに限界を有するものであるが、その限界内での思索に思想研究の存在意義がある、とするべきか。
 思想研究は、研究者は、もちろんわたくし自身、たえず問われている。悪の問題とは、こうした問題領域・テーマなのではなかったのか。悪の問いは、問う自分自身を問う問いであり、ここでしばし立ち止まることになる。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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