契約思想

 「契約」は聖書的思想の根本概念であり、キリスト教思想にとっても同様の位置を占めている。本ブログが問題にしている自然神学の社会科学への拡張は、この契約思想が鍵を握っていると考えてよい、これが最近の研究の見通しである。しかし、その際に問題になるのは、近世近代の哲学思想における「契約」つまり社会契約説と聖書的契約思想との関わりである。

 一方に、Covenantという契約があり、それは民族共同体の形成原理として機能している。そして、この契約は民族の悲劇的運命を通して民族共同体を超える射程を展望するにいたる(善から正へ)。他方、Contractという契約があり、自然状態(仮説的)から近代の社会秩序(市民社会)の成立・正当化を行うという理論的機能をになってきた(共同体主義と自由主義との論争もここに関わってきている)。両者はいわば逆のベクトルをもちながらも、「共同体と個人」という問題領域において出会っている。
 キリスト教世界が契約的であるといかなる意味においてなのか。
 二つの契約を有意味な仕方で関連づける社会理論の構築は可能なのか(これは、自然神学の社会科学への拡張の基盤になる)。
 ホッブスからロックにいたる思想史を、狭義の哲学の学説史を超えてキリスト教思想史と関連づける作業が必要であり、ここで問題は、ニュートンとニュートン主義の自然神学という以前にわたくしが集中的に研究したテーマに帰ってくることになるかもしれない。
 もう一つの事例研究としては、アメリカの独立建国におけるキリスト教思想と社会思想との関わりがあげられるであろう。これも、今後展開するべき研究テーマとなるかもしれない。
 さらには、改革派的伝統における契約神学というテーマも存在するが、これに着手するには、かなりの準備が必要である。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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