教会暦からみたキリスト教

 わたくしは、いくつかの大学で、キリスト教学に関していわゆる概論と言うべき講義を担当しているが、概論の導入として、宗教現象としてのキリスト教を現代宗教学の方法論で解説することを行っている。前期の講義の前半がこの現代宗教学的なキリスト教学となっており、6月の入るとこの部分が終わり、後半のテーマに移ることになる(今年度もこのペースである)。前期前半の締めくくりは、現代宗教学における儀礼論とサクラメント論をつなぐ議論であり、その中で、キリスト教の教会暦を紹介することになる。
 配付プリントには次のような記述が見られる。

「7.①洗礼(baptism) ②堅信(confirmation) ③叙階(holy orders)
   ④婚姻(matrimony) ⑤終油(extreme unction) ⑥聖餐(eucharist) ⑦悔悛(penance)
 8.キリスト教的な時間秩序(時の形態化)
  ローマ・カトリック教会の7つのサクラメントによって、キリスト教徒の一生を図式化すると次のようになる。
   [一生] 誕生→①→②→③/④→⑤→死(→復活
                             →永遠の命or第二の死)
    ↓
   [一年] 教会暦(三大祭りによって一年の時間にリズムが与えられる)
          Christmas(Advent)、Easter(Lent)、Pentecost
     ↓
   [一週] 聖日→週日→聖日(聖→俗→聖)」

 ここでのポイントは、「キリスト教の信仰に生きる=質的にリズム化された時間感覚(時間経験)をもって生活すること=宇宙・歴史全体のリズムと個人的生のリズムの同調、永遠との関わりにおいて生きる生命の時間性」ということであり、キリスト教を学ぶ上で、この教会暦のリズムを理解する(あるいは体験する)ことの重要性が示されることになる(はすである)。なぜなら、キリスト教の教会暦は太陽暦と太陰暦の結合によって構成されているわけであるが、これはヘブライ語を原語とする旧約聖書とギリシャ語を原語とする新約聖書がキリスト教聖書を構成するのと同じ論理として、まさにキリスト教の核心を指示しているからである。

 そこで、本日6月15日であるが、わたくしが京都で出席している同志社教会では、「子どもの日」として、大人と子どもの合同礼拝であった。わたしが所属の奈良高畑教会では、先週8日に同様の形の礼拝が行われ、また、教会によっては、「子どもの日・花の日」という伝統のところもある。つまり、キリスト教の教会暦といったも、伝統によってさまざまな形があり、キリスト教に生活レベルで触れるには、1年間を通した教会との関わりが必要であるというのは、こうした事情に基づいている(こうした生活的知はキリスト教研究にとってどの程度前提となるか? 古典的な問いで言えば、神学にとって回心的な体験は不可欠か?)。
 教会における「子ども日」も時代によって変化しつつある。わたくしの知る範囲でも、日曜学校が教会学校へ変化し、最近は、「子どもの教会」という呼ばれることも少なくない。こうした呼称の変化は、何を意味しているだろうか、その思想的含意は何か。
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