神学と大学・学問論

 キリスト教思想研究、神学も、近代的な学問、大学での研究教育が行われる学問であることを選択する限り、学問性一般との合致、ほかの諸学問との相互連関を明確にする必要がある。実際、19世紀以降のキリスト教思想は、この問題に継続的に取り組み、その学問としての基礎の確立に努めてきた。しかし、その具体的なやり方は多様であり、現代のキリスト教思想研究は、先行する多様な試みを踏まえつつ、さらに議論を展開する必要がある。

 日本でも、こうした問題意識は一定程度共有されており、その成果も着実に形となって現れているように思われる。その中で、2010~13年にかけて実施された、青山学院大学綜合研究所・研究プロジェクト「キリスト教大学の学問体系論」はきわめて興味深い取り組みであった。その研究成果は、20世紀を代表する学問論の試みと言える、ティリッヒ(『諸学の体系』法政大学出版局)、パネンベルク(『学問論と神学』教文館)、ハワーワス三人の学問論の翻訳出版として公にされ、日本におけるキリスト教思想研究の共有財産となった。

 今回は、刊行されたばかりのハワーワスの文献を紹介したい。

スタンリー・ハワーワス
『大学のあり方──諸学の知と神の知』
YOBEL、2014年4月。

まえがき
序文

序章
第1章 神学の知と大学の知──探求の開始
第2章 廃墟をあとにして──福音と文化形成
第3章 教育の危機とはいかなる危機なのか?──アメリカの状況からあれこれ考える
第4章 「宗教多元主義」の終焉──聖十字架修道会ディヴィッド・バレルに敬意を表して
第5章 大学の悲哀──スタンリー・フィッシュの立場
第6章 キリスト教大学の将来の理想の姿とは?──ウェンデル・ベリーに示唆された試案
第7章 石を彫るか、もしくは、キリスト教という言語を学ぶか
第8章 エクレシアのため、テキサスのため──テキサスの核心にある心を教育する
第9章 キリスト者と(私たちが住む)国家と呼ばれるもの──二〇〇一年九月一一日以降の忠誠についての黙想
第10章 民主主義の時代──ヨーダーとウォーリンから学んだ教え
第11章 世俗の国家──神学、祈り、そして大学
第12章 神と貧しい人々と学問とを愛すること──ナジアンゾスの聖グレゴリウスから学んだ教え

付論A デューク大学──この場所の善さ
付論B 苦境に立たされる神学校──ベタニア神学校設立一〇〇周年を深く省みて
付論C 平凡な時──ローワン・ウィリアムズに感謝して

訳者あとがき
人名索引
訳者一覧

 この青山学院大学でのプロジェクトの成果として先行して刊行された、ティリッヒとパネンベルクの学問論と、今回のハワーワスの学問論とを比較するならば、相違はきわめて鮮やかである。おかれた状況の差、念頭にある哲学の相違など、考慮すべき多くの論点がある。しかし、いわばドイツ神学とアメリカ神学の根本的なスタイルの違いは、西欧キリスト教思想の遺産の豊かさを感じさせるものではないだろうか。では、日本のキリスト教思想は、いかなる学問論、大学論を形成しようとするのだろうか。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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