大学改革とリーダーシップ論

 この間の大学改革の議論では、たとえば、現在国会で成立しかかっている学校教育法の一部改正においても、その理由として主張されているのが、学長のリーダーシップ論、ガバナンスの確立といった事柄である。そこには、大学におけるリーダーシップとはいかなるものであるべきかといった議論は完全に抜け落ちており、大学の会社化といったきわめて乱暴な主張が行われている。
 こうした問題を考えていた際に、前回の「キリスト新聞から」の第四面のブックレビューで取り上げられた本として紹介した文献の冒頭に現在流行のリーダーシップ論を批判的に検討した部分を目にしたので、今回は、この文献を紹介した為てみたい。

古市憲寿
『だから日本はズレている』
新潮新書、2014年。

はじめに 不思議な国の「大人たち」

「リーダー」なんていらない
「クール・ジャパン」を誰も知らない
「ポエム」じゃ国は変えられない
「テクノロジー」だけで未来は来ない
「ソーシャル」に期待しすぎるな
「就活カースト」から逃れられない
「新社会人」の悪口を言うな
「ノマド」とはただの脱サラである
やっぱり「学歴」は大切だ
「若者」に社会は変えられない
闘わなくとも「革命」は起こせる
このままでは「2040年の日本」はこうなる

おわりに 「おじさん」の罪

 先に目についてと述べたのは、次の文章からはじまる最初の章である。

「日本では定期的に「強いリーダー」待望論が盛り上がる。企業の業績も、山積する政治問題も、解決の糸口が見えない外交問題も、強いリーダーが何とかしてくれる、と。しかし本当にそんなうまくいくのだろうか。実は現代社会において一人のリーダーにできることなんて限られている。実は、リーダーの本質は「強さ」ではない。リーダーにとって最も大切なこととはなんかを考えてみた。」

 この文献は、新進の社会学者が若い世代の立場から「おじさん」が動かすこの日本社会を切るといったパターンのものであるのとの印象を受けるものであるが(最初の章以外は、タイトルを見ただけであり、正確な論評をすることはできない。また、すぐに全体を通読しなければならないというものではないように感じられる)、「若者」が「大人」によるのリーダシップ論
をどのように見ているかを知る上で有益であり、おもしろい。
 しかし、世代論的な設定はわかりやすいが、それで議論・分析が深まるのだろうか(陳腐な議論にならないか?)。このあたりが、基本的な疑問ではある。
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